逆針の時計塔前
朝になると、村の時計は逆に進んだ。
それはずっと昔からそうだったらしい。
誰が最初に気づいたのかは分からない。
気づいた時点では、もう当たり前になっていた。
針は朝に戻り、昼に近づき、昨日の方へ進んでいく。
人々はそれを時間と呼んだ。
逆に進むことで、村は保たれていた。
割れた皿は、夜になるとひびが薄くなり、朝には棚に戻る。
投げた言葉は、眠っている間に口から離れ、意味を失った。
忘れるよりも早く、なかったことになる。それがこの村の秩序だった。
人々は決断を急がなかった。急ぐ理由がなかった。
失敗は消える。選ばなかった道も、選んだ道と同じ重さで戻ってくる。
違いは、朝には残らないというだけだった。
時計番は毎日、塔に上った。
針が逆に回っているかを見る。それだけの仕事だった。
理由を考える必要はなかった。
針が逆であることが、この村の正しさだったからだ。
彼は時計を直したことも、触ったこともなかった。
確認するだけで、世界は続いた。
確認できる限り、何も変わらなかった。
ある昼、針が遅くなった。
ほんの少し。
気のせいと言えるほど。
それでも時計番は気づいた。
彼は毎日、同じ距離を目でなぞっていたからだ。
夕方になっても、針は止まらなかった。
逆に進み続け、朝の位置を通り過ぎようとした。
時計番は初めて迷った。
止めるという行為が、何を意味するのか分からなかったからだ。
その頃、村ではいつも通りの一日が流れていた。
皿は割れ、声は荒れた。
だが夜になっても、戻る気配がない。
人々は黙った。
騒ぐと、戻らないものが増える気がした。
時計番は手を伸ばした。
針に触れたのは、それが初めてだった。
冷たくも熱くもない。
ただ、そこにあった。
彼は止めなかった。
止める理由も、進める理由もなかった。ただ、手を離した。
針はどこかで引っかかり、小さく震える。
逆にも、前にも進まず、その場で揺れ続けた。
翌朝、朝は来なかった。
空は明るくなったが、朝という言葉は使われなかった。
人々は起き、歩き、話した。
昨日が終わったのかどうか、誰にも分からない。
謝られなかった言葉が残った。戻らない皿が床にある。
それをどう扱えばいいのか、決まりはなかった。
時計番は塔に上った。
針は動いていなかった。
確認できることが、何もなかった。
彼は塔を降りなかった。降りる理由がないから。
仕事は失われたが、立つ場所は残っていた。
夕方、誰かが言った。今日は昨日より重い、と。
別の誰かは言った。重さは前からあった、と。
どちらも確かめられなかった。
針は揺れをやめ、そこに留まっていた。
時間が止まったのか、最初からなかったのか、誰も口にしない。
時計番はそれを聞き、何も言わなかった。
彼は世界を置いたまま、そこに立っていた。




