聖夜、恋に哀しむ
「……大好きだったのよ」
涙を流して紅茶を飲む彼女。
「ごめんな……」
手を握り締めて顔を伏せる彼。離れた場所で呟く二人に、私は唇をかみしめた。
最初に見た二人ははにかんでいて。次に見た二人は幸せそうで。――最後に見た二人は、苦しそうだった。
なんでなの、神様。どうして、優しい二人がこんなに苦しむの?
ああ――なんで、こんなことに。
**
私の父は紅茶を入れるのが昔から大好きで、喫茶店を開くのが夢だったらしい。そしてその夢を叶えて、こじんまりとしたこの喫茶店をつくった。
母は早くに死んでしまい、父は一人で私を育ててくれた。私は、憧れの父も紅茶も喫茶店も、美味しいと言って笑ってくれるお客さまが大好きだった。だから気づけば私は、喫茶店の仕事を手伝って毎日をのんびりと暮していた。
そんな、ある日のことだった。
買い出しに出ていた私は、放心状態の男の子を見つけた。人がいったりきたりするこの忙しない道路でしゃがみこみ、ぴくりともしない彼が心配だったのだ。
声をかけて喫茶店に招き入れると、彼はまるで狐につままれた様に茫然としていた。
彼は、恋をしたのだという。
あまりに大げさなものだから私は笑った。それ以来、特等席に座って話してくれる、彼の恋愛事情を聞くのが毎日の楽しみになっていた。
女の子の気をひくにはどうすればいいか。迷惑だと思われないか。緊張して話せないと慌てていた彼には、つい失笑してしまった。
楽しそうに彼女のことを話す彼を見るのが好きで、いつの間にか不毛な恋をしていた。
頬を染めて彼女が如何に素敵かと語る彼はいきいきとしていた。私の気持ちも知らずにはしゃぐ彼が愛しくて、虚しいと思うはずなのに幸せだと感じる私がいて。やがて私は、彼女に恋をする彼が好きなのだと気付いた。
しばらくすると彼は、彼女と付き合い始めた。
喫茶店に彼と来た彼女は、とても綺麗な人だった。艶のある黒髪、白い肌。儚げで静かな、とても優しそうな人だった。
彼はいつもの席に彼女を座らせて、自分はその隣に座った。そう簡単に譲れる席だったのか、と落胆しつつも、はにかんで彼を見つめる彼女に見惚れた。
ほんわかとした二人のオーラに癒されて、私は二人に注文された紅茶とシフォンケーキを出した。
おいしい、と思わずといった表情で言う彼女に、私は満面の笑顔でありがとうございます、と返した。少し恥ずかしそうに顔を伏せながらも笑う彼女を、彼は愛おしそうに見つめる。
ああ、なんてお似合いなのだろう? とても愛らしい、カップルだ。
恋敵のはずなのに私にすら優しく笑んでくれる彼女。そんな彼女を大切そうに熱のこもった目で見つめる彼。これ以上ない位愛らしくて、私は思わず微笑んだ。
ずっと、この二人が幸せでいてくれたらいい。そう願っていたのに。
冬の、ある日のことだ。しばらくご無沙汰だった彼は突然喫茶店に来て、息を切らせ頬を赤くさせながら私に尋ねた。
ここで雇ってはくれないか、と。
なんでも、欲しいものがあるらしい。彼女さんに? と笑って尋ねると、ごまかすように笑ったのだから間違いないだろう。父に尋ねると、二つ返事で頷いた。彼は安心したように笑い、次の日から必死に働くようになった。
まるで、何かに取りつかれたようだった。何かに没頭しなければ、なにかとてつもない事を仕出かしてしまうとでもいうかのように、彼は必死だった。とても、焦っていた。
きっと彼は、彼女に何かを贈るのだろう。冬と言えばクリスマスだ。二人はその日も、幸せそうに笑い合っているのだろうか? そう思って、妙な胸騒ぎを押し殺した。
そして訪れる、クリスマスイブのこと。寒い寒い空の下訪れた女性のお客さんに、私は茫然とした。
彼女は、一人だった。
待ちぼうけをしたように鼻を赤くさせて、冷え切った指先にも気がつかないくらい何かに傷付いたような顔をしていた。
いらっしゃいませ、とお店の中へ迎えいれる。はじめて、美しい彼女をぬけがらの様だと思った。
一体どうしたのだろうか――尋ねたくても、私は尋ねられなかった。
彼女は、お客様なのだ。私にできるのは、私たちにできるのは彼女にあたたかな紅茶とケーキを差し出すだけ。それで笑ってくれる彼女たちを、私は大切に迎え入れることしかできない。
何故なのだろう?
脳裏に、幸せそうに笑う二人の姿が思い浮かぶ。恥ずかしそうに、それでも幸せいっぱいなその笑顔が、私は好きだった。二人して美味しいね、と言ってくれたその笑顔、あたたかさが大好きだったのに。
外では、真っ白い雪がゆっくりとふっている。暗い暗い空からおちてくるそれが無性にむなしくて、硝子にふれて溶けたそれが無性にかなしくて、私は注文の品へと目をそむけた。
外では凍えるような寒さの下、ゆっくりと雪が積もっていく。店内ではあたたかな空気の中、ゆっくりとクラッシック音楽が流れている。
しばらくして訪れた彼も、やがてこのあたたかな店から出て、寒空の下、歩いて行くのだろうか――
からんころん。憎らしいほど軽快な音を立てたベルに、ぼんやりとしていた私は慌ててお客さんの元へと向かった。
ここは、喫茶店。私の父の、宝物。そして私の、家である。
「いらっしゃいませえ」
少し舌足らずな声だけれど、私はにっこりと笑ってお客さんを迎え入れた。
ああ、今度は可愛らしいカップルだ。初々しい、はにかみながら手をつなぐ二人に小さく目を伏せる。ほんの少し、軋むような痛みを訴える胸には、気がつかないふりをした。
それは、雪が降り続けるクリスマスイブのこと。
二人は涙を流し、別れた。些細なすれ違いに悩み、苦しむその姿のなんと美しいことか。なんと愛おしいことか。なんと哀しいことか――
以来訪れることのなくなった二人を、私は今でも待ち続けている。やがて二人が幸せそうに手をつなぎ、笑いあう姿を。
ねえ神様、二人は今、幸せかしら?