読めなくても、書きたい
セミフィクションです。
「はぁー……」
深く、深く息を吐く。
目の前の窓から外を見れば、昼下がりの光の下、木々が風に吹かれている。
「伸びないよなぁ」
パソコンで開いていたページを閉じ、椅子の背にもたれる。
(本が読めないのに物語を書くなんて、やっぱり無謀なんだ)
さっきまで開いていたのは、小説投稿サイトに載せている小説へのアクセス数が見られるページ。
そこに表示されていた数字は、0、0、0。
(最後に本を、物語を読了したのは、いつだっけ)
ぼんやりとすらも思い出せない。
読了の感覚が、そこまで遠い記憶になってしまったことに、もう悲しみすら感じない。
「積読だけは、立派に溜まってるのにな」
作業机の横、二つ並んだ本棚に詰まった本の背表紙を眺める。
そのほとんどは、中身を知らない。良くて、あらすじだけだ。
「誰かの作品を読むことすら、出来ないで。繋がりたいなんて言えないよな」
スマホで開いたSNSに流れてくる、繋がりたいタグや読了報告。
(読めて、うらやましい)
本音を言えば、読みたくてたまらない。
活字の海で、溺れたい。とっぷりと全身を浸されて、目を閉じても活字が感じられるほどまでに、溺れたい。
けれど、体はそれを拒否する。
本を開いて目に入れた瞬間、意味を成している文章も言葉も、全てが理解できなくなる。
紙に印字されていようと、電子だろうと、関係なく。
調味料の成分表は読めて、報告書なんかは読めて、なぜ。
なぜ、物語だけが読めないのか。
原因は、うっすらとわかるが。
もし原因がそれならば、今、物語を書く自分を全否定されることになる。それは耐えられない。
だから直視しない自分も、きっと悪いのだろう。
それなのに。
脳内では、「読めなくて、なんだ。それに足取られず、まず“楽しく書く”が最優先だろうに」と大々的に主張している、自分が居る。
実際、その自分が言うように、書くことは楽しい。自分で書いた文章だけは、例外で読めるのだし。
読めない。なのに、書きたがる。
そんなジレンマ。
きっと、いつかは原因と、本や物語を読めないことと向き合わないといけないんだろう。
でも、今は。
どうか、ただ。
「書きたい……」
普段は「とくつみしょ」という作品を投稿しています。
そちらも読んでくださると、嬉しいです。




