39 飛鉱艇 9
「皆さん、揃ったようですね」
直属の上司であろう船員が第三ホールの群衆を見渡す。
エリカとウィルは一番前に、モーリーとマルクスは何列か後ろの少し離れた場所にいた。きつい言葉を残したままひとり先に部屋を出たので、気まずい雰囲気だ。
すぐにいつもどうり話せば瑣末な笑い話ですんだろうに状況が許してくれなかった。モーリー達のところに行こうにも、ごった返した人をかき分けて戻るのも躊躇われた。
そうこういっているうちに説明がはじまった。皆集まったのか、少し予定を早めることになったらしい。
「私は、三等一般船員のナスラです。皆さんのような臨時船員の監督をしております。貴方達には毎日、飛鉱艇内の清掃と、明日から乗船してこられるお客様の荷持つをお部屋までお運びする役目を担っていただきます」
上品な語り口とは裏腹にナスラ船員は、野太い声に熊のような相貌だ。日に焼けた褐色の肌に濃茶の髪、髭と瞳。背は飛びぬけて高くはなかったが、体格が良いため大きく見えた。
「はい! ル・ナスラ」
古参がいるのか返事があがる。
「はい。ル・ナスラ」
遅れて他の者達も声をあげた。
「まずは荷粉を掃き出す! 持ち場を割ふる。間違っても魔法は使うなよ? デッキブラシの使い方はわかるな?」
「アイル!」
そろった返事に気を良くしたのか、自が出たしゃべりへと変わっていた。彼には上品さは似合わない。
見た目に苦労しているのであえて丁寧な話し方をしていたのかもしれない。フォースナー船長とそろって船員たちがぶっきらぼうだと、まさに海賊、空賊の一味に間違えられるに違いない。
「2部屋で1組のバディだ。部屋割ごとに固まってどこかと組みを作るように!」
「アイル!」
人々が動き出し4、5人に集まりだした。まずは部屋毎に散らばっていた人等が徒党を組む。
エリカはなるべくゆっくりと時間をかけながらモーリーとマルクスがいる方へと足を向けた。
仲直りってどうすればいいんだっけ……。こんな子供じみた喧嘩は久しぶりだ。
気まずさで俯きながら合流すると、いつもは賑やかでムードメーカーのモーリーが、とても静かでほとんど言葉を発しない。チラリとモーリーに視線を向けたが、目を逸らされた気がした。
「まだバディを組んでいない部屋を探そう。俺達は最後の方だ。ほとんどの部屋がもうバディを組みはじめてる」
ウィルが異様な雰囲気のメンバーをまとめる。
「そうですね。あの人たちはどうですか? ほら、こっちを見てる」
マルクスも無理して明るく振舞っている。
「いいんじゃねぇか」
ぼそりとモーリーが呟いた。
エリカはモーリーの方を見れなかった。また目をそらされると立ち直れないからだ。
どうしてこんなに拗れてしまったのだろう。
エリカが何も発しないでいるとモーリーの「クソッ」という悪態が聞こえた。
ますますエリカは仲直りのタイミングを逃してしまった。
「エリック、行こう」
ウィルがエリカの背を押す。
「……うん」
暗い気分になりながら、他部屋の男たちと合流する。5人それぞれ挨拶と自己紹介をしたが、モーリーの態度がずっと気になっていて、おざなりなまま終わった。短い期間だが同年代が集まる林間学校のように貴重な経験だ。お互いどんな相手だか気になるところ。色々な質問も飛び交ったが、エリカも、そしてモーリーも気のない返事をするだけなので、彼らは2人に話しかけるのをやめてしまった。
そんな自分にエリカは愛想がなくて性格の悪い奴だと思った。
エリカとモーリー2人の穴を埋めるように、ウィルとマルクスが彼らと色々と話をしているのを、ただ静かに何の気なしに集まった人々を見ながら聞き流していた。
甲板で行われたはじめの説明の時にはいた女たちがいない。彼女たちは違う職種を割り当てられたのだろう。比較的若い男たちが集まっているエリカたち臨時の清掃班、見習い客室係の仕事は、体力的に大変かもしれない。
