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戦火に消えた力士1 小猪八戒 豊島 雅男

作者: 滝 城太郎

豊島は最高位関脇だったが、当時のスポーツ雑誌の表紙を飾ることもあったほどの人気力士だった。

 豊島こと西村雅男は大阪の興国商業柔道部出身で三段の腕前だった。

 東京に豊島区という地名があることから、時に江戸っ子と勘違いされることもあったが、徳島生まれの大阪育ちで、四股名は亡き母の生れ故郷である瀬戸内海の島の名に由来する。

 八の字眉のユーモラスな顔立ちから想像されるとおり、性格もひょうきんで、仲間といる時はいつも茶目っ気たっぷりの関西弁でまくしたてていた。部屋は違うが同期でライバル関係にあった増位山とは関西出身同士ということでウマが合い、先輩力士から頼み事をされるといつも一緒に行動するほど仲が良かった。

 ノリが良く、いじられキャラのようなところもあったせいか、先輩力士からもウケが良く、関取になっても四股名ではなく、「西村、西村」と呼ばれていた。

 角界一の大所帯である出羽海部屋は三役、大関級の力士がごろごろしていたため、総帥たる横綱武蔵山は稽古をつけてもらうには敷居が高く、横綱から「誰か来い」と声が掛かっても尻込みする若手が多かった中、ずうずうしさも人一倍の豊島だけは、序ノ口時代から投げ飛ばされようが叩き付けられようが、「もう一丁、もう一丁」と何度でも懲りずに向かっていった。


 入門当初は柔道の癖が抜けず、四つになっても投げ技ばかりやっていたため、なかなか芽が出なかった。一時は相撲を諦めかけるほど落ち込んでいたところ、出羽海親方から「お前は上背がないから四つになっちゃだめだ。押し相撲になれ」と叱咤され、それからは脇目も振らず押し相撲一筋に猛稽古を続けたという。

 柔道の下地がある力士は投げ技や足技に長けていて相撲を取るうえでは有利のように思われがちだが、必ずしもそうではない。

 柔道は相手の出足に合わせて技を繰り出すものだが、実際に力士と四つに組んでみると、相手が褌を引いた瞬間、寄って出ようとしているのか、引きつけて吊ろうとしているのか全くわからないそうだ。

 豊島もなまじ柔道の猛者だったせいか、柔道の要領で投げ技を仕掛けては相手に逆を取られていたのだろう。師匠が柔道に依存した投げ技を捨てさせ、押し相撲を徹底させたのは、相撲の呼吸を一から叩き込む必要性を感じたからに相違ない。


 コーチ格の笠置山の熱心な指導もあって、一六八センチ一二〇キロの豆タンク体型を生かした取り口を身に付けた豊島は、その猪突猛進的な立ち合いから「猪」と綽名されるようになった。

 低い体勢からかちあげて、右咽喉輪と左筈押しで前に出る突進力は大型力士顔負けで、押し切れずに寄り返されたとしても、兄弟子五ツ島譲りの巻き落としや、柔道の猛者ならではの切れ味鋭い足技を見せた。よく練習相手を務めていた照国は、体型と取り口がよく似た後年の大関若羽黒と比べて、出足は速いが、脇が甘く、腰のねばりに乏しいと分析している。


 研究熱心なことでも出羽海部屋随一と言ってよく、負けた時は必ずといっていいほど自分の取り組みを見ていた力士を探しては、どこがまずかったのか執拗に尋ねていた。

 具体的な弱点を解析しそれを克服してゆこうという前向きな姿勢は、出羽の作戦参謀たる笠置山にとっても鍛え甲斐のある後輩だったに違いない。猪突猛進の「猪」はやがて「重戦車」と恐れられるようになった。

 十両は二場所連続二桁勝利で通過。十両二場所目は優勝同点の十三勝二敗で親友増位山よりも早く入幕を決めている。


 場所前から右膝関節を負傷し、兄弟子たちから稽古を止められていたにもかかわらず、連日関取相手の猛稽古を続けた甲斐があったか、十六年五月場所は初日から五連勝と好調で、新入幕力士中最高の十一勝四敗で十五日間を全うした。パンパンに腫れ上がった右足を引きずりながら、新入幕で横綱男女ノ川を寄り切る殊勲の星を挙げた注目株の双見山を一気に寄り切った千秋楽の一番などは、気迫勝ちといってもいいほどだった。

 双見山には前場所、番付上位のため十両優勝をさらわれたという因縁がった。しかも、この場所は日頃から熱心に稽古をつけてくれている兄弟子の大関五ツ島、親友の増位山まで不覚を取っていただけに、豊島としては絶対に負けるわけにはゆかなかったのだ。


 同年、十月三日から十三日間名古屋で行われた準本場所も三日目に楯甲の変化技に地に這った以外は堂々たる押し相撲で連戦連勝。千秋楽の佐賀ノ花戦は、新愛知新聞の懸賞がかかったほど注目された取り組みだったが、腰の重いことでは定評のある二所のホープを電車道の押し出しで一蹴した。

