Ep4. 嫉妬と後日談
霊的なものとは全く無関係だけど、高校時代にほんのちょっとだけ怖い思いをしたことがあったな。
怖いと言っても極細やかなものだ。
幽霊や化物じゃない。
当時、私服通学が許可された高校に入学して、学生時代を楽しんでいた。
何せ、その高校を受験した理由のひとつが、私服通学が許可されていた学校だったからな。
昔から自分はスカートやレディスファッションが苦手で、私服の大半がメンズ物。
このガッコ行きゃスカート穿かなくて済むんだラッキーって気分で受験、合格した。
通学の時も当然男物のシャツにジーンズというシンプルな格好で、靴は大抵スニーカー、髪もショートヘアで言動もボーイッシュ通り越してマニッシュで、一部の女子から妙な人気があった。
この高校には制服もあった。一応持ってた。『式典の時とか制服あると便利だから』って親に持たされたもので―――不幸にも祖父が亡くなった三年の時に袖を通すことになった。
生徒は、制服七割、私服三割…いや、私服組はもっと少なかったかも。
制服の中で堂々と私服姿でいたから、割と目立っていたかと思う。
まあ、某ヅカの男役みたいな感じの扱い? 名前も男っぽかったし。
痴漢退治を何度かして同じ高校の女の子助けたことがあったから、それもちょっとした人気に繋がっていたかも。
部活は美術部で、オタク活動も兼ねて楽しい毎日だった。
学年が上がってから、後輩たちからもちょっとキャアキャア言われることもあって。
何人かの女の子たちから恋愛的な意味で告白された。
だが、同性に告白されても、自分、一応異性愛者なので断るしかなくて。
ラブレターをもらったのも、バレンタインにチョコレートをもらったのも高校に入ってからが初めての経験。
期間限定の、人生初のモテ期みたいな?
自分としちゃ、まあ女子高だし今だけだろうな、と。
お気楽に高校生活を楽しんでいたんだけどさぁ……
―――――まず気付いたのは『気配』。
悪意? いや、若干殺気立ったような苛立ちっつーか……。
そういう気配を叩きつけられることが、2年に上がってから増えた。
妙に鋭いんだよ、その殺気?が。
廊下歩いてる時にふ、と感じたり、教室移動の時にふ、と感じたり。
体の方が先に敏感に感じ取るのが不思議だった。
人間生きてりゃどこで恨みを買うか分からないとはいえ、覚えがないので困った。
その日も、授業を終えて、旧校舎にある美術室へ向かおうと渡り廊下を歩いていた。
例の『気配』を背後の階上からひときわ強く感じて、咄嗟に振り返って見上げた。
新校舎二階、二年生の教室のベランダ。
学年こそ同じだが、一度も口もきいたことがない長身の女生徒が、殺気立った目で睨んでいた。
まあ、自分も姿が小柄な割に負けん気が強い方だから、目ぇに力を入れてガンを飛ばした後、鼻で笑いとばして見せてから振り切って、そのまま美術室へと向かったさ。
美術部には睨んできた女生徒と同じクラスの部員がいて、彼女とは入学当時から仲が良い友人関係だったので、何となく聞いてみたんだ。
そうしたら彼女は
「あ~あ、あの人ね。Dさんじゃ無理もないか」
自分はDさんとかいうあの女生徒に何かしただろうか?と首をかしげていると、
「一年B組の、○○って娘、覚えてる?」
その名前は憶えていた。自分が痴漢から助けた子で、後日告白してきた後輩だったから。
「あんたを睨んできたっていうウチのクラスメートのDさん、あの子が好きなんだよ」
「自分断ったんだけど?」
某アイドルに似て可愛かろうとも、女に恋愛的な興味はない。
「おチビなアンタが自分より女の子にモテるのが気に入らないみたいよ?」
「うへぇ、厄介な」
ちなみに、この友人と休日に本屋巡りをしていたところを、友人の中学時代の同級生に見られていたとかで、
「あんた、中学生の男の子とデートしてたでしょ」
と言われたと爆笑しながら報告してきた。
年下の男の子♪に間違われていた当時の自分…。
当然笑いのネタにされたね。
家族にも教えたら、腹抱えて笑い転げてたよ。
ちなみにサイズアウトした弟の学生服を借りて、着た姿をうっかり同級生に見せたらあわや写真撮影会になりかけて騒ぎになった揚げ句、センセーに説教されたのも、今じゃいい思い出。
「違和感が無さ過ぎるにも程があるわ。本当に男子生徒が潜り込んでいるのかと思ったじゃないの」
当時の担任のこの台詞がMVP。
閑話休題。
自分のことを殺気立った目で睨んできた女生徒Dは、バスケ部?バレー部だったっけ?
