正和と和男の意地
和男は中学に入学した。道場に通うのを辞めて学校の柔道部に入った。中学でも便所や更衣室は女性教職員用を使うことになった。和男は男子と一緒に保健体育を受けて部活動をしたがったが、教職員達は強く女子と一緒に行動するように諭した。その代わり、制服は男子用を着用することになった。
担任が気まずそうに、
「中学ではどうしても体格に差が出るの。貴方、生理も始まっているでしょう」
和男は渋々受け入れた。教職員達は生徒達にトランスジェンダーについて説明した。生徒達も教職員も日頃はなるべく和男を男として扱った。
和男は授業中の態度は良かったし、掃除も上手かった。力を振りかざすことはなかったが、男子達の喧嘩をよく仲裁した。逆恨みで暴力を振るう男子には躊躇わず、投げたり絞めたりして応戦した。
ある日の休み時間に大柄な女子が大人しい女子の机を蹴りながら、
「キモいんだよ、ブス!」
と、挑発した。挑発された女子は唇を固く閉じて俯く。和男はそれを見ていやに落ち着いた声で、
「お前の心の方が余程醜い」
と、叱った。挑発した女子は目を泳がせて教室を出て行った。
「おお」
生徒達は短い歓声をあげた。
女子柔道部の中で一番強かった先輩が和男に、
「あんたが私に勝ったら先生達に説得してあげる」
と、提案した。和男は喜んだ。部活動に益々打ち込んだ。和男はその先輩に恋心を抱くようになった。
夏休みのある日。父親の正和は秩父の現場で仕事をしていた。仕事が一段落して現場から少し離れた所で遅い昼食を皆で摂っていた。
ふと振り向くと、熊が突進してくる。周りにいた市民達は逃げ惑う。急いで車や建物の中に避難していく。鑑識達は立ち上がって後退りする。正和は口の中に入っていた食べ物をペッと、斜め下に吐き出すと、立ち上がる。そのまま熊に向かって行く。部下の一人が身体を震わせながら、
「ちょっと、朝倉さん!」
正和は構わずに歩いていく。熊はそれに気付いて正和に向かってくる。三歩手前で後ろ脚で立ち、正和めがけて右前脚を振り下ろす。正和は殴られる前にその腕を掴んで熊を地面に投げて叩きつけた。熊が動揺している間に肘で顎の下を押さえ、脚でもう片方の前脚を押さえる。熊は二本の後ろ脚をジタバタさせる。
駆けつけてきた猟友会が麻酔銃で熊を撃って眠らせた。正和は離れる。猟友会は正和に呻くような声で、
「信じられん」
正和は淡々と、
「ヒグマだったら私は死んでいたでしょう」
正和は便所で手を洗いガムテープで汚れを落としたが、現場には戻らずに休んだ。熊の毛が残っているかもしれないので、現場には戻れないからだ。鑑識の一人が、
「朝倉さん、もう無茶をしないで下さいね」
と、心配した。
それを知った雪絵は自分の額に手を当てて溜息を吐いた。和夜はその傍らで、
「信じらんねぇ」
と、呟いた。和男は黙っている。
中一の終わりに和男は提案を持ちかけた先輩に勝った。和男は満面の笑みで、
「これで俺を男として認めてくれますよね」
と、喜ぶと、先輩は悔し涙を流した。和男は目を泳がせて俯いた。周りにいた仲間達は驚いている。和男の初恋は失敗に終わった。
けれども先輩は約束通りに教職員達を説得した。大人達は悩んだ挙句、和男を男子柔道部に入らせて保健体育も男子と一緒にさせることにした。それを知った雪絵は複雑な気持ちになった。和男に、
「無茶しないでよね」
と、心配した。正和は不快そうに溜息を吐いた。