 十二勝一敗は全勝優勝の双葉山につぐ成績で、相手方(西方)力士たちからは「役力士を除けば現役最強」の声もかかるほど、勝ちっぷりも豪快そのものだった。番付が低いがゆえに(前頭十六枚目)三役との対戦が組まれなかったという恩恵はあるにせよ、とても入幕したての力士とは思えないほど堂々たる取り口は将来の大物を感じさせた。


 昭和十七年一月場所五日目、ついにその日がやってきた。待ち望んでいた双葉山との一戦である。

 出羽海部屋の力士連は、毎場所双葉山打倒を至上課題とし、参謀格の笠置山を中心に作戦を練ってきた。安芸ノ海が双葉山の連勝を六十九でストップさせた一戦などは、智謀笠置山の面目躍如たる歴史的名勝負である。これによって「双葉山は外掛けに弱い」という噂が広まったが、その後双葉山を外掛けで下した力士は一人もいないばかりか、将来の横綱を期待される大関安芸ノ海でさえ、さっぱり双葉山に勝てなくなった。双葉山に連勝した大関五ツ島にしても、怪我の回復が思わしくなく、打倒双葉を託すには荷が重すぎる。そんな中で安芸ノ海ドリームの再現を託されたのが豊島だった。

 五ツ島、安芸ノ海、笠置山の出羽海三羽烏によって鍛え上げられ、彼らですらまともに食い止めることが困難なほどの突進力は、受けて立つタイプの双葉山には有効と見られていたが、これがズバリ的中するのである。

 面白いのは場所前の雑誌インタビューの中で、「有望な若手力士は?」と尋ねられた笠置山が豊島についてまるで触れていないことである。新入幕で十一勝を挙げた豊島は、角界でも注目株の一人であるにもかかわらずだ。おそらく秘密兵器だからこそノーマークのまま双葉山にぶつけたかったのだろう。


 豊島の立ち合いの当たりは、双葉山を一気に土俵際まで寄ってゆくほどの鋭さがあった。二枚腰の双葉山は一旦、土俵中央まで押し返したものの、右咽喉輪からの筈押しでぐいぐいと押し込まれてついに土俵を割ってしまった。「後の先」の真髄を極めた双葉山は、先手を取られてもそこから逆転するのをお家芸としているだけに、こうも一方的に敗れるのは極めて稀である。しかも、安芸ノ島や鹿島洋に屈した時のように体調不良というわけでもない。その証拠に双葉山が負けたのはこの一戦だけで、終わってみれば十四勝一敗で優勝しているのだ。

 負けた双葉山が「ワシを羽目板と間違えるなよ」と苦笑していたように、勝敗を決したのは頭から胸板目がけて突っ込んだ立ち合いの猛烈な当たりだった。

 豊島は部屋の稽古でも羽目板に頭からぶつかってゆくのが常で、それも羽目板にひびが入るほど激しくぶつかることから、親方から「羽目板はやめろよ」とたしなめられるほどだった。もっとも本人は親方の小言など意に介さず、連日羽目板をきしませる稽古を続けながら、強烈な突進力を身につけていったのである。

 それでも陸上短距離のスタートと同じで、ほんの少しでもタイミングが狂えば加速に大きな違いが出てくるわけだから、双葉山戦の豊島の立ち合いは最高のロケットスタートが決まったということだろう。


 大金星の豊島は、上位と対戦したこの場所も十勝五敗と健闘し、新三役の座を確定させた。

 新入幕から二場所連続二桁勝利は、照国に次ぐ史上二人目の記録である。 


 初めての三役で迎えた十七年五月場所、初日から楯甲に引き落としで敗れて幸先の悪いスタートを切ると、三日目に同じく柔道の達人神風と掛け投げの打ち合いを演じた末、内掛けで投げ飛ばされ、これまでの自信が大きくぐらつき始めた。

 明らかに相撲が変わるのは七日目に輝昇に立ち合いでいなされて、またしても引き落としに屈してからである。双葉山を吹っ飛ばすほどの出足の勢いも、変化に反応出来ないという欠点を自覚するようになってからは、引き技を恐れて思い切り踏み込めなくなり、期待された双葉山戦でも四つに組み止められたあとは、何も出来ないまま寄り切られている。

 相撲の世界に入った当初は、引き技が中心だった柔道から押し技へとスタイルを変えるのに苦労したという豊島が、今度は引き技に翻弄されるとは皮肉な話である。

 新三役で八勝七敗という成績は、もちろん及第点だが、入幕から二場所連続二桁勝利という快進撃と双葉山を正攻法で破った力量からすれば物足りなさは否めなかった。せめてもの救いは、力相撲で挑んできた玉ノ海と名寄岩の両関脇には全く力負けせずに圧勝していることで、四つ相撲さえ覚えれば大関、という評価はいささかも揺らぐことはなかった。


 昭和十八年一月場所に十勝五敗と復活した豊島は、関脇で迎えた同年五月場所、成績次第では大関獲りの可能性すらあった。すでに稽古場では横綱安芸ノ海が三番中二番は押し負けて土俵を割るほど豊島の突進力には磨きがかかっていたが、またしても単調な相撲に付けこまれて再三の引き技に苦杯を舐め、入幕以来初の負け越しという屈辱を味わうことになった(六勝九敗)。

