坂東母子
三月の半ば。実鶴は道久の家に来た。道久が険しい顔でドアを開けると、実鶴は満面の笑みを浮かべながら入った。道久は何も言わずにベッドに向かうと座る。実鶴はかまわずに食卓の席に座る。鞄からリンゴと紙皿とナイフを取り出す。道久は眉をひそめて、
「何のつもりだ」
実鶴は食卓に置きながら、
「和美ちゃんに食べさせようと思ってね」
「余計な事をするな」
道久は嫌がる。実鶴は食卓に肘をついて道久に振り向き、
「毒を仕込むと思ってるの?」
道久は無表情で、
「お前ならやりかねない」
実鶴はニヤリと笑いながら、
「その気なら、とっくにやっていたけどね」
道久は立ち上がる。実鶴は笑顔のままナイフを持つと刃先を道久に向け、
「黙って座りなさい」
道久は立ったまま、怒気を含んだ声で、
「和美を少しでも傷付けたら殺すぞ」
実鶴は刃先を向けたまま、目を輝かせて、
「私、あの子が大好きだから、そんな事、絶対にしない」
道久が不思議そうな顔をすると、実鶴は嬉しそうに、
「何年も前から電車であの子が痴漢を捕まえるのを私は何度も見たことがあるの」
道久の瞳が揺れる。実鶴は無表情になり、
「いいから黙って座って」
道久は不快そうに溜息を吐きながら座った。両膝に両肘を載せて指を組む。その手に額を載せて俯く。実鶴は、
「私と和美ちゃんが話終えるまで、貴方はそのまま、じっとしててね」
道久は指に力を込める。実鶴は、
「邪魔したら和美ちゃんの前でお前を刺すよ」
道久は姿勢を変えずに歯を食いしばりながら身体を震わせる。実鶴はナイフを紙皿の上に乗せた。呼鈴が鳴る。実鶴は立ち上がって玄関に向かった。
ドアが開く。非常に華やかな美人が微笑みながら、
「相変わらず可愛いのね」
和美は驚いて一歩下がる。美人は笑顔のまま、
「私が道久の母親の実鶴」
和美は大きく瞬きをして、
「随分とお若いですね」
実鶴はドアを広げて、
「入って」
和美は頭を下げると入った。実鶴は手を洗うと席に着いた。靴を脱いだ和美もそれに続く。椅子に座る前にベッドで俯いている道久に気付き、
「道久、どうした?」
「その女に気を付けろ」
道久が指を組んだ手に額を載せたまま忠告した。実鶴はナイフとリンゴを手に取りながら、
「気にしないで座ってね」
和美は腑に落ちないながらも言う通りにした。実鶴はリンゴの皮を剥き始める。




