運命
森は夕陽に染まり、黄金の光が木々の隙間から差し込んでいた。護衛兵たちの鎧や衣服には返り血がべっとりとついている。俺の体も同様に赤黒く汚れていた。
けれど——サイフォスは違った。
彼の黒いマントはほとんど汚れていない。滴る血の痕さえ見当たらない。圧倒的な速度で敵を殲滅し、ここに転がる魔獣の屍のうち、少なくとも三分の一は彼の手によるものだ。
魔法があるだけで、ここまで戦果が変わるのか。驚きのあまり、俺はサイフォスを見つめていたその時——馬車の扉が、ゆっくりと開かれる。
瞬間——演劇のワンシーンのように、淡い光が差し込んだ。
夕陽が差し込み、木々の間からこぼれ出た光が、まるで舞台のスポットライトのようにサイフォスとその前に立つ少女を照らし出した。
どこからか風が吹いて、黒髪の少女——「夕暮 心愛」の髪をたなびかせる。その仕草が、たった一瞬の動作が、あまりに絵画的で、俺は息を呑んだ。
静かに目を上げると、彼女とサイフォスの視線が交わる。
その光景を見た瞬間、気づいてしまった。
——なるほどね。俺は、この物語の登場人物にもなれてはいないってことか。
目の前で交わされた視線。それは、何かを確かめ合うような、運命的なものだった。心愛と攻略対象が出会う瞬間。ドラマチックに恋に落ちる場面。
そして俺は……モブだ。
彼らの物語の端にいる、ただの引き立て役に過ぎない。胸が妙に静かだった。驚きや焦燥は不思議とわかず、ただ、目の前の光景を、俺はじっと見つていた。
「ご無事ですか?」
低く、しかし優しい声が耳を打つ。
「…助かったの?」
彼女は震える体を支える様に、ドアにしがみ付きながら辺りを見渡している。幸いにも見える範囲に兵士の死体はない。だか、魔物が切り伏せられたその光景に口を塞ぐ。
「大丈夫ですか?」
サイフォスが近づこうとするが近衛性らしき人たちが立ちはだかる。
「……いいのです」
心愛が片手を軽く上げ、近衛兵たちを制した。
「彼が助けてくれたのでしょう?」
透き通るような声音が、戦場の静寂の中で響く。
「助けてくださり、ありがとうございます」
姫が深々と頭を下げる。近衛兵は驚いた様な顔で見つめるが、何も言わずにいた。サイフォスの方も姫が頭を下げたあたりで、一拍遅れて膝をつく。
「とんでもございません。あなたが無事で何よりです」
姫の礼に応えるように、静かに頭を垂れる。
「あなたのお名前を…聞いても?」
少しだけ不安げに、それでも確かめるように、彼女は尋ねた。
「サイフォスと申します」
彼の名を聞いた瞬間——心愛の瞳が、微かに揺れた。その唇が、確かめるように、ゆっくりと彼の名を空で繰り返す。
世界が、祝福するかのように輝いて見えた。大気がキラキラと揺らめき、光がまるで彼らを包み込むように降り注ぐ。
俺はその光景を、ただ見つめることしかできなかった。