18.うたかた 壱之続
――殺す。殺して、殺して、殺して、殺し尽くすのだ。あの御方が安らかに旅立てるように、私はあの御方の為なら鬼にでも修羅にでもなろう。
――その男は、城門の前に立っていた。全身を血に染め真紅の瞳を慧々と輝かせるその姿は、鬼か、修羅か……。
男が片手に提げている刀は血と油でてらてらと輝いていたが、不思議と刃こぼれはしておらず、何やら黒い霧のようなものがその刀身にまとわりついていた。
「ここは、通さない」
男の声は、存外に落ち着いた低い声。取り囲む何百人もの兵達に怯むそぶりも見せず、静かに刀を構える。
「怯むなッ、相手は一人ぞ!」
将の号令に兵達が刀を抜き、一斉にその男へと斬りかかった。そしてその次の瞬間、……兵達の腕が宙に飛んだ。
男へと刀を振り下ろそうとしていた兵達の腕が男の刀の一振りで斬り飛ばされ、更に返す刄で悲鳴をあげる隙も無く首を落とされる。
噴き出した紅が男の身体を更に染めて、そこに立つのはまるで、ひとの形をした紅色の鬼。
「紅の鴉津は鬼神の如くと聞いてはいたが、まさかこれほどとは……!」
将の呟きにも、兵達のざわめきにも、男は何の反応も示さずに佇んでいた。男の周囲に広がる死屍累々、それらにさえ。
――無造作に構えた刀の切っ先から、紅色の雫が滴り落ちる。虚ろな紅色の瞳が、兵達を見やる。
「……I am your DEATH,understand ?」
男が呟いた異国の言葉を皮切りに、その一方的な虐殺は始まった。
男が刀を一度振るうと肉が斬られ、二度振るうと骨が断たれる。兵達の間を縫うように駆けたかと思えば、その背から闇色の翼を生やして空を舞う。―― 一瞬きの間にひとつ、どころではない。一瞬きの間に片手では足りぬ程のいのちが喪われ……否、毟り取られ搾取される。
――主の為ならば、どれほど汚れようと構わない。あの御方を、守る為ならば……。
男はふと、その動きを止めた。
「……私は、……」
無造作に刀の切っ先を下げ、その全身から発せられていた切れるような殺気が薄れる。
――あの御方を守る為なら、幾ら血に汚れても構わない。だが今、この瞬間、あの御方は死のうとしている。……あの御方を守りたかった。その筈なのに、ただそれだけが自分の望みだった筈なのに、何故……今、自分は、戦っている? あの御方を、……殺す、為に?
「戦場で呆けるとは、愚かなり!」
男の背後から斬りかかってきた兵は、視認出来ない程の速度で振り抜かれた男の刀に斬り倒される。
男は何処か憑き物の落ちたような、愕然とするような表情を浮かべてくるりと振り返り、つい先刻己が出てきた城を見やる。燃え上がる炎が激しさを増し、今にも崩れ落ちそうなその城を。
――そして突然駆け出した。城の中へと、向かって。
「御館様!」
叫びながら城内を駆ける男。もうもうと渦巻く熱と煙と火の粉をものともせずにあの襖の前へと辿り着き、向こう側へ声をかける。
「御館様、何も御館様が死なれずとも良いではありませんか。
……逃げましょう、御館様を害する者など居ない場所へ。そして、穏やかに暮らして……」
男の声は震えていた。……男は気付いていたのだ。襖の向こう側から漂う、自分のものでも無く、自分が殺した敵兵のものでも無い――甘美なまでに芳しい血の、香りに。
「御館様……」
男は震える手を伸ばし、ゆっくりと襖を開けた。血の香りは更に強くなり、そこに現れた光景に男は泣き出しそうな笑みを浮かべた。
――物言わぬ死体と化した、男の主がそこにいた。
もう動かない体は横倒しになり、力の抜けた右手の近くには短刀が転がっていた。床に広がる元は純白だった髪は血に濡れて、……白い喉がぱっくりと割れ、そこから赤黒い固まりが溢れていた。
男はふらふらとその死体に歩み寄り、躊躇無く抱きかかえると座り込んだ。それからとても静かな声で、独白を続ける。
「御館様、私が……私が、もう少し早く……申し訳有りません……」
その独白はひどく穏やかで。
「……この償いは、必ずや……嗚呼、御館様……」
その独白はひどく悲しげで。
「……必ずや」
その独白は、
「私が」
ひどく、
「貴女を生まれ変わらせて差し上げますから……」
――狂っていた。
「…………」
政臣は黙ってその日記らしき本を閉じた。隣で一緒にそれを覗き込んでいたダークはひとつ溜め息をつくと、天井を見上げながら静かに言葉を紡ぐ。
「……そう言えば先代が言ってたな。紅の家のはじまりは、何百年も前に居たアルビノのお姫様だって……」
――カラスの部屋の本棚裏から見付かった扉、それを開くと現れた階段を下り辿り着いた場所。ひんやりとした空気に満たされた、石造りの部屋。
その部屋の中央に置かれていた棺――恐らくはカラスの物だろう――の中にあったのが、先程の日記だった。
「……好きだったんだな。立場とか種族とか、そういうの全部飛び越えて」
何処か苦しげな、切なげな様子でごちるダークをちらりと見た政臣は、鼻を鳴らすと日記を棺へと投げ捨てた。
「哀れだとは思うがそれだけだ、僕から環希さんを奪う理由にはならない」
「アンタ、なぁ……」
呆れた様子で言うダークに、政臣は更に続ける。
「この『御館様』とやらが生まれ変わる為に環希さんが『器』にされたのなら……急げばまだ間に合う」
「……え?」
怪訝そうなダークを見やり、政臣は眉を寄せると髪の毛をかきあげ、部屋の出口へと向かいながら説明口調で言葉を紡ぐ。
「生まれ変わる『器』にするのなら、『中身』はどうする?
『中身』……魂は極めて安定した存在だ、世界に存在する魂の総数が一定である以上……まあ、これは長くなるからいいか……とにかく、魂を『器』である肉体から追い出す事は出来ても、無理矢理消滅させる事は出来ない。
……魂が輪廻の輪に乗る前に、『器』を取り戻せれば……在るべきものは在るべき場所へ」
「そうか……!
あ、だけどどこに居るかがわからなきゃ……」
扉へと手をかけた政臣は動きを止め、振り返らずに言葉を吐いた。何処か苦々しげな声色。
「……奴は、僕に似ている。
僕がもし、永い間離れていた大切な人と久し振りに共に過ごすなら……」
そこで言葉を止めて、暫し黙り込んで待つような仕草をしてから再び口を開き、
「ヒントは三つ。
海の近くで、戦で焼け落ちた城があって、今は人気の無い場所。
……これで見付からなければ、うちの部下とそっちの従僕は余程の無能揃いだ」
それから扉を開き、部屋を後にする政臣。その後を追うダーク。
冷たい石室の空気は、再び静寂を取り戻した……。