25 オリエンテーション
すり鉢状の席が生徒達でうまった頃、大講義室の後方上部にある、重厚な木製の扉が開いた。
颯爽と、一番下の段の真ん中にある教壇まで歩いて来るのは、きっと教授だろう。
燕尾服のようなカッチリとした正装を着こみ、その上からマントのようなフードの付いたローブを肩から羽織っている。
あちこちに広がって収まりつかない髪の毛と同じ、濃い金茶色に白いものの混じった口髭と、揉み上げから顎先までびっしりと生えた顎髭が、威厳ある大きな獅子鼻とダークブラウンの厳しそうでいて、どこか目じりの皺が優しそうな相貌と合わさって、年老いたライオンのように見える。
エリカはマルクスの言ったことを反芻していたが、姿勢を正して中央の人物に意識を集中した。モーリーやマルクスも、さっきまでのにこやかな表情を硬くして、見つめている。
この人物には教室をシーンとさせる力があった。
背筋が伸びるような張り詰めた緊張感が、この教室を支配していた。
「おはよう、星の巣の諸君。ようこそコーワン学究院へ! 私は君たち星の巣の監督教師のベランジェ・マンスフィールドです。今日から君たちは、ここコーワン学究院で様々なことを学び、吸収して、大きく成長していってほしい……」
マンスフィールド教授が教壇の前で、エリカたち生徒が座っている段々になっている座席を見渡しながら話し始める。
猛々しい相貌からは想像しなかった柔和で深みのあるバリトンの声が、優しい口調で語りかけるので、
さっきまでの緊張感が、いくらかほぐれた。
右隣りに並んで座るマルクスとその隣のモーリーの方をチラッと伺い見たところ、彼らもほっとしたような若干くつろいだような表情を取り戻していた。
「……それで、本日は君たちに、これからの説明、それと啓示板を配るので、聞き逃さないように!」
……ケイジバン? 壁に情報を貼る掲示板を配るってどういうことだろう、と考えていると、マンスフィールド教授がボソッと呪文を呟くと同時に、生徒達の机上に透明な見た目はガラスのような板が現れた。
大きさは手のひらサイズ。ケータイよりも少し大きい位、電子辞書位の大きさだ。
何に使うのか、とみんな興味深々で、手に取りながめている。
「君たちの机の上にある啓示板とは、私から何か連絡する時や、複雑な時間割など学園内での連絡事項を知らせる為の魔導具です。使い方を説明する前に、まず、各々の啓示板の左上にある溝に指を乗せてください」
エリカは言われた通り、左上にある窪みに左人差し指を乗せる。
マルクスが「エリック、ここでイイヨネ?」と聞いてきたので、「大丈夫、合ってるよ」と頷き合った。
マンスフィールド教授が教室を見渡し、生徒達がみんな溝に指を置いたことを確認すると、古語で魔法詠唱を始める。
『血を収めよ』
「……痛っ!」
呪文が唱えられたと同時に、エリカの啓示板の上に置かれた左指に鋭い痛みが走った。
「痛てっ!」
「ouch!」
モーリーとマルクスも痛みを感じたようだ。教室中の生徒達も指を押さえている。
痛くするなら最初に教えてほしかった。注射する時みたいに身構えておかないと、びっくりするじゃないか。
生徒達の様子に苦笑しながら、マンスフィールドは再び魔法詠唱にはいる。
『癒しの風よ……』
ふわっと髪がなびいたかと思うと、指に空いた注射針よりも少し大きい位の血の滲んだ痕が、塞がり、新しいピンク色の肌が現れていた。
痛みももうない。
「すまないね、いきなり。これで君たちの持ち物だと記憶させることができた。この啓示板を使用できるのは、今登録した持ち主だけです。ちょっと表面に手をかざしてみてほしい……」
マンスフィールドの言葉に導かれ、みんな恐る恐る、嬉々として、ワクワク、そうっと、というように各々色んな思いを秘めて啓示板の上に手をかざす。
すると、ガラスのように机を透かして見せていた透明な啓示板が、黒曜石のように黒く変化し、蛍光色の様々な鮮やかな色で綴られた文字が浮かび上がった。
……これは時間割か?
エリカのようにびっくりしている生徒はあまりいないようだ。魔法が普通に存在するハウメアでは一般的なものなのだろうか?
