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Blood Queen  作者: 新矢 晋
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05.うたかた 壱

 それは現か夢か、過去か未来か。たゆたう幻実は、『終わり』を紡ぐ――



 ――男は急いでいた。銀色の髪をなびかせ、真紅の瞳は食い入るように前方を見つめ、馬を駆り、全速力で。

 戦場(いくさば)において敵前逃亡は恥であり、男はそれを堪え難いと思う種類の人間だったが、今回ばかりは敵前逃亡も止むを得なかった。

 野火の如く速やかに駆ける男に、味方達が次々と声を投げる。

 ――ここは我々が、

 ――どうか御館様を

 ――早く……!

 駆ける男の障害を排除しながら、彼らは祈るように男を見送る。その彼らが纏う鎧兜は、血と砂埃に塗れていた。

 敵方三千に対し、こちらは六百。最初から負け戦ではあった。だが、出来得る限りの策を施し、何とか耐えしのごうとしていた矢先の謀反。味方だったものからの予想外の攻撃に、易く防衛部隊は崩壊し、敵が城へと攻め入った……という伝令が届いたのがつい先刻。その瞬間、男は交戦状態の敵を直ぐ様蹴散らし、駆け出していた。

 男は今回の戦の主戦力であり、敵陣深く迄攻め込んでいたのが仇になった。数刻駆けて、漸く城が見え始めたのだが……


「な……っ!」


 城が、燃えていた。

 慌てて馬を乗り捨て、抜き身の刀を片手に下げたまま男は門を駆け抜けた。自らの前に立ちふさがる敵を斬り伏せながら、奥へ奥へと。


「御館様ッ!」


 叫びながら男がその部屋に飛び込んだ時、彼の視界に入ったのは主人の姿。だが、それは――出来るなら一生見たくなかった姿だった。

 絹糸の如き白髪を一分の乱れも無く腰の辺りまで下ろし、紅色の瞳で男を真直ぐ見つめるのは、……純白の着物を纏った少女。その腰には脇差し、死出の旅支度。


「……お、やかた……さま」


 男の声はひどくかすれていた。刀を握った右手には無駄な力がこもり、かたかたと震えていた。だがそれも束の間、彼は浅く息を吐くと、主人である少女の前へと跪いた。

 ――理解していた、一目見た瞬間から。ただ、認めたくなかっただけなのだ。


鴉津(かづ)


「はい、御館様」


「父も兄も死んだ。残りは私だけだが、憎き敵方に私をくれてやるわけにはゆかぬ」


「はい、御館様」


「一人も此処へ通すな、私の死体は城と共に燃やせ」


「はい、御館様」


「……鴉津」


「はい、御館様」


「最後の我儘だ、……抱き締めて、くれ」


 男は、驚いて少女を見つめた。少女は……震えていた。思わず立ち上がり、そのまま強く少女を抱き締めそうになった男だったが、現実には跪いたまま微動だに出来なかった。

 ――男は血に濡れていた。着物は紅斑になり、銀色の髪は一部が紅黒く染まっていた。その九割九分は敵からの返り血で、残りは自分と味方の流した血。少女に少しでも触れようものなら、その紅が移ってしまう事は想像に難くなかった。

 少女を……主人を汚すわけにはゆかなかった。旅立ちの前なら尚更。

 男が躊躇していたのはほんの僅かな間だったが、その間に少女の震えはおさまり、彼女は穏やかな笑みを浮かべた。


「……最後まで困らせて済まなかったな。

 今迄よく仕えてくれた」


「……勿体ないお言葉です」


 ――自分は自ら望んで仕えていた。貴女の傍に在る事がしあわせだったのだと、そんな男の言葉は紡がれないまま飲み込まれた。

 少女が襖を引き、奥の間へと消える、最後の瞬間。


「……私はお前と居てしあわせだったよ、鴉津。

 もし生まれ変われるなら、お前の居る世が良い」


 言葉だけを残して、少女は襖の向こうへと消えた。

 ――男はゆっくりと立ち上がった。その紅色の瞳は冷たく、虚ろ。引き摺るように刀を持ち上げて、俯いたまま歩き出す。


「お前は鴉津! そこになお……」


 何か煩く騒いでいた侵入者の首を斬り飛ばし、そのまま男は駆け出した。

 ――殺す。殺して、殺して、殺して、殺し尽くすのだ。あの御方が安らかに旅立てるように、私はあの御方の為なら鬼に



  *  *  *



「…………」


 見慣れた暗闇。幾度か瞬きをすると瞳が闇に慣れ、見慣れた天井が視界に入る。

 何時もと同じ寝室、何時もと同じ夜、何時もと同じ月明かり。ただ一つ違う事があるとすれば、寝台の上で目覚めた女が全身に汗をかいていた事。


「夢……?」


 女は呟いたが先刻まで見ていた夢の内容は覚えておらず、ただとても悲しくて、痛くて、苦しかった事だけが残っていた。

 鈍く痛む頭を押さえながら女は身体を起こし、長い黒髪を掻き上げた。


「……もう少し、だ」


 唇から零れたのは無意識の呟き。何がもう少しなのか女にはわかっていなかったが、わかっていた。もう少しで何かが終わる――或いは始まる――のだと。

 女は緩くかぶりを振り、寝台から下り立った。……寝間着が汗で張り付いて気持ちが悪い。夢の内容を思い出せないのも矢張り気持ちが悪いし、何が

「もう少し」

なのかわからないのも気持ちが悪い。

 だが、その居心地の悪さを解消する方法が見つからず、女は溜め息混じりに上着を羽織り、部屋を出ようと扉を開いた。――と、丁度、従僕が目の前に居る。白の混じった銀髪を揺らし、冷たい紅色の瞳で怪訝そうに女……環希を見つめる、従僕カラス。


「どうかなさいましたか、御館様」


「いや……」


 ――その瞬間、ずきり、と環希の胸の奥が痛んだ。その理由を探ろうとする前に痛みは消え、環希はふるりと頭を振った。


「……汗をかいたから風呂に入ってくる」


 それだけ言い残して環希は廊下の向こうへと歩み去った。

 ――その背を見つめるカラスの瞳。深く、昏い、紅の色……

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