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君を喚ぶ声  作者: 佳月紫華
第2章 旅の支度
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29 マルクス・ヨッカー 2

 歴史の授業が終わり生徒たちのいなくなった教室でエリカとマルクスは先程出された宿題について相談していた。


「マルクスこの後魔法の授業でしょ? 僕は授業ないんだ。マルクスが終わるまでちょっと調べておくよ」

「俺も魔法はトッテナイんだ。デモ待ってテ。モーリーにツタエテクルカラ」


 そう言うとマルクスは教室の外へと駈け始める。

 

「あ! マルクス、僕は図書館に行ってるから。そっちに来て」

 

 マルクスはエリカの言葉に「OK!」と返事をすると親指を立て腕を大きく振って出て行った。


「え……?! マルクスも魔法の授業受けないんだ……もしかして」


 考え込むようにマルクスの背中を見送った。  

 エリカはこの後しばらく時間が空く。これからある魔法の授業が免除されているからだ。

 かといってエリカは魔法が得意な訳では決してない。エリカが魔法は家庭で学ぶことを選択しているから授業を受けなくても構わないという理由からだ。

 魔法はエヴァから教わっている。まだ生活に必要な基本的な魔法しか習っていないが、彼女は良い教師だろうと思う。魔法に関する何の知識もないエリカに一から叩きこむのはとても骨の折れる仕事だと推測された。

 唯一救いがあったのは、エリカが魔法詠唱の際に使用する言葉の壁がなかったことだ。古語が話せたことは大きい。古語はヴァレンディア語と同じように自然と紡ぐことができた。それはエリカのかけているネックレスのお陰だ。

 貴石――故人の能力を秘めた特別な石。

 エリカのネックレストップは貴石だ。アメジストのような輝きを放つそれは、この世界で生き抜いた人の結晶らしい。

 悲しい思い出を語るように少し濁すようにぽつりぽつりと話してくれたことによると、どうやらこのハウメアでは亡くなった人は朽ちていくのではなく、世界に満ちるとか。

 エリカはあまり理解出来なかった。地球にある様々な宗教観や死生観とは根本的に違うような気がする。

 貴石は故人が消えてしまうのが悲しく傍にいてほしい、失いたくないたとえ姿が変わってしまっても……という思いから生まれたものだという。

 形は変われどミイラのようなもの。

 悲しいものだ。

 もちもん誰にでも出来ることではない。裕福で権力のあるものにしか許されない禁忌に近い儀式。庶民にはその知識さえも伝わってはいない。

 それがエリカが聞いた貴石の知識だ。

 そのおかげでエリカは今言葉や文字の書きとりなどで不自由していないという訳だ。

 唯、解せないのはなぜそんなものがエリカの手に入ったということだ。あの日、訳もわからず異世界ハウメアに迷い込み、森の中を彷徨っていたエリカが川の中でこれを見つけた。

 それは偶然だろうか――?


 エリカは教科書と筆記用具をまとめ鞄へしまうと、啓示板で図書室までの道順を調べる。

 軽く触れると透明だったそれは漆黒へと変化し、蛍光色で描かれたシンプルな地図が浮かび上がった。

 啓示板の地図を見ながら校舎の中を進んで行く。

 生徒たちがきゃっきゃと騒がしかった教室の辺りの廊下とは違い、図書室に近づくにつれ人は疎らになり静まりかえった環境がそこにはあった。


「あ……。ここか」


 見上げるほどの立派で重厚な造りの木製の両開き扉が開け放たれ、中へと(いざな)っている。

 そっと覗きこむと果てしのない空間が広がっている。本は十分な広さを確保された通路を幾つもつくっている本棚にびっしりと収まっており、迷い込みそうな空間で一息入れられるように所々に座り心地のよさそうなソファや一人かけの椅子もある。

 様々な大きさの机や窓からの光を助ける為の色とりどりの暖色の魔法光も浮かんでおり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。 本棚の間の通路を進んでいくと足音はふかふかな絨毯のお陰で全く響かない。エリカは図書室特有の古い本の匂いを胸一杯に吸い込んではーっと息を吐いた。


「本の匂いがする……」


 あちこちの本に目移りさせながら奥へ奥へと歩いて行くと、複雑に立ち並ぶ本棚で出来た迷路のような道にに入りこんでしまった。

 どちらが入って来た入口だろうか。

 マルクスがもうすぐ来るはずだから、わかりやすい場所へと引き換えそうと踵を返す。


「ウィリアム。どうしたんだい? また来たのか」


 聞き覚えのある声に足を止める。

 聞き間違えではないはずだ。先程までずっと聞いていた声なのだから。

 マンスフィールド教授の声だ。


「ベランジェおじさん。授業は終わったんですか?」


 立ち聞きは良くないと引き返し始めたエリカは再び歩みを止めてしまった。

 この声はウィルだ。

 どういうことなのだろう。2人は知り合い?


