21.しあわせになりたい
――しあわせになりたい。
あなたと一緒に、しあわせになりたい。
ダークが城の外で暴れているおかげで、城内の警備はザルだった。政臣は戦闘らしい戦闘もしないままに城の深部まで潜り込む事が出来、右腕の消耗は皆無に近かった。
――壁にもたれかかり息をひそめる。
鍔鳴りを起こそうとする『剣』を――右腕を押さえ込み、政臣は浅く息を吐いた。
――この件にカタがついたら旅行にでも行こう。彼女と二人で、何処か静かな場所で過ごそう。それから今までの日常に戻るのだ。騒がしくも愛しい、しあわせな日々に。
そのしあわせを取り戻す為ならば、己の全てを捨てたって構わない。そのしあわせを取り戻す為ならば、他者のしあわせを犠牲にしたって構わない。
壁から背を離し、深呼吸。一瞬だけ己が拳を握り締めて――政臣は、更に城の奥へと足を進めた。
――ひとつ、息を吐く。カラスは、城の最奥に位置する部屋に居た。二間が襖で繋がれ、奥の間には環希の身体を器とした『彼女』が座っている。
『限定封印』を解除するという暴挙に出たダークのおかげで、城内の人員を何人か外へ回さざるをえなくなった。結果、この部屋にはカラスと彼女の二人しか居ない。
――奥の間で、彼女が身じろぎする気配。
「……鴉津」
細く消えそうな声。頼り無げに伸ばされた手を、駆け寄ったカラスが絡め取る。
微かに震える白い手。以前より華奢になった体つき、赤みをおびた瞳。ものの本質は魂で決まる、中に宿る魂が『環希』でなくなれば、姿も『環希』ではなくなってゆく。
――震える手をそっと握り締め、彼女は唇を震わせ瞳を迷わせる。紡げぬ言葉を絞り出すように、見たくないものを見るように。
「鴉津、……もう、このような事……」
「御館様は何もご心配なさらなくて良いのです」
その言葉を遮るようにして、カラスは囁いた。穏やかな笑みを浮かべ、彼女の手を握り締めて。
「じきにあの男がここへ来ます。あの男さえ始末してしまえば、『器』の魂が戻る事も無い……貴女を縛り続けた家も滅ぶ」
すり、と彼女の白い手に頬を擦り寄せるカラス。触れるだけの口付けを手の甲へ降らせ、
「そうすれば、貴女を脅かすものは何も無い。
……ふたりで、しあわせになりましょう」
囁くのは甘やかな言葉。――どこか歪な言葉。深紅の瞳は静かな光を、愛しさを湛えて彼女を見つめているのに……彼女は、頭を振る。
「鴉津、ちがう、私は……」
何度も何度も頭を振って、
「私は……――」
――こんな事望んでいなかった。
「……え?」
彼女の言葉を聞き取れず、カラスは怪訝そうに眉を寄せた。そのカラスを真っ直ぐに見つめて、彼女は再び唇を開く。
「私は、こんな事望んでいなかった」
――ひどく辛そうに。愛しいひとを突き放す、残酷な言葉を吐いた。
「……私の遠い遠い娘、その生を犠牲にしてまで、私は……しあわせには、なれない」
――奇妙な沈黙が流れた。
感情の消え失せたような顔で彼女を見つめていたカラスは、我にかえると頭を振り苦笑いを浮かべた。
「……何を仰っているのですか?
御館様も、私の事を想って下さっているのでしょう? 私と共に在りたいと、思って下さっていますよね……?」
彼女の手を握り締めるカラスの手に力がこもる。見つめる瞳は熱をはらみ、彼女は何も言えなくなる。
黙り込んだ彼女を抱き寄せて、その肩口に顔を埋めるカラス。きつくきつく抱き締めて離れないように。
「……もう、貴女を失いたくはない。だから」
す、と身体を離し立ち上がる。その腰に下がっていた刀を抜き放ち――
「その為なら、何だって……」
部屋の入り口へと向き直る、カラス。静かに襖が開いて、部屋へと足を踏み入れるのは一人の男。
――上品なスーツに身を包んだ一見会社員風のその男の右手には、一振りの剣。赤をおびた銀色の刀身を持つ、両刃の剣。
「騎士様の登場、か」
静かに刀を構え、呟くカラス。その目前で男が――政臣が――構えた剣から、めらりと炎が立ち昇った。