23.見えないもの
政臣が更に一歩踏み込む。燃え盛る剣が互いの――政臣とカラスの身体を焼き、肉の焦げる嫌な音と匂いが辺りに広がる。
「は、はは……」
静寂を乱したのは笑い声。燃える刃に身体を貫かれたカラスがあげた、笑い声。
違和感を憶えた政臣がカラスの身体から剣を引き抜き飛び退くよりも先に、カラスの手が政臣の腕を掴み力任せに投げ飛ばした。
「あぐ、っ!」
畳に叩き付けられ、うめき声をあげる政臣。丁度、この戦いを眉ひとつ動かさず静観していた『彼女』の足元。彼女が僅かにうつむくと、さらりとその髪が滑り落ち表情を覆い隠した。
―― 一歩踏み出したカラスの足元で、砕かれた刀の欠片がじゃりりと音をたてる。刀の切っ先部分にあたる大きな欠片を拾い上げ、小首を傾げるその表情は何処か狂気めいて。
「その程度の! その程度の炎で私を滅ぼせると?
……笑わせる! 私を殺すなら、」
親指で自らの左胸を示し、
「しっかり狙え、ここを貫けば……かりそめの死ぐらいは与えられる」
また一歩、距離を詰める。政臣は未だ動かない。
刀の欠片、それでも十二分に人を殺せる殺意を纏ったそれを握り、カラスは笑みを浮かべていた。
「これで、終わり(チェック)だ……!」
刃の欠片を握ったカラスの右手が振り下ろされる。肉を切り裂く鈍い音。散る紅。――空を舞う、黒。
「な……っ!」
カラスは目を見開き、そして目の前の光景を凝視する。当然起こるべき光景、政臣の首が切り裂かれるその光景は、上映されなかった。
小さな、だが確かな殺意の刃を受け止めたのは白い手。その手の主は真っ直ぐにカラスを見つめ、その黒耀は一点の曇りすら無く冴えざえと――
「貴様、……御館様ではないな……!」
憎々しげに彼女を睨みつけるカラス。その刃を握った手に力がこめられると、彼女の手から血が滴り落ちる。
その痛みを。カラスから叩き付けられる憎悪を。真っ向から受け止めて、彼女は、否、既に『彼女』ではなく――紅環希そのひとは、己が手に食い込む刃を握り締めた。
「いい加減にしてもらおうか。
……私たちを、もてあそぶのは」
畳に紅が滴り落ちて染みを作る。したしたと、静かに。
動かそうとしたカラスの腕は、何故か動かない。華奢で、吸血鬼の力に敵う筈が無い環希の手に――刃ごと握られ、動かす事が出来ない。
「どうなって、……Sit!」
舌打ちし、掴まれていない方の腕を振り上げるカラス。それを哀しげに見上げ、環希は呟いた。
「……お前には、見えないんだな」
――カラスには見えていなかった。その真紅の瞳には、最も写したいものが写っていなかった。
カラスの手を握る、血まみれの環希の手に重なるもうひとつの手。白く華奢な手に、白い着物。風も無いのに揺れる白い髪、紅い瞳――カラスが総てを犠牲にしても取り戻したかった少女。環希の身体を器として顕在化していた彼女が、半顕在化した状態で、環希と共にカラスの手を握っていた。
――やめて……。
彼女の言葉は空気を揺らさず、カラスの耳を打つ事も無い。
だからカラスはそのまま環希に向けて腕を振り下ろし――肉を貫く音がした。
心臓を貫く不快な音。肉の焼ける、脂のような嫌な匂い。
熱く燃える剣が、カラスの心臓を貫いていた。
「これで、」
畳に片手を付き、身体を捻って更に剣を付き出す政臣。
「終わりだ!」
カラスの背から剣の切っ先が生え、次いで引き抜かれる。噴き出す血から環希をかばうように立ち、肩で息をする政臣の目の前で、ゆっくりと床に膝を付くカラス。――何かを言おうとして、ごぼりと口から紅色の塊が溢れた。
「な、ぜ……」
眉を寄せ、手で口元を押さえる。しかしその手は力無く畳の上に落ち、その瞳は自分にとどめを刺した相手すら見ていなかった。
急速に光を失いゆくカラスの瞳は虚空を見つめ、立ち上がろうとするも叶わず畳に倒れ伏す。
「お、やかた……さま……」
血まみれの手が宙に伸ばされる。くしゃりと歪んだ表情には、常の余裕や狂気は欠片も無く――涙が、頬を伝っていた。
「御館様、……紅姫、さま……」
そしてカラスは呼吸を止める。
宙に伸ばした手を、呼んだ相手が……愛しい彼女が握っていた事を知らないままに。
――その彼女が、環希と政臣の方へ振り返る。環希は小さく頷いたが、政臣は怪訝そうに眉をひそめる。
彼女はひとつ頭を下げると、そのまま空気にとけるように消えた。
『すまない』
二人の耳に届いたのは穏やかな少女の声。
『……ありがとう』
そして、その部屋は、静寂に包まれた。
――緊張の糸が切れたように、溜め息を吐き座り込む政臣。
「……政臣」
だが、己を呼ぶ声に素早く背後を振り返る。
「環希、さん?」
おずおずと尋ねるのに環希が頷いて、次の瞬間、政臣は自らの腕が痛むのも構わずに環希を抱き締めた。
「環希さん、環希さん……!」
「政臣、痛い……」
環希が苦笑しながら身をよじっても、身体ごと擦り寄せるようにきつく。漸く力を緩めたかと思えば、泣き出しそうな顔で環希を見つめ――ふ、と。そのまま環希にもたれかかるようにして、意識を失った。
政臣を抱きとめて、環希は愛しげにその頭を撫でた。それから、畳に転がるカラスを、瞳を細めて見つめてる。
――そこへ、何者かの駆けてくる音。襖を勢い良く開けて飛び込んで来たのは、二人。ダークと、ガブリエル。
「終わったんですね、マスター……」
ボロボロの服を手で払いながら、環希の前に跪くダーク。環希の腕の中にいる政臣を見て、表情を緩めた。
「『騎士様』は間に合った、ってワケか……にしても、子供じゃあるまいし」
「『戦士の休息』だ、構うまい。……それより、彼女……」
そう言った環希の視線の先にはガブリエル。その視線に気付いたガブリエルは、きょとりと首を傾げた。
「ん?
……あ、こうして会うのはハジメマシテ?」
「『使徒』……いや、……ルネ?」
血まみれのスカートの裾を摘んで一礼したガブリエルに、環希はひとつ溜め息を吐いた。
「……まあいい、この件が落ち着いたら詳しく聞かせてもらおうか」
らじゃー、とふざけた調子で返事をしたガブリエルは、ダークと共にカラスの方へ歩み寄り、その様子を確認する。
「あれ?」
「マスター、これどうします?
……マスター?」
怪訝そうなダークの声を最後に、環希は意識を手放した。