「また調べていたのか。君は本当に父上に似て歴史が好きだな」

「埋もれた史実の欠片を集めるのは男の浪漫ですから」 


 マンスフィールドの柔らかな笑い声が響いた。


「くくくっ……本当に君はカーティスにそっくりだ。あいつもよく悪戯を思いついたような瞳をキラキラさせながら私にハウメア記の考察を語っていたよ」

「よく言われます。兄妹みんな父に似て古いものが大好きなんです」


 朗らかに話している様子を推察すると知り合いなのだろう。


「まさか! みんなとはあのかわいい小さなリズ嬢もかい? 女の子なのに古臭い考古学に夢中だなんて変わっているな。カーティスに少し言ってやらないとな。そんなだと娘まで冒険に出たいと言い出すぞ! ってね」

「暗に俺を責めてるんですかっ。まぁリズはもう少しお転婆を直した方が良いのは同感です。母も手を焼いてるんですよ。目を離したらすぐに俺についてこようとするみたいで」


 賑やかに笑いながら家族の近況を話す様子にエリカは家族ぐるみの親しい仲なのだと推測した。

 思わず立ち聞きしてしまったが、本意ではない。

 そのまま場を後にし、入口を探しながら元来た道を引き返した。


 複雑に本棚が並び道作られている図書館の通路はまるで迷宮のようだ。

 入口を目指してしたのにどうやら違う方向に辿りついてしまったらしい。

 本棚の道が終わりを告げ、どうやら壁際には到達したようなのだが、さっきは見た覚えのないカウンターがある。

 キョロキョロと周りを見渡しながら近づいていくと、誰もいないはずのそこから声が聞こえる。


「迷子なのかえ? 新入生なのかしらねぇ」


 のんびりゆったりとした話し方のしゃがれた声がカウンターの下から伝わってくる。


「……え? 誰ですか?」


 そう言いながら声の聞こえるカウンターの前まで歩き覗きこんで見ると、「ヨイショ、ヨイショ」と小さな踏み台を持ちながらカウンターの中を歩いてくるとても小さな人がいる。


「よっこらしょ。やれやれ、これでお前さんに見えるかしらねぇ。大きな新入生さん」


 運んできた小さな踏み台に乗ると、くしゃくしゃの蜂蜜色の髪の毛に皺くちゃだが愛嬌のある顔に優しい茶色の目をしたおばあちゃんの顔が、カウンターからちょこんと現れた。

 

「あの……こんにちは」


 エリカは小さなおばあさんに深々と頭を下げた。


「おやおや、珍しい挨拶の仕方だねぇ。こんにちは」


 おばあさんの言葉にハッとする。頭を下げるお辞儀という挨拶はとても日本的なものだ。

 思わず笑って誤魔化した。


「あの、僕入口を探していて。あんまり広いから迷ったみたいなんです」


 エリカの言葉にうんうんと頷きながら、小さなおばあさんはにっこりと笑った。


「そうかい、そうかい。本にここは迷いやすい作りになっとるからねぇ。どれ、あたしゃが地図を描いてあげようねぇ」


 おばあさんはカウンターの内側の引き出しをゴソゴソと探り羊皮紙を取り出し、鉛筆でカウンター近辺の地図を描き、万年筆で道順を示してくれた。


「今がここさねぇ。それでこの道を真っ直ぐ歩いて斜め左上に進んで右、斜め右下へ進めばもう入口さねぇ」


 エリカは地図を覗きこみながら万年筆の後をなぞり道順を確かめる。

 どうやらここからとても近い場所に入口はあるようだ。それにしてもとても複雑な造りだ。どうしたらこんなにあべこべな道ができるんだろう。まるで迷宮のようだ。

 エリカの方向音痴を差し引いたとしても、この図書館の本棚で道作られる通路には皆悩ませられるはずだ。

 

「ありがとう、おばあちゃん。たぶんこれで行けると思う」


 エリカは小さなおばあさんにお礼を伝え、手を振り入口へ向かった。

 

「またおいでねぇ。大きな新入生さん」


 おばあさんはカウンターからちょこんと小さな腕を挙げて手を振ってくれた。

 描いてもらった地図を頼りに入口を目指す。

 マルクスはもう来ているかもしれない。自然とエリカの足は速まった。

 ――マルクス・ヨッカー。

 エリカは今までずっと引っかかってきた違和感について考えていた。マルクスはきっと――に違いない……。

 エリカはそっとペンダントを外し外套のポケットへと忍ばせた。

 

「エリック!」


 古びた羊皮紙の地図と青銅色の絨毯から声の主の皮靴に目を走らせる。

 視線を上げていくと考えを廻らしていた相手だった。


「マルクス」

「――――――? エリック」


 貴石のペンダントを外しているのでヴァレンディア語は理解できない。唯、エリックと呼びかける名前だけは辛うじて聞き取ることができる。

 これはある種の賭けだ。


“You must be understand my language,don't you?”