まあその部員だったそうです。
こっち文化部、あっち運動部。
接点なんて無い。クラスも違うし。
実際卒業までまともに口きいたこともなかった。
Dからは何度もガンつけられることがあったけど、其の度に鼻で笑い飛ばして見せた。
実際には内心(体格差もあって)ちょっとガクブルしてたけど、表に出したことはないな。うん。
ぶっちゃけ怖くないと言ったら噓になる。身長の差20センチ近くあったし。
まあ、向こうは仕掛ける気はなかったと思うよ。部活ではレギュラーだったらしいし。問題起こしたら停学か退学も有り得たし。
まあ、Dとは全く口を聞くこともなく卒業したわけ。
知ってることと言えば、Dの左目じりの少し下に泣き黒子があったことくらい。
嫉妬も過ぎるとあんなに鋭く物理的な気配を放つものなんだと知った。
これが自分の体験談。
これには後日談がある。
卒業して十年くらい経ってからだったかな……。
たまたま買い物帰りに駅に寄ったら、男から名前を呼ばれたんだ。
振り返ったら、長身に眼鏡かけたスーツ姿のイケメンがいましてね。
少し長めの髪型とか似合ってて、某テニスマンガの伊達眼鏡キャラっぽい感じで。
ちょっと気だるげで、退廃的な雰囲気を漂わせていたのが印象的だった。
「…誰?」
いや、ホントに誰か全然分からなかったんです。マジで。
声が低音で、完全に男の声でした。
「久しぶり」
「…いや、どちらさん?」
こんなイケメンの知り合いはいない。
従兄弟はイケメンだがタイプが違う。
「あー…Dだよ。覚えてない? 女子高時代の元同級生で、君に勝手にライバル心持ってガン飛ばしてたヤツっていえば分かるかな。俺のクラスメートと君、美術部で仲良かっただろう?」
「……はあああああ?! あのD?」
一発で思い出した泣き黒子。高校時代ガンつけてきたDさん。
十年ぶりに逢ったら性転換してました。
少なくとも男性ホルモンの注射は長い事してたと思う。体格も大分男性的になってたし、喉仏も出ていたし。
肌が、男性ホルモンの影響か、実年齢より少し上に見えた。後で確認したら髭も生えていた。
「変わったな」
「そういう君は、ほとんど変わらないな」
「あ~それたまに言われる」
童顔の自覚はあるんだよ、たまに繁華街に飲みに行くと九割の確率で補導されかけるのがツレェ…。
「近況報告がてら一杯どうかな、驕るよ?」
「お、いいねぇ」
只酒にホイホイ釣られて、まだ陽も高いのに飲みに行くことになった。
ゲスい裏心も無きにしも非ずだったな、性転換までする心理とか、Dの近況とか聞けるかもって。
まあ、色々と話した。
話し始めは殆どは他愛もない事ばかりだ。補導されても年齢と身元確認できるように運転免許取った話をしたらDは吹き出して笑ってた。
「俺まだ新しい名刺が出来てないんで」
そう言ってメモに今の名前を書いて寄こした。
あきらかに男性名だ。ただ、まだ正式な名前ではないらしい。源氏名という奴なのだと言っていた。
「源氏名……D、お前さん今何やってんの?」
「ホスト」
「マジかよ、似合うなぁ~。女に貢がせてんの?」
「想像に任せるよ」
グラスを重ねるごとに話はデリケートな部分も出てきた。
Dは物心ついた時から精神性と肉体性に違和感を感じていたらしい。
――――性同一性障害。
当時はあまり知られていなかった事から悩んだこと。
胸が膨らみ、初潮が来た時の絶望。
同級生だった女子高時代は、ある意味天国ある意味地獄だったこと。
恋愛対象が女性だと家族にバレて、高校卒業と同時に家から追い出されたこと。
性別適合手術のために男性ホルモンを定期的に打つようになって八年以上経つこと。
水商売もどきをしながら内摘手術費用を貯めて、性別変更手続きの準備をしていること。
今は好きな女の子と結婚を前提にお付き合いしていること。彼女は自分が元女であることを知っていること。
