06 酒場
一階の酒場のカウンターでジンと、灰色のローブを着た人物が、何やら深刻そうに話している。ジンが手紙を直ちに一番早いある方法で送り、この人物を呼び寄せたのだ。
ローブのフードを目深に被っているのは、人目を気にしているからか。建物の中でフードを脱がずにいるのは、不自然に見える。だが、この不自然さに目をひそめるものはいない。さっきまで人で賑わっていた酒場には、今はこの二人だけだ。店の外のドアには、『閉店』の文字が浮かんでいる。
「なぁ、ヴィンス。いい加減そのウザってぇフードをとったらどうだ?」
ジンが苛々した声でヴィンスと呼ばれた人物に問いかける。その声とは裏腹に、カウンターに頬杖をついて、相手を見つめる顔はニヤついている。
ヴィンスと呼ばれた人物は、フードを脱ぐ。ウェーブした漆黒の髪にいくらか白髪が混ざってはいるが、若々しい印象を受けるその甘いマスクに、困惑の表情を浮かべ、薄紫色の双眼を伏せ、大きなため息を吐く。
「そのニヤついた顔を見ないで済むように被ってたんですよ。ジン・ファミエール団長」
「言うようになったな、ヴィンセント。団長はやめろ。今はお前が団長だろ?」
ジンは、短くツンツンと立てたアッシュブラウンの髪をポリポリ掻きながら苦笑した。だが、ヴィンセントを見るその深蒼色の瞳は優しい。
「貴方が俺に押し付けたからだろ? 自分だけさっさと引退して。まだこんなにピンピンしてるのに。副団長は謎の失踪をするし。どうしてくれるんですか」
「わるかったよ、ヴィンス。まだあいつは見つからないのか?」
「……はい。全然足取りをつかめないんですよ。まるで消えたみたいだ」
「……」
ジンは顔を顰め、考え込む。
「……エリス……か?」とジンは呟く。
「エリスって、あのエリスですか? ジンさん、もしかしてアイツも組織の仕事を……?」
ヴィンセントは驚きに満ちた顔でジンを見る。
「いや、アイツは組織の人間じゃない。ただ、少し引っかかるんだ……」
「もう訳がわからないです。ジンさんもエヴァもずっと俺に防人のこと隠してたし。……俺は、憧れの団長がいるから魔法騎士団に入ったのに、俺に団長押し付けて辞めるしな」
ヴィンセントは恨みがましい目でジンを見つめ続ける。
「組織のこともあんまり教えてくれない癖に、かと思えば気まぐれに俺に小出しに情報流す。俺は気になってついつい調べてしまう。これは貴方の策略ですか? 義兄さん。どうしてくれるんですか」
ヴィンセントは一気に捲し立て、ジンに詰め寄る。
「……わ、悪かったな」
ヴィンセントのあまりの迫力に、ジンは頬杖から顔を落とし唸る。
「悪いって思うんなら、エヴァを返してください」
「おい、シスコン。悪いが妻は変態シスコンのいる実家になんて帰さないぞ」
不穏な空気が立ち込めるが、階段を下ってくる人物によってその空気は破られた。
「何バカなこと言ってるの! 二人とも、喧嘩しないの。兄様、元気そうね」
ヴィンセントと良く似た同じ漆黒の髪に薄紫色の瞳をした艶っぽいマダムが二階から降りてきた。
エヴァだ。
「兄様も早く結婚すればいいのに。ねぇジン?」
「そうだな。早く結婚しろ。もう40だろ?」
ヴィンセントは引き攣った笑みを浮かべ「努力するよ」とのたまう。
「そういえば……アイツはもう寝たか? エヴァ」
ジンはエヴァに耳打ちする。
そんな二人の様子を見て、ヴィンセントはまたいじけて「どうせ俺なんて…… 」とぶつぶつ呟いている。
「おい、ヴィンス。いじけるなよ。お前に娘をやる」
「お断りします」と即答。
「何かかん違いしてないか? 娘の後見を頼みたいんだ」
「お断りします。大体、アイツは男でしょう」
ジンはふぅーっとため息をつく。
「やっぱり勘違いしてるな。娘の後見だが息子として扱って欲しいんだ」
「だから、嫌です。あのジャックを俺が後見? いくらジンさんの頼みでもお断りです」
やはり勘違いしてるな、とジンは苦笑する。
「おい、クリスティーヌのことじゃない」
ヴィンセントは苛々と青筋を立て、バンっとカウンターをたたく。
「ジンさん、あいつは歴とした男ですよ。ジャックって名前でクリスティーヌの名を騙って女装しているが。本当に困った甥っ子だ。あいつは本当は女ったらしのくせに……」
「あいつがクリスティーヌの名を騙るのには……。いや、やめておこう」