 10年も使っていなかった錆びついた拙い英語でそう質す。


“……Why? I guess so. ……That's impossible!”


 やはりマルクスも地球から異世界ハウメアへの迷い人か。

 最初からエリカが感じていた違和感の正体はこれだったのだ。時々混じる聞きなれた呟きが英語のそれだと気付くのに若干時間がかかってしまった。

 ヴァレンディア語と英語には共通点が多いのがその理由だ。だからまさかとは思ったのだが、エリカはハウメアに来てから初めて“OK”というのを聞いたのだ。それが先程のマルクスの別れ際の言葉。

 ジンやエヴァたちは使用しない言葉。それが確信へと変わった瞬間だった。

 

『やっぱり君は地球から来たの?』


 震える声で英語でそう問いかける。

 

『ああ。もう2年になるよ。まさかエリック、君も?』


 マルクスの蜂蜜色の瞳が揺れていた。目に光るものが見える。

 ――涙。そこにマルクスの2年間の苦しみを見た気がした。どれだけ不安だったことだろう。エリカは森での遭難から魔従キャロのみぃたんやスビアコでジンたちに出会うまでひとりで心細かったことを思い出した。

 エリカには守ってくれる人達がいる。でもマルクスには――?

 モーリーはどうだろう。彼はマルクスの事情を知っているのだろうか。


『僕はまだ1カ月位だよ。日本から。気が付いたらバスティ山にいたんだ』


 エリカはあの時のことをポツリポツリと話した。

 気が付いたら見知らぬ森の中にいたこと。魔従キャロのみぃたんとの出会い。不思議な遺跡のこと。ようやくスビアコに辿り着いたことなどを。

 エリカの話に真剣に耳を傾けながらも時折マルクスが質問を挿みながら、女性であることや魔法騎士団に入ることなどは伏せたまま大体の事情は説明した。

 全て話さなかったのはジンやエヴァたちファミエール家の特殊な事情を考えてのことだ。


『……まさか! だって君はまるでハウメア人そのものじゃないか。ヴァレンディア語も古語だって巧みに操っているし。それに日本人だって? どう見ても君は西洋人じゃないか』


 マルクスの言葉にエリカは外套のポケットを探る。

 取り出したアメジストのような貴石が淡く輝く。ネックレスのそれを首にかけた。


「これは貴石と言って故人の能力を秘めた石なんだって。だから僕は言葉に不自由はしなかったんだ。それに僕の見た目が日本人らしくないのは元々で……。でもカラーコンタクトを着けてるからなのもあるかも」


 貴石を身につけヴァレンディア語で紡いだ言葉にマルクスは苦笑する。


「俺がドレダケ必死にヴァレンディア語を覚えたトオモッテイルンダヨ……。ナンカバカらしくナッテクルな」


 それに――とマルクスは話し出した。


「2年間デ24歳ダッタ俺のカラダハどんどんと若返りヲハジメテ……ドウシタラ周りのニンゲンニ不信にオモワレないように生活するか、タイヘンな日々だったよ」


 彼の言葉にエリカは絶句した。とても想像出来ないほどマルクスは辛い過程を生き抜いてきたのだ。エリカはとても恵まれていた。彼の言葉からいかに自分が幸せな環境にあるのか再確認することができた。

 

「エリック、君もカラダは大丈夫ナノカ?」


 そう気遣いの言葉をかけてもらいハッと石化からとけた。

 

「うん。僕はコンパス――遺跡の巨石に触れて一気に若返ったみたいで……。だからマルクスみたいな徐々に変化する苦しみは味わってないんだ。幸運なことに」


 どういうことだろうか。徐々に身体が若返りをする?

 これは本当に過酷な生活を強いられてきたに違いない。外見が成長しない、むしろ逆に若返ってしまうことを悟られないようにするためには、長く同じ場所に留まることもできなかったのではないか?

 そんなことを思い質問した。

 

「ソウ。言葉もナニモワカラナイ、このセカイのことダッテ習慣もジョウシキもワカラナクテ……ようやく馴染んでキタと思ったらカラダのことで不信を抱かれて。長く同じバショにトドマルことはデキナカッタヨ」


 人生に疲れたような悲しみと怒りの混在した静かな言葉は、マルクスの今までの苦労を物語っていた。


「マルクス。……大変だったね。なんて言ったらいいか……ごめん」

「……イインダ。君の性ジャナイのはワカッテルンダ。タダ、今までこのイキドオリを向けるアイテがいなかったカラ……」


 マルクスの握った拳が震えている。

 エリカはそっと彼の拳を両手で包み込んだ。


“Thanks”


 擦れた言葉に彼の俯いた顔を見たが、冷たい雫が手の甲に落ちたのを感じ目を背けた。

 誰だって見られたくない時があるものだ。こんな泣き顔、エリカだったら見られたくはない……。

 

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