「今回は籍を抜く手続きのために帰省したんだ」
「分籍届か?」
「そう。ついでに親に今の姿を見せつけてやろうと思ってさ」
「へぇ。……DNA検査っつーか、性染色体検査した?」
「? いや、それはしてない」
「一応両方しといたほうがいいよ。もしXYだったらトランスジェンダーじゃなく間違いなく男の半陰陽な訳だし。男なら女の子を好きになるのも生物的には普通だし」
二卵性双生児の男女として生まれるはずが、細胞分裂の途中でひとつに融合し、一人として組まれてくる『キメラ』というレアケースや、3000~5000人に1人生まれてくる半陰陽など、ぐだぐだと説明を交えながら。
「性染色体がXYだったら、Dがそうなったのは、そういう身体に産んだ親のせいな訳だし」
親のDNAも調べさせて、親子関係が立証された上で、もし本当にXYだったら――――
「診断書持って親に叩きつけてやれ。『自分がこうなった一因は、こんな体に作ったアンタらにある』ってさ」
軽い酔いに任せて放った軽い台詞だった。
Dの心が少しは軽くなるといいと思っての軽口だった。
「……君って、強いなぁ……」
しみじみとDは呟いた。
「高校時代から君のことが羨ましくて、恨めしかった」
かっこよくて男っぽい名前が羨ましかった。漫画やアニメの主役に出て来そうな名前が。
好きになった娘が君に夢中で悔しかった。
当然のように男物の服を着て高校に通学している姿にも憧れた。
痴漢退治で女の子たちからヒーロー扱いされているのが妬ましかった。
ろくに話したこともない相手に、酔いに任せて過去を愚痴るDに、
「何言ってんだか。お前鏡見てみな。タッパあってイケメンでスタイル良くて。テ〇プリの忍〇みたいで俺よかよっぽどイケてるっての。泣きボクロはべっさまだけど」
だいたい伊達メガネ似合い過ぎなんだよ、その身長5センチ寄こせ!等々思わず返した言葉に、Dはとうとう笑い出した。
「俺がテ〇プリの忍〇なら、君は主人公くんじゃん」
「え゛?! 越〇っぽい?」
「似てる似てる。眼鏡を取ると目が大きくて目じりが切れ長なところとか、あと左利き」
「やめろ、オタ仲間の妹にも同じこと言われてんだよー」
「見る目がある妹さんだ」
「眼鏡が手放せないから越〇じゃないもん」
「コンタクトにすればいいのに」
「コンタクトなー。前に眼科いったら『目ん玉デカくて合うサイズない』って眼科医に言われた」
ハードレンズならギリ行けるけど…知ってるか? くしゃみするとハードコンタクトって飛ぶんだよ…カラーコンタクトしてみたかったなぁ……。
「ハードレンズってくしゃみで飛ぶんだ⁉」
「飛ぶ! 三回経験したから間違いない!」
だからコンタクトは諦めた、ド近眼乱視に眼鏡は手放せないと言って、グラスの中身を一気に飲み干した。
ツボにハマったのかDは笑いが止まらなくなっていた。
傍から見れば眼鏡男子の飲み会にしか見えなかったと思う。
Dと直接会話したのはこれが最後だ。
ただ、翌年実家に年賀状が来た。
記載されていた西日本某所の住所に慌てて遅い返事を出した。
何度か年賀状だけのやり取りをしたある年、届いた年賀状には可愛い女性とのツーショット写真がプリントされていた。余白には小さな字で『結婚しました。』と肉筆で書かれていた。
「わーお」
結婚したと言うことは、性転換手術と性別変更手続きが無事に済んだのだ。
Dは男として彼女と結婚できたということだ。きっと宛名に書かれているこの名前も名前変更手続きで変更した『Dの本名』なんだろう。
「おめでとう、幸せになれよ」
自然と祝いの言葉が口から出ていた。
高校三年間では一度も口を聞かず、卒業してだいぶ経ってから再開し、一度だけ酒を飲みながら話をした。
そんなDとは今も年賀状でだけで生存確認をしている。
知人の実体験を参考にしました。