140 若狭侵攻16
140若狭侵攻16
義賢は、文を読みながら治頼の構想の深さに舌を巻いた。軍事だけでなく民政まで手配済みとは、もはや一国の主としての器である。黒鍬隊の動員も即座に決定し、近江から若狭への道を整備することで、物資と人の流れを確保する。義賢は、治頼の成長を誇らしく思いながらも、自らも動かねばと気を引き締めた。
義賢は文の一節に目を留めると、眉をひそめた。義統の死を伏せるようにという治頼の指示は、単なる情報統制ではない。義輝に知られれば、幕府が若狭の後継に介入する可能性がある。治頼はそれを避け、六角主導で秩序を築こうとしている。義賢は、息子の政治的嗅覚と冷静な判断力に舌を巻きながらも、すぐに蝋燭の火に文を近づけ、燃やした。
「さて、ワシも頑張らねばな…。」
義賢は立ち上がり、机の上に広げられた地図を見つめた。若狭の安定は、畿内全体の均衡にも繋がる。大和の国人たちを動かすことで、南からの支援と牽制を整える必要がある。越智氏と十市氏は、かつての同盟者であり、今も義賢の言葉に耳を傾ける者たちだ。義賢は筆を取り、丁寧に言葉を選びながら文をしたため始めた。治頼が若狭を治めるなら、自分はその背後で畿内を支える。それが、父としての役目だと義賢は理解していた。
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永禄1年1558年 5月 六角治頼
砕導山城までは、特に妨害もなく進むことができた。既に若狭武田が六角へと降ったと周囲は受け取っており、落ち目の逸見に協力しようとする勢力はいなかったのだ。
治頼は、砕導山城までの道中で兵の疲労を最小限に抑えるよう配慮していた。周囲の村々では、六角の旗を見て門を開く者も多く、逸見の孤立が目に見えていた。戦う前に勝つという信念のもと、情報と民心を制した証と治頼は受け取った。実際現場を見て砕導山城が孤立していることを理解した兵たちの士気を高める要因にもなっていたのだった。
逆に丹波にいる波多野氏や赤井氏などの有力国人から連絡が来るようになり治頼としてはウハウハであった。三好と敵対するならば、丹波 丹後 山城 摂津 河内 紀伊と抑えなければならない方面が多い。現地で三好と敵対している勢力と仲良くしておくことは六角にとっても大きなメリットであった。
この件で治頼は三好との対立が広がる中、六角が新たな秩序の中心として認識され始めていた。波多野氏や赤井氏は、三好の圧政に苦しんでおり、六角との連携を模索している。この若狭の戦が畿内全体の均衡を揺るがす契機になることを確信していた。




