22 帰宅 2
ひとつ上の兄フレッドに問われ、ウィルは「まだだ」と答える。
彼女はまだ見つからない。
『ウィルには秘密にしておくように……』
6年前のあの日、父の書斎の扉の隙間から漏れ出る光に引き寄せられ、中を覗いた17歳のウィルは、この家の当主であり父であるカーティスが、長男のフレッドにこう話しているのを聞いた。
話の内容は聞くことは出来なかったが、ウィルはその夜、フレッドに詰め寄ったのだ。何が彼に秘密なのかを――。
フレッドはそれは絶対に話せないと言ったが、後ろめたいことは何もないと誓った。これは次期当主になる者しか伝えられぬ話し故、何者であっても口外することはかなわぬのだと。
だが、フレッドは『秘密は話すことは出来ない』と教えてはくれなかったが、手掛かりをくれた。
『彼女を探せ』
そう言い、この家の当主に受け継がれている話を少し教えてくれたのだ。この家に纏わる昔話だ。
始まりは終わり 絡まり――る
――ら 喚び寄せられし迷い人
彼の人舞い降り 繁栄をもたらさん
時は来たれり 扉は二――
混沌の時を統べる者よ 汝抗うことなかれ
悲しき娘は ――還る
息子よ ――解き 彼の人を母の元へ留めよ
――ちよ 眠る場所は 母なるこのハウメアの地
異界より ―― ――
――扉―― ――
―― ――
―― ――
『ここから先は、燃えた形跡があってわからなかったけど……』
そう言い、部分部分語ってくれた。
肝心な部分は羊皮紙が燃え朽ちてしまい、読み取れなかったと言い、フレッドが教えてくれた物語。
彼女とは、喚び寄せられし迷い人なのか、悲しき娘なのか、それとも両者なのか――?
フレッドも良くは知らないらしいが、当主であり、父であるカーティスがこれは当家にとって大切な女性の話しだ、と言って兄に伝えたらしい。
ウィルは、良くはわからないが当家の為になるなら、と彼女を探すことをフレッドに約束した。
過保護でやや煩いところがある長兄だが、ウィルもまたフレッドのことが大好きだし、尊敬もしていた。その兄の頼みとあらば、躊躇うことはないだろう。
ウィルは、その女性というのは異世界から召喚された者ではないかと考えていた。きっとエリスからの――
「おーいっ! 聞いてるかぁ? ウィル」
ハッとフレッドの声で現実に引き戻される。
「……いや、考え事してた。ごめん、何?」
6年前のことを思い出し、ぼうっとしていたウィルをフレッドは心配そうな顔で覗きこむ。
「大丈夫かぁ?」
「あぁ、大丈夫だ。フレッド」
今回の休暇では、異世界エリスの情報を得ることは出来なかったが、ひとつ気になることがあった。ウィルはそれを確かめる為に帰宅し、図書室に来たのだった。
「それで、何を言いかけてたんだ? フレッド」
ウィルが重厚な革の椅子の上で姿勢を正し、ようやく聞く素振りをみせたので、フレッドは身を乗り出し話はじめる。
「いやさ、お前がこの家に帰ってくるのには、何か訳があったんだろう? 帰ってきて俺たちに会いもせず、図書室に真っ直ぐ向かった。……その訳を教えろよ」
フレッドの問いは、まさに的を得ていた。
実際、ウィルが誰にも合わないように図書室へ向かったことは確かだった。ただ、フレッドにはお見通しだったようだが……。
長兄は、いつも独自の連絡網を使い、ウィルの事や彼自身の関心事に関して、常に情報を集めている。
今回も大方、ウィルが王都に帰って来たことも、王城に併設されている魔法騎士団の宿舎を出て、ダウンタウンのノースブリッジにあるウィルのフラットに向かい、そして実家に向かったことも全て兄にはお見通しだったのだろう。
有能な執事ファーガスも一枚噛んでいるに違いない。
「やっぱり兄さんには、何も隠しておけないな」
ウィルは、そう言うと左胸の内ポケットから、紙片を出す。つるりとしてとても滑らかな手触りの見たこともないようなきめ細かい繊維の紙だ。
羊皮紙ではないのだろう。
それはエリック・カスティリオーニという少年が書き置きしていった紙だった。
「……これは? ……羊皮紙じゃなさそうだな。これ、どうしたんだ?」
フレッドは、ウィルの手にする紙片を良く見ようと、覗き込むように一人掛ソファから腰を浮かす。
新しいおもちゃを見つけた子供のように、興味深々だ。
ウィルは、フレッドにも良く見えるように、向かい合う二人の間のローテーブルの上に、その紙切れを広げ置いた。
「これ、どう見ても羊皮紙じゃないだろ? もしかしたら失われた古代術で出来た遺物なのかと思って、家の図書室で調べようと思ったんだ。……どう思う? フレッド」
何故か、家には他所では手に入らないような書籍や、資料が揃っている。
収集癖のある父カーティスの蔵書は、歴史学者なら喉から手が出る程欲しいと思うものも混ざっているかもしれない。
その趣味は、しっかりと子供たちにも引き継がれているようだ。
父親似のフレッドはもちろん、母親似であるウィル、妹のリズもまた、珍しいものを見つけると、それに夢中になった。
一般的な家庭では、まず話題にもならないような、古代伝承や各地の伝説などを、幼いころから子守唄代わりに父から聞かされていれば、自然と興味を持つようになるのは免れないだろう。
失われた時代の伝承の話を友人にして、『お前そんな伝説を信じてるのかっ?!』と、鼻で笑われてからはじめて、自分たちの環境が、少し特殊なのだと気付いた。一般的には、失われた古代伝承などはもはや都市伝説なのだ。ほとんどの人が信じていない。
ひゅーっ、と口笛を鳴らし、テーブルに広げた紙片を手に取りとり眺めていたフレッドが、嬉しそうに目を細める。
手にしていた紙片をウィルに渡し、ソファの背に身を預ける。
「これは、凄い発見かもしれないぞっ!」
ウィルと同じ悪戯っぽいエメラルド色の瞳を輝かせながら、フレッドは満面の笑みを浮かべた。