でも隣のマルクスの方を見てみると、不思議そうに裏側を眺めてみたりしていてほっとした。エリカだけじゃなかったんだと安堵する。
ハウメアで科学や機械工学が発達していないのも頷ける。魔法はとても便利で、魔導具なるものも、機械のように便利だ。全く仕組みはわからないが、魔法術式を複雑に組み合わせて作られているのだろう。
啓示板の時間割らしきものを見ていると、隣のマルクスとその隣のモーリーが、エリカの啓示板を覗きこむ。
「おっ、結構一緒の授業多いな。やったぜ」
「わお! エリックと俺、ホトンド同じダネ」
エリカも2人の啓示板を見てみると、大体同じクラスになっている。よかったな、と考えていると、マンスフィールド教授が説明を続ける。
彼が話し始めると、ざわざわと隣近所で話していた生徒達がシーンと、水を打ったように静かになった。
「ここで注意事項があります。自分の啓示板でないと、術が発動しない為、使用できないことが1つ。このコーワン学究院の敷地内でしか、使用できないことがもう1つ。まずはそれだけ覚えておくように」
どうやら魔導具というのも機械のようにどこでも使えるというような利便性は備えていないらしい。魔法も便利なようで、不便なところもあるようだ。
学園外が魔法圏外ってどんだけ電波弱いんだよ。あ、魔法の効果というべきか。
E-MAIL のように気軽に連絡できる手段になり得るかと思ったが、そうも上手くはいかないようだ。
はぁ。ジンやエヴァ、それに学校の友人たちと、今まで日本で当たり前にできていたように、気軽に連絡をとることは難しいようだ。
「それで時間割ですが、それぞれこの間の学力試験の結果でクラスを決めさせてもらったので、自分の啓示板のクラスを確かめて、授業へ行くこと。ここまでで何か質問は?」
マンスフィールド教授がそう言うと、前の席の方で誰かが手を上げたのが見えた。
「はい、君はラ・ムーアだね?」
そう指名された女生徒がコクンと頷く。カールした赤毛の頭にみんなが注目する。
「はい、この巣は何のためにあるんですか? 科目ごとにクラスが分かれているなら必要ないと思うんですけど」
それはもっともな質問だ。エリカも女生徒の言い分を聞いて、そうだよなぁと考える。この巣は何のためにあるんだろう。
質問を受けて、マンスフィールドは、うんうんと頷きながら、生徒達を見渡す。
教室を見渡してみると、他の生徒達も同じようなことを疑問に持っていたようだ。みんな「そうだよなー」などと、口々に呟いている。
「なるほど。そうだね、巣は、君たちの学園でも家とでも思ってもらいたい。そして君たちがひとつの家族だと。それぞれがお互いに助け合っていってほしいんだ。それは授業でわからないことがあった時もそうだし、課外活動でも大いに協力して色んな経験を一緒にしていってほしいと願っている」
マンスフィールド教授はひとりひとり生徒達の顔を見ながら語りかける。
彼の言葉にはカリスマ性がある。みんなその話術に引き込まれ、熱心に聞き入っている。
「それに巣には、私のような監督教師がいる。なにか困ったことや、聞きたいこと、雑談でも私のところに訪ねて来くといい。いつでも大歓迎だ。これで君の質問の答えになったかな? ラ・ムーア」
ラ・ムーアと呼ばれた女の子が大きく頷くのが見えた。
「はい。わかりました。ありがとうございました」
マンスフィールドが教室を見渡す。
「他に何か質問のある人はいないかな?」
生徒達はまわりと話し始める。質問する人はいないようだ。エリカたちも「何かある?」とお互いに聞いていたが、マルクスもモーリーも「特にないよな」と話している。
「質問はないでーす」
誰かが言ったその言葉を聞いて、今日のオリエンテーションはお開きになった。
「では、今日のところは終わりにしよう。何かあったら、私の部屋は東の塔の蒼の部屋にあるので、いつでも訪ねて来なさい」
☆ ☆ ☆
「エリック! 帰りにちょっと寄り道していかないか?」
マルクスと一緒のモーリーに誘われ、エリカはみぃたんを連れて、リーラベルにあるモーリーの家に来ていた。
魔従キャロのみぃたんを飼育小屋に預け、今はモーリーの部屋で男同士の語らいをしている。うーん、エリカは物凄くなじんでいるが、女性だ。
