裏スライム山を駆け抜けよう 7
ブリッツは追い詰められていた。
スライム山の無殺生攻略が成功したのはブリッツにもわかった。裏スライム山登山口でも噂話が飛び交っていたからだ。
であるならば、オコジョ隊はピレーネを見捨てたはずだ。それを確認するためにブリッツは精霊を呼び出して、オコジョ隊がどんな活躍をしたのかを尋ね、そしてブリッツの期待は裏切られた。
「待て、待てよ……ウソだろ……!?」
【いいや。彼らは自分の装備を利用して担架を作り、骨折した巡礼者をスライム山の山頂に送り届けた。その上で聖オリーブの初回記録3時間を切り、太陽神へ祈りを捧げて無殺生攻略を成功させた】
「いや、けど……」
反論したい気持ちを、ブリッツは渾身の力で飲み込んだ。
恨み言や悪意をもらせば大地の精霊に山で企てた悪事が気取られてしまう可能性がある。そうなれば精霊に許される日が来るまで精霊魔法を使うことができなくなってしまう。
【何か質問があるのか?】
「あ、ありがとう、ございました……」
礼を告げると大地の精霊が去っていく。
ブリッツは頭を抱えつつも、疑問や不可解な点を整理していく。
そもそもピレーネの怪我は偽物のはずだが、大地の精霊は確かに「骨折」と言った。
大地の精霊は嘘をつかない。
偽情報を吹き込まれそれを他者に伝達してしまうことならばありえるが、自分の見たものをごまかすということは決してない。何か予想外のことが起きたのだとブリッツは推測した。
山での予想外の出来事とは何か?
決まっている。事故や遭難だ。
恐らくピレーネは、偽物の怪我をしては疑われると思って、オコジョ隊にわざとぶつかって自分が骨折してしまった。あるいは純粋に、ただのアンラッキーによって転倒して骨を折った。理由はなんでもいいが、大事なのはそこからだ。ピレーネは結局オコジョ隊に助けられ、そしてオコジョ隊は無殺生を成功させた。
ブリッツは、大鬼山の失敗とフェルド……つまりツキノワの脱退以来、ひねくれてしまいつつも自分の悪い予感を信じるようになった。悲観的な予測の精度が上がった。「記録を超えたら聖者オリーブを超えられるはず」という思い込みと勘違いに本能的に気付いて罠を張った。
「……偉業だ」
そして罠を張ったがゆえに、オコジョ隊は偉業を達成した。
スライム山は、実のところ遭難者が多い。観光地扱いするがゆえに誰しも安全配慮を軽視している。だが皆が忘れているリスクを可視化し、更には怪我人を救出してみせた。
また自分の使用していた杖と衣類で担架を作って迅速に怪我人を運び出した手際の良さを考えると、今までに無い合理的な手法のはずだ。聖地で怪我人を運び出すのは想像以上に苦労が多い。今後のスタンダードな手法として聖地の管理者が採用する可能性もある。
誰も思いつきもしなかったが、提示されてしまえば「それを求めていた」と言わせる概念。聖オリーブの記録を超えたことなどより、遥かに雄弁な偉業だ。
「どうする……? どうすりゃいい……?」
ブリッツは、自分の悪事が全て露見することを確信していた。
ピレーネは年若く、思慮も浅い。悪事に加担させるのは簡単だったが、逆に言えば恩をちらつかせて情報を吐き出させることも簡単なはずだ。聖地巡礼を妨害したと発覚すれば、どれだけの罰が発生するか考えるだけで恐ろしい。
自分の人生が足元から崩壊していく恐怖に震えながら、ブリッツは裏スライム山側の宿場町をさまよった。そして客を呼び込む男に声をかけられた。
「しけた面してんねえ! 風呂でも入っていきなよ!」
そこは、日帰り客も受け入れている温泉宿だった。
ブリッツは、せめて湯に浸かって今後のことを考えようと思った。
自分の動揺を沈めるにはそれがよいと思い、銭を払って脱衣所へ入る。
下手をすれば、ゆっくり湯に入る贅沢など二度と無いかもしれない。