 決して弱くなったわけではない。前年度の満州場所では双葉山、羽黒山の両横綱と大関前田山を押し相撲で圧倒し十三勝二敗の好成績を残しているように、まともに当れば横綱、大関さえなぎ倒すスピードとパワーは幕内随一といっていいほどだったが、本場所になると巧く回り込まれて全く歯が立たないのだ。中には、巡業中の双葉山はまともに受けて立つことで豊島の突進力を確認しているのだ、という声もあり、四つ相撲が中途半端のまま、あらかた手の内も知り尽くされた豊島はここから苦しい土俵が続く。

 「豊島の咽喉輪攻めは、三役圏内だと一度は通用しても二度目からは読まれてしまう」と評論家の大井広介が指摘しているように、豊島は勝利の方程式を持っている反面、それを外されると思わぬ脆さを見せた。親友の増位山は長い付き合いでそのことを熟知していたため、生涯唯一の本場所での対戦となった昭和十五年夏場所、立ち合いで豊島の突きをかわしてたたらを踏ませると、立ち直る間もなく、土俵の外に突き出している。

 仮に褌を取っても、柔道崩れの技が通用するのは平幕あたりまでで、羽黒山のような怪力にかかると、力でねじ伏せられてしまった。


 十九年五月場所、せっかく小結に返り咲いたのも束の間、体調不良で身体にキレがなく一勝九敗の大負けで平幕に陥落。今や進境著しい東富士や親友増位山に注目が集まり、豊島人気は次第に過去のものになりつつあった。

 戦況の悪化に伴い、二十年一月場所を前倒しにして開催された十九年十一月場所、豊島は再び脚光を浴びる。

 初日の相手双葉山は、同じ轍は二度と踏まないという定評どおり、豊島を左四つに組み止め、十分な体勢から一気に寄って出たが、土俵際に追い込まれた豊島が差し手を絞りあげながら下手から捻り気味に投げを打つと、腰が伸びきった横綱はそのまま土俵下に転落し逆転勝利。

 双葉山が同じ平幕相手に二つ目の金星を献上したのは、鹿嶋洋、櫻錦に次いで三度目のことだった。

 四つ相撲で双葉山に勝てたことは、豊島に新たな可能性を芽生えさせた。差し手を絞りながらの寄りあるいは投げは、苦手の四つ相撲を克服するきっかけとなり、負けたとはいえ羽黒山にも大善戦するなど相撲内容はよく、五勝五敗でこの場所を乗り切った。

 かつては自身の付き人だった千代の山も十両優勝を果たしており、出羽海部屋も久々に盛り上がった。こういう相撲が取れれば、もう一度大関が狙える。そんなファンと本人の期待も虚しく、豊島の土俵人生は唐突に幕を下ろした。


 昭和二十年三月十日未明、帝都上空に飛来したB29の大編隊は一夜にして市街地の五十パーセントを焼土に変え、両国界隈の相撲部屋のほとんどが被災した。東京大空襲である。

 この日、部屋に残っていた力士たちは増位山を中心に消火活動に加わり、人的被害はなかったが、自宅にいた豊島は焼け出されて隅田川まで避難したものの、周囲を炎に囲まれそこで逃げ場を失ってしまった。実は十一日には秩父に疎開する予定だったというからツイてない。

 豊島はこの日、後援会幹事の自宅に招かれてウィスキーを二本も空け酩酊状態だった。部屋の仲間たちは泊まってゆくよう勧めたが、同棲中の浅草芸者が待つ自宅へと帰っていった。「女に入れ込みすぎると出世できんぞ」と叱咤する兄弟子たちの声を振り切ってからわずか数時間後に紅蓮の炎に巻かれた豊島は、死を覚悟したその時何を思っただろう。


 豊島はリュックを背負って言問橋のたもとの石垣につかまったまま息絶えていた。両手だけが焼け爛れていたのは、一酸化炭素中毒で絶命した後、水面から出ていた手が炙られたからと思われる。発見された時には、平素の就寝時と同じようにペロリと舌を出しており、まるで寝ているかのようにきれいな死に顔だったという。二十五歳の若すぎる死だった。

 

 安芸ノ海は豊島を横綱の器と評価していた。横綱にまでなった自分が奇襲戦法で生涯一度しか勝つことが出来なかった双葉山を正攻法で二度も破ったからであろう。もし豊島が綱を張っていれば、明治の小錦(身長一六九センチ)を下回る史上最も小柄な横綱になっていたはずだ。

 新入幕の場所、支度部屋で藁と新聞紙で手製の横綱を作って土俵入りの真似事をしていた豊島の夢は、帝都の夜を赤く染めた猛火の中で灰燼に帰した。


次回はもう一人の被災力士、佐賀県出身の松浦潟達也です。最後の土俵が昭和十九年十一月場所ですので、

実際の土俵をご覧になった方はほぼ皆無でしょうね。出待ちの女性ファンがいるほどの人気力士だったそうなので、リアルタイムの声を聞いてみたいです。

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