01 prologue
序章 prologue 0
「ねぇ、みぃたん。お前は何?」
雪のように真っ白でふわふわな羽毛をはためかせ、エリカの目前を浮いていたそれは石畳の地面に降り立ち「みぃー」と首を傾げ鳴いた。
トコトコと猫のような優雅な歩みでエリカにすり寄り、くりくりの真っ黒な瞳をキラキラと輝かせてピンクのくちばしで甘噛みしてくる。
以前の姿を知らなければ怯えていたことだろう。
羽のついた子猫のようだったみぃたんは、今では威厳あるライオンのようだ。さらに大きな翼を広げると、全くとてもこの森を治める王のように荘厳な姿だった。
「ここはどこなんだろう……?」
何度となく呟いた言葉を吐きだし、エリカは周りを見渡した。
大きな巨石が12基環状にそびえ立ち、隣り合った石の柱の上にも巨石が重なり合うように渡してある。
まるでストーンヘンジだ。
何日も森の中をさまよいたどり着いたこの場所。
はじまりの場所。
そう、全てはここに繋がっている気がする──。
◇
――ヴァレンディア王国バスティ山。
このあたりでは村人もあまり近寄らないような深い森の中。白んできたばかりの空も濃い霧が立ち込めており仰ぐことはできない。夜空に浮かぶ二つの月も、昇ってきたばかりの光星も道を照らすには弱すぎた。
目覚めたばかりの山林を魔法光が通り過ぎる。女性の呪文によって生み出されたそれが薄暗い頼りなげな道を照らす。
ハァハァ……。
バスティ山頂へと続く石段を辛そうに登っていく身重の女性がいた。
大きなお腹を右手で支え、踝まである薄紫色のワンピースの裾を引きずらないように、左手でスカートをたくし上げ一段一段踏みしめながら頂上を目指す。
額には玉のような汗が滲む。額に張りついた長く艶やかな黒髪を気にすることなく浅い息をさせながら進む様は、死に魅入られた絶望を宿した人間のようだ。
若く美しい面は悲しみに歪み、ドレスとお揃いの薄紫色の大きな瞳にも力はない。目の下の隈が白磁のような肌を一層血色を悪く見せている。
長く終わりがないと思われた石段をやっと登り終えた。
目の前にそびえ立つ見上げる程の巨大な石たち。12個もの巨石が環状に立ち並ぶ。
石でできたこれらはいつのものかわからない程の古い歴史を持つ遺跡だ。
若き妊婦はそこに着いた途端に崩れ落ちた。
『……クリスティーヌ』
ポタポタと石畳の上に大粒の雫が落ちる。
悲しみに沈む女性に近づく影があった。
『……誰?』
驚きに見開かれるアメジスト色の瞳。
身重の女性の目の前に跪いたその人物もまた若い女性だ。艶やかな黒髪に紫色の瞳。向かい合う女性たちはまるで双子のようにそっくりだった。違いはドレスの色のみ。対する女性は薄紅色のドレスを着ていた。
『……ドッペルゲンガー。私はこのまま死ぬのね……? いいわ。早くクリスティーヌの元にいきたい……』
淡いピンク色のドレスを着た女性はそっと目の前の身重の女性の涙を拭い、微笑んだ。
『大丈夫。クリスティーヌは生きています。希望を持って』
そう言うと微笑みを浮かべたまま消えてしまった。
◆ ◆ ◆
鳥の美しいさえずりが、深遠の森の中で響いている。朝焼けの木漏れ日が、横たわる黒い塊に降り注ぐ。
「ぐぅ……ぐぅ……」
黒い塊はいびきをかいていた。草木が生い茂る地面に、何故か南瓜を枕に、ぐったりとしているソレはこの物語の主人公であるのだが……。
「……ぐぅがぁ?! ……ぐぅ」
まだ、深い眠りの中である。
黒のローブの中に丸まり、同じく黒の三角帽からはみ出しているのは、縮れた白髪。熟視すれば、年寄りのような髪には、似つかわしくない若々しい相貌が見える。だが、ぐったりと横たわる姿は一見、老人、魔法使いのそれを連想させた。
気がつけば太陽は真上に来てさんさんと日光が降り注いでいる……が「んあっ?!」と一瞬目を開けまた瞑ってしまう。
いつになったら起きるんだとか突っ込まないで頂きたい。
これには事情があるのだ。
結局、この全体的に黒い格好の人物が目を覚ましたのは翌朝のことだった。
ちなみに夜中に目を覚ましたが真っ暗なのでまた寝た……ことは割愛させて頂こう。
『……起きなさい』
深い眠りの中にいる彼の人の耳元でそっと囁く。ヴァレンディア語だった。きっとわからないだろうが加護だけでも与えていきたい。
女性は自身の首に手をかけ、鎖を手繰り寄せるとドレスの胸元からネックレスを取り出した。
金の鎖のトップには綺麗で大きな宝珠が鎮座している。紫色に輝くそれをみつめ、また服の中へと仕舞いこむ。
『未来に希望がありますように……』
祈るように呟き、薄紅色のドレスをはためかせ去っていく若い女性がいた。
◆ ◆ ◆
暖かい日が降り注ぐ木陰の下に魔法使いのような格好をした人物が一人蹲っている。
三角帽からはみ出ているのは白髪。
だが、その面立ちは若い女性のものだ。
大きなぱっちりとしたの瞳は紫水晶色。その双眼を縁どるまつ毛は漆黒。鼻筋の通った相貌はかなり整っている。
「ふぁ。良く寝たぁ……」
