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ナイトメアシンドローム  作者: 夢見る冒険者
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雫の覚悟

「雫、お疲れ様」


「滉誠君、ゆりちゃんも。お疲れさま」


そう挨拶をして、俺たちはテラス席に腰を下ろす。ビルの2階にあるこの場所は店内とは違い開放感のあるスペースだった。テーブルの距離は少し遠く、周囲の音も気にならず、何か大事な話をするには、うってつけの場所だった。


俺達はドリンクを手にしながら話し始める。最初に話題を振ってくるのはゆりだと思っていたが、意外にも口を開いたのは雫だった。


「滉誠君から見て、、私があなたのような人物になれると思いますか?」


その言葉に、俺は思わず目を見開く。雫が、こんなにも真っ直ぐに問いを投げかけてくれるなんて思わなかったからだ。彼女が俺をある程度、信頼してくれているからこその質問だろう。だからこそ、俺は、ちゃんと返したいと思った。


「俺のような人物ってことだけど、それはスポーツも勉強もクラスで一位を取れる程の実力を身につけている。そんな認識であってる?」


「……それだけじゃないです。明日香ちゃんやあなたのように、場の空気を変えるような人になれるのかって意味です」


雫の目は真剣だった。曇りも、迷いも、少なくともこの瞬間はなかった。俺はその視線に応えるように、少しだけ考える。彼女が俺と同じレベルにまで到達することは可能か、それを冷静に分析して答える。


「結論から言うと可能だと思うよ」


その言葉に雫は驚くと同時に嬉しそうな表情を浮かべる。でも、俺は続ける。


「けどね、一つだけ雫に問いかけたい。何のために俺レベルの実力をつけたいと思ったの?」


よく人が陥りやすいことがある。それは、目的と手段の混同だ。もし憧れの人物になることが目的なら、そのために能力を磨くことに注力すればいい。友人関係も、家族との時間も削って、すべてを目標に捧げることができるなら達成することが可能だろう。


でももしも、雫が困っている人を助けたいから実力者にならなきゃいけない、そう思っているのだとしたら

それは、少し違うかもしれない。


あの場面――クラスの空気が重くなっていた時、俺よりも、ゆりやちとせの方がきっと上手く立ち回れる。そういった確かな確信があった。その言葉に雫は声をつまらせる。


「それは……」


自分が本当はどんな姿になりたいのか、まだ見えていなかったのだろう。初めてなら当然だろう。何より、そもそもこの問いに正解などない。必要なのは自分がこうなりたいと強く思い、成し遂げる覚悟を持つことだけだ。悩み続けたところで意味などはなかった。詰まったように黙る雫に助け舟を出すようにゆりが口を開く。


「今、ありのまま思っていることを口に出せばいいと思うよ」


そう言って、雫の背中をそっと押す。その真剣な表情に促されるように、雫は小さく口を開く。


「……私、わかんないんです」


俺たちは、彼女の言葉を待つ。急かすことなく、ただ静かに、リラックスした姿勢で耳を傾ける。


「自分がどうなりたいのか、わからなくて……」


雫の声はか細く、それでも確かに届く。


「たった数日でクラスの中心になってしまうような、ゆりちゃんや滉誠君に憧れる気持ちは確かにあって。でも、自分がそんなふうになる姿は、全然想像できなくて……」


言葉を選びながら、彼女は少しずつ、自分の本音を吐き出していく。


「だから……もしも、あなたたちみたいになれたら、何かが変わるんじゃないかって、思ったんです」


俺はその言葉をしっかり受け止めて、静かに口を開く。


「確かに、俺たちのようになって変わることはあると思う」


雫は目を見開いたまま、俺の言葉を待っていた。


「でもね。変わるってことは、同時にしがらみも増えるってことなんだ。簡単に言うなら、それは“信頼”の重さかな」


「信頼……ですか?」


「そう。今、雫が俺たちを“できる人”として見たみたいに、周囲からの信頼は常について回る。いつも期待に応えなきゃいけないっていうプレッシャーにもなる。間違えれば責められるし、うまくやれば拍手される」


俺の言葉に、雫の瞳がゆっくり揺れる。


「目立つってことは、それだけ多くの感情に晒されるってことなんだ。その覚悟が雫にはある?」


俺は、雫に問いかけていたその立場になって何をしたいのか。同時にいろんなことを考えてほしかった。 想像してほしかった。 そうなりたいと思ったきっかけが何なのかを考えてほしかった。


そして理解する。俺はまっすぐに生きる彼女に対して、前を向いてほしいと思い始めているということに。植物の水が無くなっていないか時々確認をする彼女の優しさに、誰かにアクシデントがあれば、本気で心配して、泣きそうになるほど焦ってくれる純粋さに。


その優しさが、俺の心を動かし始めていると感じた。だからこそ、口にしてほしかった雫自身の言葉で伝えて欲しくて俺は次の言葉を待つ。


「正直、問いかけれて初めて自分が恐れていることに気づきました」


雫は、ゆっくりと自分の気持ちを言葉にしていく。


「その立場になって誰かを傷つけてしまうんじゃないかって、 期待を裏切ってしまうんじゃないかって気後れする気持ちがあるんです」


それでも彼女は、まっすぐに俺たちを見据えていた。その瞳には、これまでと違って迷いや不安を抱えながらも、どこかに覚悟を決めた強い意志を感じる。


「それでも私は現状の弱い自分が嫌だから変わりたい。変えたいんです」


強い口調で雫は俺達に宣言をする。


「だから、そうなるための手伝いを滉誠さんと、ゆりさんにしてほしいんです」


その声は、震えていたけれど、確かな意思を感じさせるものだった。俺は、その言葉に自然と笑みを浮かべていた。雫がここまでの一歩を踏み出してくれるとは思っていなくて、それが予想外でたまらなく嬉しかった。横に目をやると、ゆりもまた、あたたかい笑みを浮かべて彼女を見つめていた。


この日を堺に彼女は、確かに一歩を踏み出した。俺は、そう確信していた。

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