しかし、気のおけない集まりで、すっかりエリカ自身も女性だという自覚なく、男同士の話にノリノリでまじっている。
「でさぁ、さっきの子の顔が見たいってこいつが言うから、お前を誘う前に玄関まで先回りしてたんだよ。あの子だよ、ほらマンスフィールドに質問した子」
モーリーが机の前に置かれた木製の椅子の背もたれを逆にして、木馬のように跨りながら、向かい側のベッドに座るエリカとマルクスに話しかける。
「ヤメテヨ、チョット気になったダケなんだから!」
マルクスが焦ったように茶化すモーリーに反論する。
耳がマルクスの髪の毛みたいに真っ赤だ。
後ろ姿しか見えなかったが、確か赤毛のくりくりパーマの子の話だ。
「ああ、あの女の子ね。確かラ・ムーアって子。なに、マルクスはああいう子が好きなんだ?」
ちょっとからかってやろうとエリカも悪乗りする。
そんなエリカにマルクスはムッとしたように、肩を揺さぶる。
「エリックまでからかうンダカラァー! こうしてやるッ」
「ちょっ……頭クラクラするからやめろよーっ」
じゃれ合う2人をモーリーがニヤニヤしながら見ている。
「モーリー! そんなことヨリ、カガイカツドウの話するンデショ?!」
マルクスがなんとか話題を変えようと、エリカを揺すりながら話す。
もうエリカはフラフラだ。
「目が廻るぅ……」
「あ、ゴメンヨ」
やっとエリカの肩を揺さぶる手を止めたマルクスの横で、エリカは座っていたベッドにバタンとうつ伏せに倒れこむ。
「エリック、大丈夫かぁ?」
「ゴ、ゴメン……」
「ん、大丈夫だけど、ちょっと横にならせてー。話は聞いてるから話してて……」
エリカはクラクラする頭を落ち着かせるように、目を瞑る。
そんな彼女を2人は気遣っていたが、エリカが横になったまま手を挙げて話すように促したので、課外活度について相談を始めた。
「ではではー、課外活動俺らやるじゃん。色々あるじゃん。俺は野営とかしたいんだけど、マルクスは何やりたい?」
モーリーが仕切り、話を進めていく。
「オレは、商人ギルドのイライをウケテミタイナァ。さっき学校の掲示板で見たンダケド、飛鉱艇ノ清掃ボシュウってカイテアッタヨ」
ふたつとも楽しそうだ。野営も飛鉱艇という響きにも惹かれる。
アウトドアは大好きだ。男装も悪くない。もともと見た目とは裏腹に、性格や、趣味は男らしいエリカなので、モーリーやマルクスたちと男の子として一緒にこれらの計画を立てるのは、楽しい経験だった。
「僕も、それやりたーい! どっちとも賛成。両方やればいいんじゃない?」
エリカもベッドに横になりながら話し合いに参加する。
「じゃあ、決まりな! 細かいことはまた学校で話そうぜ。エリックお前んちスビアコって言ってただろ? そろそろ明るいうちに帰ったほうがいいんじゃないのか?」
「あ! ありがと、僕そろそろ帰るよ」
モーリーとマルクスと一緒に飼育小屋までみぃたんを迎えに行く。
「マルクスは帰らないの?」
エリカがそう尋ねると、マルクスはモーリーの家にホームステイしていることを教えてもらった。
「じゃあな、エリック」
「マタ明日ネ」
「バイバイ、モーリー、マルクス!」
エリカは魔従キャロのみぃたんの背に乗って、モーリーの家をあとにした。
☆ ☆ ☆
「お願いね、みぃたん」
「みぃー」
猫のようなふわふわな毛に覆われた、背の翼の根元らへんに乗せた鞍に跨り、エリカはスビアコの家を目指す。
茶色と白のまだらに魔法で染めた毛のキャロは、エリカを乗せてどんどんバスティ山の山道を登っていく。
みぃたんのおかげで登下校はだいぶ楽が出来ている。
「いつもありがとう、みぃたん」
「みぃー」
みぃたんは薄ピンク色の大きなくちばしと頭の上のかわいいまるい耳を揺らしながら、エリカの呼び掛けに答えた。
スビアコ村に着いたが、まだ、空は明るい。
エリカはみぃたんを小屋へ連れて行き、大好物のネズーラを与え、酒場の母屋へと向かった。
「ただいまー!」
酒場の入口の方から入って行くと、まだ営業中じゃないのにもうお客さんがいるようだ。
カウンターに座るその人物が振り返ってエリカは目を見開いた。
「なんでいるの?!」
「よっ! エリック」