深い眠りから覚めた望月エリカは、うーんと思わず唸ってしまった。
家の玄関で寝ってしまったはずのエリカが、次に目覚めたのは見知らぬ森の中だった。
それもそのはず、エリカは家まで帰って来たところまではちゃんと記憶があるのだ。たとえ飲みすぎてところどころ記憶が抜けていたとしても……。玄関までは確かに。
「どこ、ここ?!」
だが、それに応えるものはいない。
たしか昨日はハロウィンパーティーで仮装して飲んで、二次会でも飲んで三次会でも飲んでカラオケして……。家に着いたのは夢ではなかったはずだ。酔って手もとの狂う震える手で鍵を開けてそのまま玄関に座りこんでしまったことをはっきりと思い出すことができる。
そのためか体中の節々が痛い。
たまに夜中に目が覚めた時に大自然が目に入ったような気がしたけれど、きっと気のせいだと思っていた。
辺りを見渡してみるが、鬱蒼とした森が広がるばかりだ。
(あっ。携帯)
望月エリカは、草むらに転がっていた自分の鞄の中を漁り携帯を探す。
「とりあえず、会社に連絡しよう」
なんと連絡しようか考える。「二日酔いで起きたら知らない森の中でした」とは通用しそうもない。理由にならないだろう。しかし他に言葉が見つからなかった。
エリカもこの状況を理解できていないのに説明できるわけないではないか。
Iphoneを取り出す。……が圏外だ。
「圏外?!」
画面を見つめるが圏外の文字がいつもはWi-Fiのマークが浮かぶ部分にあるばかり。3G回線まで繋がらないとは相当山奥なのかもしれない。
ドコモも持ってくればよかったと嘆息するがもう後の祭りだ。
使い物にならない携帯の電源を切り、途方に暮れる。
どう考えてもなぜこんな山林の中寝ていたのかさっぱり理解することができない。
また失態をやらかしたのだろうか。
ひとり青くなるエリカ。
お酒で数々の失敗をしてきているので、心当たりがありすぎて笑えない。
まさか鍵閉めないで玄関で寝て誰かに拉致られて森に捨てられたとか――?
状況がわからないせいで想像も段々と悪い方に膨らんでいく。
犯罪に巻き込まれたのか――思いつく限りの最悪の状況を思い浮かべ慌てたが、外傷などなくちゃんと服を着ていることを確認しほっと息をついた。
鞄には財布もIpnoneも入っているし化粧ポーチなども昨日鞄に入れたままの物たちが、そこには収まっていた。
着衣の乱れはない。
とりあえず帰ろうとグーグルマップを開こうと無意識に携帯に手を伸ばすが圏外だったことを思い出す。
エリカはまたIphoneをしまい、暫し考えこむように眉間に皺を寄せ胡坐をかいた。
(とりあえずコンタクト外そう)
エリカは洗面道具からコンタクトケースを取り出し、保存液を入れ紫色のカラコンを外す。
ハロウィンパーティーだったのでカラコン装備で黒いスキニーに黒ブーツ、ひょう柄のシャツにベストを着て、腰までの長いアッシュブラウンの髪を後ろでワインレット色のビロードのリボンで括っていた。
エリカ的には魔王チックな仮装をしてきたつもりであったのだが『女の子は、魔女っこスタイルでしょ』と渡された黒いローブと、白髪付き三角帽をいつの間にやらかぶっていた。
そんなこんなでカラコンを外し三角帽を脱いだエリカは、日本人としては標準であるダークブラウンの瞳に、アッシュブラウンに染めた髪を括った姿をさらす。
色彩が変わると外国人のように見えた相貌は、日本人のそれになる。
彫が深い整った顔立ちなので、カラコンをつけると外国人かハーフのように見えてしまうのだ。先のハロウィンパーティーでもエリカを知らないたち人から『ハーフ?』などと聞かれていた。
大学時代留学していた時も、エリカという外国人風とも日本人ともとれる名前と、学校のクラス以外でも英語のみで皆コミュニケーションを図っていたこともあって、日本人の友人やスペイン人、スイス人の友人達から日本人だと認識されないことも多々あった。
だが、望月エリカは生粋の日本人である。
つけっぱなしだったカラコンを外すと視界は悪くなったが、乾燥した瞳に潤いがもどりすっきりする。
目薬を出しさすとさらに爽快に向かう。
顔を洗いたい。魔王メークも落としたい。エリカは鏡を出し、アイメークばっちりの目の下クマメークを見てウゲッと呟いた。
酷い顔だ。魔王のようにみえるようにいつもはしないどぎついアイラインで瞳を囲い、目の下も隈にみえるようにグレーのアイシャドウを濃く塗りたくっていたのだ。
落とさずにいたメイクが崩れ、もっとひどいことになっている。
まず森から出て道路を探そう。その前に水辺があったら顔洗したい。
エリカは持ち前の前向きさで行動し始めた。
「早く森から出てタクシーつかまえて家に帰ろう。私を拉致ったやつ見つけたら、ただじゃおかないんだから! どうやって貶めてやろうか……。ふふふふふふ……」
なにやらぶつぶつと恐ろしいことを呟きながら、エリカは当ても無くフラフラと森の奥へと歩き始めた。
ここからこの物語は始まる……たぶん。