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Blood Queen  作者: 新矢 晋
16/24

16.噐

 男の、獣のような咆哮。

 普段の穏やかな表情を脱ぎ捨てて、その男は……政臣は、他の男に抱かれている愛しい彼女――瞳を閉じたまま、その胸を刀に貫かれて微動だにしない環希――に向かって悲痛な叫びをあげた。


「環希さんッ……!」


 そして政臣は、その焼けただれた右腕を突き出し、冷静さの欠片も無い声音で絶叫する。


「来いッ、レー……」


 だが、それは途中で遮られた。部屋に飛込んできた銀髪の吸血鬼、従僕ダークが、政臣の右腕を掴んで押さえ込んでいた。


「馬鹿、そんな状態で『魔剣』なんか呼んだら腕が吹き飛ぶぞ!」


「……ッ、離せ!」


 暴れる政臣を羽交い締めにして、ダークは改めてその部屋の状況を見やる。

 ――部屋の中央で壮年の吸血鬼、従僕カラスが、紅の女王たる環希を抱きかかえている。それだけならそれほどおかしくはない。異常なのは、……環希の胸を貫いて背中から生えている、銀色の刃。


「遅い。また、間に合わなかったな」


 カラスがそう呟き、ダークはそちらを睨みつけながら口を開く。


「……いつからだ。

 いつから企んでやがったこの狸爺ィ……!」


 ふ、と。カラスが口元を緩める。それは、とても……冷たく。


「『はじめから』だ、愚かな道化。

 はじめから私は、あの御方の為だけに」


 そのまま片腕で環希を抱え込み、深い紅色の瞳を細めるカラス。


「さようなら、二人とも。……『器』は完成した」


 ぶわ、とカラスの周囲に霧が渦巻き、それはカラスの背に収束して翼を形作る。――その姿は、まるで贄を拐う悪魔。

 政臣がダークを振り払い、必死に手を伸ばしたが、その手は虚しく空を掴む。

 乙女を抱いた悪魔は――環希を抱いたカラスは――窓から外へと飛び去った……。




 ――とても、くるしい。

 私はここに居たいのに、誰かが私を引き擦ろうとしている。


『……すまない』


 誰?


『その身体借り受ける。

 ……私の、遠い遠い娘』


 駄目、来ないで。私の居場所、とらないで。


『少しの辛抱だ、眠って……』


 とらないで、

「私」を……

「私」を、とらないで……。


『……哀れな娘』


 ずるり、と。引き擦られて――




 ――数刻後、何処かの屋敷の一室、寝台の上にて、ひとりの女が意識を取り戻していた。女はゆっくりと上半身を起こし、胸に走った鈍痛に顔をしかめる。

 艶やかな長い黒髪をかきあげてぼんやりと宙を眺める女の姿形は、紅の女王たる紅環希そのひとだったが、その纏う雰囲気は決定的に違っていた。


「……お、やかたさま」


 突如響いたのは、低く途切れ途切れの男の声。部屋の扉を入ったところで足を止めて、女を見つめる銀髪の吸血鬼の声。

 ――ばさ、と床に落ちたのは、その腕に抱えられていた着物。


「御館様……!」


 女へと一息に距離を詰め、寝台の前に跪く男。頭を垂れてから、感極まったように声を震わせる。


「貴女が逝ってしまわれてから、ただ、この日の事だけを……」


 その言葉を遮るように、女がそっと手を差し伸べ、男の頬に触れて顔を上げさせる。

 戸惑うような紅色の瞳で女を見上げる男に、女はゆっくりと顔を近付け、そして、口付けた。

 ――ひと呼吸ほど置いてから女が身体を離すのに、男はその腕を掴んで引き止める。……そして、再びふたりの影はひとつになった。


「すまない、鴉津……」


 唇が離れて第一声、女は男の左腕が在るべき場所に視線を流しながらそう呟いた。

 男も一瞬そちらに目を向けたが、唇を緩めると頭を振る。


「いえ……この程度なら、御館様の血を頂ければ……」


 男の口元から覗くのは、鋭い犬歯。女はひとつ頷くと自らの襟元に手を伸ばしたが、眉を潜めると手を止めた。

 怪訝そうにそれを見ていた男は、何かに思い至ったような顔をすると、女の襟元に手を伸ばした。


「……失礼致します」


 そのまま、服をはだけさせてゆく。鎖骨のあたりが露になったところで、手を止めた。


「後で御着物に着替えましょうか」


 女は頷き、それから頭を傾げて首筋を男に向けた。――男は瞳を細めると、女の首筋へと顔を埋める。


「……頂きます」


 す、とそこに舌を這わせてから、牙を突き立ててゆく。皮膚を突き破り潜り込むそれに、女の身体が強張る。

 男は瞳を閉じたまま、どこか恍惚としているようにも見える。……上下する、喉。


「あ、……鴉津……」


 僅かに震えた女の声に、男ははたと瞳を開いて、女の首筋に突き立てた牙を抜く。そのあとに残った傷をぺろりと舐めあげてから、顔を上げた。


「申し訳有りません、久方振りだったものですから……その、とても美味しくて……」


 ――言い訳は途切れ、身体の周囲に霧が舞う。男の左腕が在った場所に霧が集まり、徐々に腕の形を作ってゆく。

 数刻後、完全に左腕が再生され、男は軽く手を握ったり開いたりしてから、口元を緩めた。


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