「兄様、ジャックのことを頼みたいわけじゃないの。今日ここに訪ねてきた子を後見してもらいたいのよ。そうでしょ、ジン?」
「そうだ、エヴァ。今二階で休んでる子なんだ、ヴィンセント・カスティリオーニ頼まれてくれないか?」
フルネームで呼ばれたヴィンセントは、姿勢を正す。
「事情を教えてくれないか? それから考えさせてもらおう。ジン・ファミエール」
◆ ◆ ◆
コンコン。
ドアを叩く音が聞こえ、エリカはそっと扉を開く。そこには艶めく黒髪の薄紫色の瞳をした綺麗な女の人が優しい笑みをたたえて立っていた。
「あの?」
エリカは、その女の人が誰だかわからず、何の為に訪ねてきたのだろうと首を傾ける。
そんなエリカの様子にエヴァは、にっこり笑って提案する。
「私はエヴァ。ジンの妻よ。何か私にお役に立てることはないかしら?」
そんなエヴァの言葉にエリカは、涙を浮かべた。
「エヴァさぁん。私……あの、僕、ココのこと何にもわからなくて。どうすればいいかわかんなくて。それでそれで……」
エヴァは、パニックになっているエリカの頭をそっと撫でた。
「あなたのことはジンから聞いてるわ。エリカ、大丈夫よ。女同士しかわからない悩みがあると思うから、遠慮なく何でも頼って。ね?」
「……はい。ありがとう、エヴァさん。あの……私お風呂に入りたいです。それと着替えがなくて」
「お安いご用よ」とエヴァはウィンクする。
右手をスナップしたかと思うとエヴァの腕には、下着やら服やらが山積みに乗かっている。
「……何?!」
(どうなってるの?)
「はい。コレ使って頂戴ね。下着は私の服は息子のだけど。我慢してちょうだいね?」
「……はい。ありがとうございます! 今のって……魔法ですか?」
「えっ?」と首を傾げるエヴァ。
「貴方、魔法を知らないの?」
エヴァに問われ、エリカは正直に話して良いものなのか、悩んでしまう。
ジンもエヴァも信頼できそうな人達だから正直に今までの経過を話すことにした。きっと力になってくれるはずだ。
「はい。……私、異世界から来たみたいなんです」
「……え?」
エヴァは、薄紫色の瞳を大きく見開き、声を失っている。
「コレって言ったらまずかった……ですか?」
「ごめんなさいね。あんまり驚いてしまったから。貴方エリスから来たの?」
(ジンさんにも同じこと聞かれたな…… )
「エリスってなんですか? ジンさんにも聞かれたんですけど。何を言われているのかわからなくて」
エヴァは、しばらく考え込んでいたが、にっこり微笑んでこう言った。
「詳しいことはまた明日。ジンに聞いて頂戴。まずは、お風呂に案内するわね?」
エリカはエヴァについて部屋を出て行き、お風呂場だというところに案内される。エヴァが浴槽に手をかざすと、さっきまで空っぽだった浴槽にお湯がたまっている。
魔法なのか。
どういう仕組みになっているんだろうとエリカの頭はさっきからフル回転だ。
エヴァはエリカに石鹸とタオルを手渡すと「これを使ってね、あと必要なものは、大丈夫だと思うけど……着替えはそこに置いておくわね」と出て行った。
エリカは久しぶりのお風呂に感動した。川で水浴びをしてはいたが、先程全身鏡の前を通った時に映った自身の姿はまさに浮浪児のようだった。あれならジンに男の子に間違えられたのも仕方がない。
エリカはシャワーや蛇口をひねろうを手を伸ばす。
だが、彼女の伸ばした手は空をきる。瞑っていた目を開き探すが見当たらない。
もしかしてと脳裏をすぎる。先程エヴァがお湯をはってくれたのも魔法だった。
「この世界って魔法が使えないと生活出来ないんじゃ……」
湯船の中で独り言ち、サーっと蒼ざめる。でも今まで野宿でもなんとかなったから大丈夫だと楽観的に考え直した。
「とりあえず、なんとかなるよね」
お風呂から上がったエリカは、用意されている服に着替え部屋に戻った。紫色のカラコンをはずし、少しぼやけた視界の中ベットに入る。なんだかとても長い夜だった。野宿生活では日暮れとともに寝て、夜明けとともに起きる生活をしていたから尚更だ。とりあえず明日の朝二人に相談して、色々考えることにしようとエリカは目をつぶった。
(眩しいな、コレ)
エリカは天井に浮かんでいる光を消そうと、スイッチを探すが、見当たらない。
「コレも魔法か……」
エリカはガバっと布団の中に潜り目を瞑る。次の瞬間には、もう寝息をたてていた。