婚約と覚悟
十月の終わりの日曜日。和男は真波を連れて来た。和夜は部屋のドアを開けて顔を出した。真波と目が合うと頭を下げた。雪絵は和夜に、
「貴方は部屋で勉強ね」
和夜は眉を下げて、
「また俺は仲間外れか」
と言いながらドアを閉めて中に入った。
和男と真波が居間に入ると雪絵は二人を椅子に座らせた。雪絵は正和の隣に座る。正和は腕を組んで二人を観察している。真波は頭をゆっくり一度下げると、
「藤崎真波と申します」
と、挨拶した。雪絵は穏やかな声で、
「話はこの間、貴方の御両親から聴いた。警察からもうかがっている」
真波はじっくりと一回、深呼吸した。雪絵は心配そうな顔で、
「貴方は本当に大丈夫なの?以前に卑劣漢から酷い事をされたそうだけど、結婚に耐えられる?」
真波は雪絵を見据えながら、
「既に立ち直っております」
雪絵は顔を前に少し出し、
「和男の手術と治療が失敗しても別れないと聴いた。無理をしていない?」
真波は鋭い眼光で、
「その覚悟が無ければ和男さんと結婚出来るわけがありません」
雪絵は和男に振り向く。和男の眼光も鋭い。和男は、
「ちゃんとした病院と医師を既に探し始めている。失敗するつもりはない。戸籍の名前も性別も変える」
雪絵は息を飲む。真波は穏やかな声で、
「少しでも危険が分かれば私が諦めさせます。結婚出来なくても私は誠実に和男さんとお付き合いします」
雪絵は真波を見やる。穏やかな顔だが瞳には力が有る。雪絵は、
「貴方はそこまで覚悟しているし、貴方の御両親も認めているから、私は祝福する」
和男と真波の顔が明るくなった。しかし、正和はフン、と鼻を鳴らして嘲った。三人は振り返る。正和は冷淡な声で、
「雪絵。君は本気か?」
雪絵は冷静な声で、
「ええ。高校の時とは違うでしょ。和男は真波さんを守ったし、真波さんは和男を守っている」
正和は頬杖をつき、和男と真波を見比べて、
「八十歳になってもその覚悟が続くかな?」
「続けます」
真波はキッパリと即答した。和男は真顔で、
「親父が反対しても俺は真波と結婚する。駆け落ちしてでもな」
雪絵と真波は驚きで目を大きくさせた。正和はフッと嘲笑し、
「安っぽい現実逃避だな」
和男はゆっくりと立ち上がる。雪絵は、
「座りなさい。和男」
和男は立ったまま、目を見開いた状態で正和を睨み、
「もう俺はあんたに認められなくてもかまわない」
「和男。落ち着いて。私は結婚出来なくてもかまわない。それでもずっと添い遂げる覚悟は有るから」
真波は穏やかに諭した。正和はゆっくり頭を振り、
「いやいや。キッパリと別れて欲しい」
「貴方!そこまで反対する必要は無いでしょ!」
雪絵が怒った。真波の顔が青ざめる。和男は額に青筋を立て、両手で拳を作る。正和は薄ら笑いを浮かべながら和男に、
「女にとって最も大事な若さを奪うなんてお前は最低だね」
和男は俯いた。雪絵の身体が震えた。真波は小声で、
「私は本当に覚悟しているんです」
正和は冷たい声で真波に、
「人生が壊れる前に別れなさい」
和男は俯いたまま、よろよろと座る。顔面蒼白で首筋も手も血色が悪い。真波はゆっくりと立ち上がり、掠れる声で、
「分かりました。別れます」
と、血の気の無い顔で居間を出て行った。雪絵は後を追う。
玄関で靴を履く真波に雪絵は、
「なんと詫びたら良いのか」
真波は立ち上がると、
「いいえ。仕方ありません」
と、ドアを開けて出て行った。




