第5話 めぐり合い
セント・ラースロー帝国に上った朝陽が夕陽となって沈む頃、夜の帳を彩るように様々な明かりが首都に点いていった。
賑やかな声と共に人々の営みが明かりの端々に見え隠れしている。
王宮の建物には特に煌びやかな灯火に彩られ、宮廷お抱えの楽団が演奏する音楽の響きが、遠く離れた離宮の庭園にもかすかに聞こえてくる。
ここは無人で誰もいないように思われたが、しばらくして庭園の東屋から小さな人影が恐る恐る現れた。
(よかった、見つからずに済んだ……)
ほっとしたように影は大きく息をつく。
それは昨晩この国を潤す百の水源「水宝玉」の一つを盗んだエインゼルだった。
彼女は胸元から自分が盗んだもの……ソフトボール大の水宝玉を取り出した。透明な球はエインゼルの魔法によってオブラート状の被膜で密封されている。
震える手で何度も確かめた。
「……」
許されない罪を犯した。
だが、これを届けることが出来ればこれから渇きに苦しむはずのフェリーリラ王国王国をきっと救うことが出来る。
とはいえ、おそらく自分を捕縛する為の追手は既に出ているだろう。
そう思ったエインゼルは水宝玉を盗んでそのまま逃亡するのではなく、敢えて追放された元の王宮に近い場所へいったん身を隠したのだった。
まさか、そんなところに身を潜めているとは思うまい、と考えたのだった。
(ここまではなんとか上手くいったけど)
(でも、ここからどうしたら……)
そう……問題はここからだった。
エインゼルは既に指名手配されている。首都のあちこちを兵士達が探し回り、要所には監視が置かれているに違いない。そんな中を身を隠しながら母国フェラーリラへ向かわねばならない。
そして、急がねばならなかった。
水が絶たれたフェラーリラには僅かな湧き水と貯水池があるきり。人々が耐え忍ぶことが出来るのは、せいぜい一週間といったところだろう。
だがセント・ラースローからフェラーリラ王国へは、船旅でひと月はかかる長距離なのだ。
(もし、直線距離で行けるなら……空を飛べるなら……)
そう思っても、エインゼルは空を飛べる魔法など持ち合わせていない。
この世界には既に飛行機というものは存在したが、さほど発達してはいなかった。この世界を飛んでいるのは、布張りの複葉機である。空の脅威に備えた軍用の戦闘機で、庶民を乗せる旅客機は未だ登場していない。
仮にこの軍用機を運よく強奪出来たとしても、エインゼルは飛行機を操縦する術など知るはずもなかった。
どんなに考えても、盗んだこの水宝玉を早急に母国へ届けるのは絶望的だった。
「どうしたらいいの……どうしたら……」
いま、この背中に翼が生えて飛べたらいいのに……エインゼルは声を殺して泣いた。
泣いてもどうにもならないのに……そう思っても、希望が見えない悲しみに涙が止まらない。
そのとき……
「誰か、そこにいるのか?」
自分以外いないと思っていた夜の庭園の離れたところに、いつのまにか人影があったのだ。
ハッとなったエインゼルは東屋の壁に身を隠したがもう遅かった。
さくっ、さくっと芝生を踏みしめ足音は近づいて来る。壁にかじりついたエインゼルは、恐怖のあまりガクガク震えた。
だが、足音は途中で止まった。
「誰か知らないが……怖いなら俺はこれ以上近づかない。誰にも話さない」
低く深い、そして穏やかな声。
(あ……!!)
