22.焔
その部屋に足を踏み込んだ政臣の右手で炎が揺れる。剣から立ち昇る炎が肌を舐め、焼け焦げた包帯は熱気でゆらゆらと揺らめいていた。
「私を殺しに来たのか、『騎士様』?」
皮肉げに唇の端を歪め、カラスは一歩足を踏み出して、
「お前の姫はもう居ない。『器』は御館様と馴染み始めている」
刀を水平に構えると、そこからぶわりと闇のようなものが溢れ出す。刀身へとまとわりついて禍々しい様相を呈するそれは、まるで漆黒の炎。
それに怯む素振りすら見せず、政臣は――凶悪ささえ感じさせる笑みを浮かべた。
「お前の口数が多いのは、感情が乱れている証拠だ。
恐れているんだろう? 僕を……いや、僕という存在がもたらす不確定な揺らぎを」
カラスの笑みが僅かにこわばる。政臣は剣を突き出し、噴き上がる火の粉が二人の間に舞った。
「僕が存在する事によって、環希さんの魂が呼び戻されるかもしれない。そうすれば、その身体は……」
一瞬、ほんの一瞬だけ政臣の視線がカラスから逸れ、奥に座る『彼女』の姿を捉える。既に『環希』とはかけ離れた姿になりつつある、その姿。
――切なげに瞳を細める政臣。それはすぐに元の表情を取り戻し、カラスを見やる。
「だからお前は逃げなかった。大事な『御館様』と共に闇の底へ隠れる事よりも、僕を消去する事を選んだ」
炎が照らすのは二人の男。……愛する者としあわせになる事だけを望む、二人の男。
「その身体は彼女のものだ。……返して、もらうぞ」
しあわせになれなかった一人の娘が見守る中、しあわせになりたい二人の男の戦いが幕を開けた。
――二人の力量の差は、明らかだった。
政臣自身を薪として、『剣』が燃え上がる。一撃毎に腕の皮膚が裂け肉が焦げ骨が軋むのに、その攻撃には何の迷いも怯えも無く――カラスに対する殺意のみを纏う。
だが。
その攻撃のことごとくを、カラスは正確に防いでいた。
例え避けてもその炎による火傷からは逃れられないその攻撃を、刀で巧みに反らし、或いは弾いて、未だ負傷らしい負傷はしていなかった。
「ちィッ……!」
舌打ちをした政臣の手元が僅かに狂った。――その乱れを見逃すほど、カラスは甘くなかった。
間合いを半歩踏み込まれた政臣の足元が乱れ、その刹那銀光が疾る。
硬質な物同士がぶつかりあう音。
次の瞬間、政臣は襖に突っ込んでいた。襖を突き破り、木と紙の残骸が飛び散る。政臣はうめき声をあげながらも立ち上がろうと身じろぎしたが、その肩口をカラスが踏みつけ押さえ込む。
冷たい瞳で政臣を見下ろし、振り下ろしたその刀が政臣の身体を切り裂き紅を撒き散らす――前に。
凄まじい勢いで振り抜かれた剣がカラスの刀を弾き、へし折った。
「な……ッ」
腕の力だけで繰り出された、有り得ない体勢からの攻撃。それはカラスの刀を砕き、……政臣の腕を砕く。『剣』の炎で脆くなった腕の腱が千切れる音――
「ぐ、うぁあっ……!」
怯んだカラスの足を退け、政臣は立ち上がる。右腕ごと剣を抱き構えて、突進するかの如くカラスへと剣を突き出す。
ド、ン。
鈍い音。肉を刃が貫く音。――それから液体の滴る音。畳に滴る紅色の液体は量を増し、その源は男の身体を貫き背から生えた刃。その刃は、――紅く、燃えていた。
「……、…………」
己が身体を貫いた政臣の剣を驚いたような表情で見つめるカラスの唇から、空気の漏れる音がした。