全部の部屋がバディを組み終わった頃、ナスラ船員が指示をそれぞれの班に出し始めた。
「1班は甲板を。2班は第1層。3班は第4層。4班は第5層だ」
塊ごとになった組みに、ここは何班と声をかけながら、受け持ちの場所を決めていく。エリカたちの班は4班。第5層。荷を積む倉庫地区と家畜と魔従達の預かり所がある層だ。
それぞれ担当になった層の説明をしながら、各班につく上司の元へも指示を出す。
あとは直属の上司について学び、仕事をするようにと説明は終わった。
第5層へと移動し、注意点を何度も聞かされながら、手順を教えられる。まだ荷のほとんど積まれていない倉庫部分をまずは清掃することになった。
臨時のエリカたち4班の他にも、この艇の船員たちも一緒に清掃にあたる。彼らは荷をつるすクレーンのような機関部分や、何の用途に使うのかわからない精巧な機械らしいものの近くを掃除し、エリカたちには何も置かれていない床の清掃を命じた。
何百人も運ぶ飛鉱艇だ。その広さは伊達じゃない。根をあげたくなるような作業だったが、今は何も考えず没頭できる時間がありがたかった。
半分ほどの荷粉を掃き集めたところで、上官から声がかかった。
「お前ら休んでいいぞ。初日だから疲れただろう。めしの時間だ。一旦食べてからまた1時間後にここに集合だ」
そう言えば飛鉱艇に着いてからずっと何も口にしていない。緊張と喧嘩のストレスで空腹もすっかり忘れていた。思いだした途端、腹の音が鳴る。
22時。遅い夕食だ。
まだいぬ乗客たちの食事の時間とかぶらないようにずらした結果だそうだ。
「ありがたい」
他部屋の5人が作業をやめて帰っていく。エリカたちもブラシを置き、船員たちの食堂のある第4層へと向かった。
お互い口数も少ないまま食事も終わり、残りの作業も終えた。
些細な言い合いがここまで大きな喧嘩へと発展するなんてどうして思っただろう。
男同士なら殴り合いでもすればいいのかもしれない。そうすれば、お互い殴った後は笑って許しあえる気がする。
男のフリをしていても、なりきれない。女のいやらしい部分に吐き気がした。
自身の頑固さと素直に謝れない意気地の無さに嫌気がさしながら、部屋へと戻った。
泣くのは反則だ。
男装をやり遂げる為に自身に課した決まりごと。男らしく泣かないと決めた。
最近、あまりにも順調で笑顔で過ごせていたから忘れていた。
こんなことで泣くのは男らしくない。だから泣かない。
「エリック。身体を拭いてこい。浴室の場所はわかるか?」
荷物の整理をしている背中にウィルから声がかかる。
「艇内図を見たからわかる。片づけ終わったら行ってくるよ」
「わかった。俺達は先に行く。じゃあ後でな」
「了解」
ウィルとマルクスが部屋を出る。モーリーが一瞬留まり、エリカに話しかけようとしていたが、ベッドの方に身体を向けたまま振り返らずにいたため気付かなかった。
そんなエリカの様子にモーリーも部屋を出て行った。
部屋にひとりになり、ベッドに腰をおろす。
「今日だけ。……明日からはがんばろう」
弱気になるのは今だけ。明日からはちゃんと男らしく振舞う。そう自分に言い聞かせる。
浴室へ向かおうと立ち上がり、ふと気がついた。
「お風呂! どうしよう」
一番の心配ごとに蒼くなる。そうだった。エヴァからも言い聞かせられていた。男湯へは行けない。女湯へ行かなければ。方法は考えてきてある。
エリカは鞄に必要なものを詰め込み廊下を出てすぐの共同トイレへと駆け込んだ。
暫し女へと戻るのだ――。
*“アイル”は“Aye,sir.”のような返事。ヴァレンディア語。
“アイル”のルは、男性の敬称に使われる。ル・○○(姓)。
女性の敬称は、レ・○○(姓)。