それは、エインゼルにとって忘れるはずのない人の声だった。
詮索せず去っていこうとする人影に向かって彼女は「待って……」と、姿を現した。
気配を察した影が振り返る。
「……」
両手を握りしめてエインゼルは声を絞りだしたが、なんと言っていいのか分からず震えながら立ち尽くすばかり。
「貴女は……どうしてこんなところに?」
目を丸くして尋ねかけた男。
それは、婚約破棄の場でエインゼルの為に剣を執った青年、エルンスト・ルーベンスデルファーだった。
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「ここに座るといい」
「はい……」
「安心しなさい。ここに貴女がいたことは誰にも話さない」
震えているエインゼルを小さなベンチに座らせ、その隣に座ったルーベンスデルファーは、ひとまず彼女を落ち着かせようとした。腰に下げた小さな水筒を差し出す。
中に入っているのはただの水だったが、緊張しながら飲んだせいでエインゼルは少しむせてしまった。
少しだけ、震えが収まったようだった。
「……」
ベンスデルファーは一向に話しかけてこない。彼は黙ったまま、夜空に煌めく星々を飽かず眺めている。
エインゼルも釣られて夜空を見上げた。
(そういえば……)
昨晩、自分の屋敷を出る前に窓から夜空を見上げたことを彼女は思い出した。
もしも亡きロゼリア姫が天上から自分を見守ってくれているなら……そう思って祈りを捧げたことを。
(もしかしたら……)
(ロゼリア様がこの人を私に導き逢わせてくれたのかも知れない)
そう思ったとき、エインゼルは自分の身体の震えが次第に消えてゆくのを感じた。
「星が……綺麗ですね」
「ああ」
応えには温かみがあった。こんな場所で遭ったのに自分を詮索しようとしない彼に、エインゼルは逆に尋ねかけた。
「ルーベンスデルファー様は、どうしてここにいらっしゃったんですか?」
「俺か、俺は……」
どこかバツの悪そうな顔で鼻を擦ると、彼は照れくさそうに言った。
「貴女と同じだ。この国から追放されることになっているから、見納めにこの庭園を散策していた。人に遭うのが嫌だったから夜がいいと思ってな」
「まぁ」
こんな国の人目に触れるのが嫌で……と告げる彼の顔には、凛々しい中に恥ずかしそうな笑みが浮かんでいる。
それはまるで少年のようにあどけなく見えて、エインゼルは思わず「可愛い」と思ってしまった。
「私は……」
一瞬言いよどんだエインゼルだったが、思い切って言った。
「私がここにいたのは、ルーベンスデルファー様と同じように名残を惜しんでいた訳ではないのです……ご存じですよね」
「ああ」
ルーベンスデルファーは、前を見据えたまま静かに応えた。
「この国に散らばった百の水源。その一つを強奪してフェリーリラ王国のロゼリア姫を騙った侍女が逃亡した、と昨日から大騒ぎになっていた。今も街のあちこちで検問が行われている」
「やっぱり……」
「あんな皇子が治める国でも、司法はそれなりに機能しているんだな」
妙なところに感心している様子でルーベンスデルファーは肩をすくめた。その口ぶりには、この国に対する敬意など既になくなっている。
エインゼルは騒ぎの原因である、自分が盗んだ水宝玉をそっと取り出して見せると力なく笑った。仮に検問がなく自由に早馬や船を使えたとしても、母国へ水を届けるにはきっと間に合わない。
「水が絶たれてこれから苦しむ母国へなんとか水を……そんな気持ちだけで私はこれを盗んでしまいました」
「そうか……」
「追手を欺くために一旦ここで身を隠していました。でも……でも、届ける術がないの。一刻も早く届けなければならないのに……」
「水が絶たれる貴女の国に、これから地獄が始まるんだな」
「はい」
「あのバカ皇子は自分がどんな残酷な真似をしたのか分かりもしていないのだろうが……」
エインゼルは両手で顔を覆った。
「魔法で空が飛べたら……私の背中に翼があったら……」
顔にきつく押し付けたエインゼルの両手の隙間から悲痛な嗚咽が漏れ聞こえる。
ルーベンスデルファーはずっと前を向いたまま、ポツリと尋ねた。
「もし、空が飛べたら……貴女の母国へ水を届けるのに間に合うのか?」
エインゼルは顔を上げ、いぶかし気にルーベンスデルファーの横顔を見た。
彼の背中には翼などなく、魔法が使えるようにも見えない。
慰めようもないはずのこの絶望に、何故そんなことなど尋ねるのだろう。何か術があるのだろうか……
「人々を渇きから救うのにはギリギリでしょうけど……」
ルーベンスデルファーは「わかった」と、大きく頷くと立ち上がった。
そしてもう一度夜空を見上げると、エインゼルを驚かせるような希望を告げたのだった。
「俺の翼を貴女に貸そう」
「え?」
エインゼルには、にわかには信じられない言葉だった。
「今……なんと」
聞き返したエインゼルはふと、自分は彼のことをまだ何も知らなかったことに気がついた。
そんな彼女に向かって振り返ったルーベンスデルファーは莞爾と微笑み、自分の正体を明かしたのだった。
「異世界から来た俺の翼、メッサーシュミットを貴女に貸そう」
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