44 飛鉱艇 14
ぞろぞろと現れた神秘的で不気味な人々。闇のような濃紺のローブを目深に被り面が口元まで隠れている。皆一様に纏っている揃いのローブの背には、風の元素の符号が銀糸で刺繍されていた。音素文字であるハウメリス文字のずっと以前よりあった象形文字のそれは、魔の力を宿していると伝えられている。風使いとも揶揄される飛鉱石上昇魔術航空士、風魔術師の魔力を高めてくれるのだろう。役割ごとに名称は違っているが、同じ魔術を操る者。特に風の魔法に長けている者たちだ。元素の加護で魔力を増幅させ飛鉱石を天空へと上昇させ、三つ方角に向いた魔帆に風を送り進路を決め天空を翔ける。
人目に触れない詠唱室。母なる大地の土が敷き詰められ、部屋全体に魔力を高める元素を幾重にも綴った魔方陣が魔鉱石を砕いた結晶の粉で描かれている。淡く七色に変化する魔方陣の真上に空の色を湛えたツンと尖ったマーキースシェイプに切り出された飛鉱石が浮かんでいる。
彼らが詰めているのはそんな場所だった。
一般三等船員のナスラは彼らに合図を送る。飛鉱艇と桟橋を繋ぐ舷梯を下すのに力を借りるのだ。いつもはそれぞれの持ち場である飛鉱石や魔帆がある船の中枢にいる彼らだが、たまにこういった人目の前に晒される時もあった。
『古の言葉を聞け。音なき静かなる風によって舷梯を動かせ』
古語で紡がれた詠唱によって音もなく舷梯が桟橋へと渡された。
どっと人が押し寄せる。人々の波によって甲板へ開かれた潜戸はあっと言う間に目前まで人の列に埋もれてしまう。
「げっ、これどうすんだ? 俺ら潰されるんじゃ……」
あまりの興奮に暴徒と化した乗客たちの行進にモーリーが悪態をついた。
門戸には結界がはってあるため、まだ甲板には混乱がないのが救いだ。
「どうするって……なぁ?」
マルクスの顔も引き攣っている。
騒がしい船外の様子に目を奪われている間に、魔術師たちは姿を消していた。
「あっ、いなくなった」
思わず漏れた言葉にモーリーもナスラ船員の後ろの空間に目を向けた。
「あぁ、戻ったんだろう。詠唱室に」
気にも留めないのは、それが特段特別なことでもないからだ。モーリーはそれよりも乗客たちの様子に注意を向ける。どっと押し寄せてきているはずの人々が一見何も遮るもののない舷梯と飛鉱艇の境界で足止めされている。
舷梯側にいる小さな男の子が好奇心に手を伸ばす。が、一瞬空間がたわんだかに見えたが弾き返されるように男の子の手を跳ね返した。
「こっちに来れなくなってる……?」
マルクスがモーリーの目線の先に視線を向け驚きに目を見開く。
「あれだよ。結界魔法。上級魔法だ。一定の条件を満たさないとくぐれないんだ」
男の子の手が触れた瞬間、たわんだ空間に薄らと浮き上がった淡い光は結界魔法の魔方陣だった。
「いいですか、皆さん。お客様に失礼のないように! さぁ、まずはご高齢の方々をお通ししなさい」
ナスラ船員が熊のような声を張り上げる。野人のような姿形やこぼれ出るしゃがれ声と紳士的な物言いが、印象の隔たりを一層際立たせている。それが妙な迫力を生んでいた。
「アイル! ル・ナスラ」
吶喊の声が上がる。
ナスラが大きな図体を揺らしながら舷梯へ続く門の前で大仰に膝を着く。芝居がかった仕草がずんぐりとした姿と相まって、道化のようだ。普段の粗野な言動も何もかもこの男には至極似合っていたが、乗客たちを迎えるにあたって封印するらしい。
乗り込み口のナスラの後ろに同じ等級の船員たちも整列する。上官たちが片手を挙げ、我々臨時職員に視線を送る。
「お客様たちのお荷物をお運びしなさい」
囁くように近くにいる船員が指示を出す。
「アイル」
モーリーは微かな声で返事をした。
いよいよ乗船が始まる。船員たちの緊張感が伝染する。
『古の言葉を聞け……』
先程まで姿が見えなかった魔術師が整列している船員たちの間から呪文を詠む。
「ようこそ! アストライオス号へ」
最初に足を踏み入れたのは、上品なただ住まいの老夫婦だった。夫であろう老紳士が妻に手を貸し、甲板へと乗り込んだ。それを皮切りに高齢の方々がどんどんと乗り込んでくる。あっという間に甲板はご老体方で埋め尽くされた。
「何をしておられるのですか?! 早くご案内差し上げるのです」
丁寧な物言いだが、声質は鋭い。
「は、はい。アイル」
一気に活気づいた飛鉱艇。目が回るような忙しさだ。マルクスとモーリーは無心で荷を運び、乗客たちを部屋へと案内する。どんどんと結界の条件を魔術で変化させているのか、高齢者たちが部屋へと落ち着いたころには、女性たちや子供たちも乗船を始めている。
「そこのお前、いつまで待たせる気だ! 私を誰だと思っておるのだ」
立派なマントを羽織り、繊細な刺繍を施された上質な生地で紡がれた煌びやかな服装。貴族。それも気難しい壮年の男性だ。
身分に捉われない乗船。それは特権階級には不満なようだ。
「申し訳ございませんが、俺の一存ではわかりかねます」
マルクスは冷静に返答した。
「貴様、生意気な口をきくでない!」
が、それが却って男の神経を逆なでしたようだ。
「我がアストライオス号の指針に、何かご不満でも?」
一瞬言葉を失う。どこぞの貴公子と言われても疑わない立派な身なりの壮年の男性は、ガイ・フォースナー船長その人だった。