服を脱いで脱衣籠にしまって、さあ風呂に入るかというところで、隣に誰かが来た。
その気配になんとなく覚えがあり、思わず顔を見た。
「あ」
「ブリッツ、お前……」
そこにいたのは、フェルドであった。
月の輪熊になぞらえて「ツキノワ」という二つ名を持ったらしく、オコジョ隊の一員として脚光を浴びている男。今、この瞬間、絶対に会いたくなかった男。
フェルドの視線は厳しく、「お前のやったことはわかっているぞ」と物語っている。
「フェルド……どうしてここに……」
そう言いかけて、だがこの男がここにいるのは当然だと悟った。
スタート地点に宿を取っているのだから、ゴールした後はここに戻ってくるに決まっている。
自分の愚かさを嘆き、死刑宣告に等しい言葉を待った。
「わかってるだろうが、お前を許すつもりはない」
「そうだろうな」
「けど……面倒な話はここではやめようぜ。走りきって疲れちまった。ここではお前と会わなかった。そうしとこうや」
だがフェルドは険しい表情を緩めて、助け舟を出してきた。
この男はいつもそうだ。
自分が引き下がって場を収めようとする。
お前、そんなんで冒険者やっていけるのかと怒りを抱いた。
だからフェルドと口論することが多かった。
この男に積極性があればもっと上に行けるだろうにと。
自分よりも遥か高みに。
ブリッツはこのときようやく、認めたくない感情を認めた。
自分が持たざる謙虚さと力量を持つ目の前の男に嫉妬していると。
嫉妬している自分を許せず、自分の失敗を素直に受け入れることができなかった。
「さーて、風呂から上がったら酒だな……」
そしてフェルドが上着を脱いだ瞬間、嫉妬は完全な敗北感へと変わった。
半袖のシャツを脱いで現れたのは、鍛え抜かれた筋肉。
そこかしこに傷ができて、更に塞がって固くなった、歴戦の証が刻まれている。
そして手のひらは、まさにぼろぼろの一言だった。
強烈なまでに重い物を持った証だ。
巡礼神子と騒がれている小さな女巡礼者の言葉を思い出す。
ツキノワはサイクロプス峠の崖を3度落ちて、4回目で登りきった。
血まみれの手で我慢しながら歯を食いしばって、80メールの断崖絶壁をクリアしたと、ブリッツに対し一歩も引かずに誇らしげに言い放った。
その何よりも雄弁な証拠が、目の前にある。
ブリッツはしばし、フェルドの肉体を凝視した。
「じろじろ見るなよ。男の裸なんて見てどうする」
「い、いや、なんでもない……。って、なんだその下着?」
ブリッツはそのとき、ふと気付いた。
フェルドがシャツの下に妙な下着を着ている。
当然、他の客もフェルドの姿に気付き、はっとしてフェルドを見つめた。
「なんだあいつ……かっこいい……!」
「体も鍛え抜かれてるな……よく似合ってる」
「ヒュー、まるでサイクロプスの体だぜ」
「あの服、すげえクールだ……!」
「な、なんだお前ら……? って、しまった! インナー着てたの忘れてた……!」
フェルドが慌てて服を脱いで脱衣籠に仕舞う。
そしてその下にある屈強な筋肉に、他の客たちはブリッツと同様、歴戦の気配を感じて黙った。
誰もが畏敬の目でフェルドを見つめる。
もっとも新しいファッションに目を奪われていただけの者が多いが、これも一つの畏敬であった。
雄々しい肉体を際立たせるデザインは、宿場町に滞在する冒険者たちの心を突いた。
「……フェルド!」
そして畏敬の心のままに、ブリッツは跪いた。
「や、やめろブリッツ! 紛らわしいから風呂に入るか服を着るかしろ!」
「すまなかった! すべて、俺が悪かった……!」
ブリッツは、脱衣所で全裸のまま平伏した。
完全な敗北宣言だった。
「そうか……俺から一つだけ言わせろ」
「なんだ」
「いい加減に風呂に入らせてくれ」
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