ミュンヒハウゼン
――ミュンヒハウゼン症候群は虚偽性障害に分類される精神疾患の一種。症例として周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自らの体を傷付けたりするといった行動が見られる。1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され、「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族ミュンヒハウゼン男爵にちなんで命名された。(フリー百科事典 Wikipediaより引用)
――あたしという人間そのもの単体に価値などない。あたしという存在はあまりにもちっぽけで空気中をふよふよと漂う塵のように頼りなくて、儚い。地球という巨大なチェス盤の上に置かれた七十億の駒のうち一つで、いくらでも代わりのきく存在であるあたしになんの価値があるのだろう。足場は酷く不安定で今にも崩れ落ちて、奈落の底へと落ちていきそうな気がしてしょうがない。綱渡りをするかのような酷く危ういのがあたしという存在。一歩足を踏み外したら真っ逆さまだ。ぐちゃぐちゃにもつれた感情に埋もれて、抜けだせない。
存在さえ危うい、輪郭すらおぼろげな自分を保つために、あたしは今日も嘘を吐く。こうすることでしか自分を保てないから。自分の足で立つことすらままならないから。他者との関係に依存して、必死に関心や同情を引こうとして呼吸をするように嘘を吐く。そうすることでしか自分の心を満たす事が出来ないから。皆があたしの事を考えているというだけで、その間だけ自己満足に浸ることができる。皆は優しいからあたしのことを疑わない。あたしのお芝居を皆は本当だと信じ込んでいる。
あたしはこの自己満足に浸っていたいから。皆の関心を引き寄せたいから。いつものようにカッターナイフを握る。鈍色の光が蛍光灯の光を反射してキラリと光り輝く。皆の関心を引き寄せられる、そう考えたらこんな痛みなんて――――
銀色の光が奔った。
――もう、あたしはとっくに迷子になっていた。何にも価値を見いだせない空っぽで虚ろな自分を偽るために他人の関心を引こうとした。皆は優しいから。心配してくれるから。その間だけは満たされているから。でも、一回同情されたり優しくされたりするともっと欲しくなって。もっと、もっと、もっとって求めていたらいつの間にか抜け出せなくなっていた。もうとっくに道を踏みはずして堕ちていたんだ。感情の整理もままならなず、埋もれて行った思いはもう――――
嗚呼、ほらあたしってばこんなにも可哀想。