58新しい体制(読み飛ばしても大丈夫)
58新しい体制(読み飛ばしても良い)
天文21年1552年 11月 六角亀松丸
近江の情勢も六角で安定し、領内の統治も上手く行ってきた今、父は六角内での武官文官の制度を整備した。人事発表のようなものだな。
まずは一番上の権力に父六角義賢がくる。
次点で評定衆だ。六角家の重臣や全体を見て組織の統治ができる面々や専門性に富んだ人物が来る。例えば、平井定武や三雲定持、進藤後藤の両藤、祖父である六角定頼、一応俺もここに入れられている。
評定衆の補佐として若年寄が来る。目賀田や鯰江、望月、馬渕などがくる。
そしてその下に外交衆、内政衆、武官衆がくる。ここの長が若年寄や評定衆に入っていることが多い。例えば外交衆の長は三雲定持、内政衆の長は後藤但馬守、武官衆の長は蒲生などである。
内政衆は村単位からそれをまとめる郡単位、それをまとめる地域単位、それらを統括する国単位が来る。その地位に応じて俸禄が変わる。各単位の行政官の補佐がそれぞれ付き、さらにその下に部下が付く。補佐と部下は長の地位に関わらず位は変わらない。
武官衆は纏める兵の数や規模に応じて地位が変わる。五人ほどを纏める兵長、五人の兵長をまとめる小隊長、四〜五小隊を纏める中隊長、五つの中隊を纏める大隊長、大隊長をまとめる准将少将中将大将に別れる。将の別れ方はそれぞれ准将が500〜1000人規模、少将から1000〜3000人、中将から3000〜5000、大将が5000〜となる。それとは別に各軍単位に着く軍師枠がある。これは武官衆の中にある軍略方と呼ばれるものだ。他にも運輸方や黒鍬方など様々に別れている。
外交衆は先ほど2つとは違い各大名に対して外交官とそのまとめ役、部下がいるという形だ。実はほとんどが甲賀や伊賀と繋がりのある裏の方も担当している。ここは軍略方とも繋がっている。
このような形で運営をしていくようだ。これが基本というだけで勿論俺の直下の兵は遊撃という形で引っ張りだこだし、寺社に対する対応は外交衆と軍略方、評定衆など様々なもの達が連携して行なっている。
ちなみに俺直属の家臣達は扱いとしてはただの武官と同じようなものだが、扱える兵の大きさはそろそろ大将も見えてくる。




