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六角の最盛期を越えていけ!六角義治転生〜三好や織田相手に生き残れ!〜  作者: ヒバリ


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155 若狭仕置3

155若狭仕置3


永禄2年1559年 3月 六角治頼


 「最後に私からになりまするが、後瀬山城と小浜は粗方形になっておりまする。こちらに集められた農民達を付近の村々に割り振り若さに残りたがった農民達は満足しているようにございまする。近江から来たもの達はそれら以外の場所でも気力に満ち溢れており、彼らもより高い成果を出しておりまする。」


 治光の報告は、若狭の都市整備と農民の定住状況に関するものだった。後瀬山城と小浜の整備が進み、農民の再配置も完了したことで、若狭の民心は安定していた。近江から来た者たちも意欲的に働き、開墾や作付けに成果を上げている。治頼は、戦後復興が単なる再建ではなく、六角流の秩序と活力を根付かせるものであることを実感していた。


 「うむ、この一年で成果がはっきりと出るものではないが、作付け面積や開墾面積を見るに、数年後にはとても収穫量が上がる見込みだな。よくやってくれた。」


 治頼は、農政の成果が数年後に現れることを見越していた。作付け面積と開墾地の増加は、将来的な収穫量の向上を約束するものであり、若狭の経済基盤を支える柱となる。治頼は、短期的な成果よりも、長期的な安定と繁栄を重視していた。彼の視線は常に数年先を見据えていた。


 宴の後、治頼は配下たちとくだらない話を交わしながら、穏やかな時間を過ごした。海の魚の話や小浜の珍品の話に笑いが起こり、戦と政の緊張が一時解ける。治頼は、こうした時間こそが兵や文官の忠誠を育てると理解していた。彼らに1週間の休息を与えることで、次なる任務への英気を養わせる。それが六角流の人心掌握術だった。


 若狭の統治を終えた治頼は、次の日に観音寺城へと向かい、父義賢に報告を行った。義賢は、伊勢統治に義定を送り出しており、祖父や高実の補佐を受けて経験を積ませていた。治頼は、義定が若狭での経験を活かし、伊勢でも成果を上げることを期待していた。六角家の次代を担う者たちが、着実に育っていることを確認する場でもあった。


 「父上、若狭の統治引継ぎありがとうございまする。義定も祖父や高実の補佐を受けながら伊勢統治を経験する事はきっと役に立ちまする。それに歴戦の将兵達を付けてくれたとか。」


 「まぁな。お前みたいに奴は化け物ではないからな。だが、良くやっているとは思う。」


 「そうにございまするな。私の方からも波多野殿や赤井殿には義定が若狭に向かったことを伝えてありまする。上手くやってくれるでしょう。」

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