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靴職人クライドと錬金術師コルベット




 夕刻となり、かしましい少女たちがそれぞれ帰っていった。

 工房には少女たちの声のこだまが残っているような、不思議な静寂がある。

 クライドはマーガレットの職人道具を手に取って見つめた。


 錆一つなく、整理整頓されている。

 手入れは欠かしていないようだ。最近忙しい日々が続いていて心配だったが、まったくの杞憂だったことにクライドは誇らしさを感じた。

 貴族子女としてのたしなみを疎かにしていないのに、こうした泥臭い仕事にも手を抜かないマーガレットを、クライドは暖かく見守っていた。


 靴職人として大成してほしいわけではない。

 これはガルデナス家のたしなみの一つでしかなく、決して本業ではない。

 ただ、彼女の真面目さが報われてくれるのであればなんでもよい。

 クライドはそう思っていた。


 クライドは一人暮らしだ。

 嫁に先立たれ、子供はいない。

 弟子を取ったこともあったが、すでに独り立ちしてしばらく経つ。


 一族の子女に騎士の装備の手入れを教えるのは手慰みのようなものだ。ほとんどの子は、ある程度の技術を身に付けたらもうクライドに教えを請いに来ることはない。実際、他にもやるべきことはいくらでもある。成人してもあれこれと用を見つけて遊びに来たり、教えを請いに来るのはマーガレットだけだ。


 真面目な子で、それゆえに思い詰めやすいことをクライドは心配していた。事実、婚約者と別れて唐突に別の男と婚約することになったときは、嫌な予感が当たってしまったとクライドは嘆いた。


 そして、マーガレットは父に許された。


 マーガレットの父、グスタフ=ガルデナスは、確かに家族に無関心ではあるが、家族を愛していないわけではない。


 婚約破棄を許したのはマーガレットの結婚をそこまで重要視していないからだ……というのは半分当たっている。


 だがもう半分は、グスタフはマーガレットと同い年の頃、父に痴情のもつれの尻拭いをしてもらったことがあったからだ。グスタフは自分が父に許されたことを思い出し、懐かしんでいた。クライドはそんなグスタフの心の内を見抜いている。


「旦那様は、マーガレットお嬢様のことを愛していますよ。あなたの思う愛とは少し違っているかもしれませんが……」


 だがクライドの口からグスタフの若き頃の過ちや今抱いている感情を率直に伝えるのは憚られた。「そんなことはありませんよ」と言うに留める他なかった。そもそも浮気をしたのは、マーガレットの婚約者の方が先だ。グスタフの心の内や若い頃の過ちを言ってしまえば、親子仲がこじれるのは目に見えていた。


「旦那様が恨んでいるのはわたくしだけです。旦那様の怒りに触れたなら、私が責めを負えばよい」


 一人だけになった工房に、寂しげな呟きが響く。

 そんなときに、軽快なノックの音が響いた。


「おいクライド。まだやっているな」


 気付けば一人の客の姿があった。


 客は、この場に似つかわしくない伊達男であった。

 片眼鏡にステッキを持ち、服も洒脱な臙脂色のストライプ柄。

 顔には深い皺があるが、衰えを感じさせない鋭い眼差しの老人だ。


「コルベット? あなた、共も連れずにどうしたのですか。伯爵ともあろう者が不用心な」


 咎めるようなクライドの言葉に、客は舌打ちを返す。

 苦言と舌打ちを交わしたところで何事もない程度に、彼らは親友であった。


「うるさい。荷物を受け取りにきてやったのじゃぞ。そろそろスライムの素材は確保できたのだろう? 早く寄越せ」


 コルベットはクライドの友であり、同時に熟練の錬金術師であった。

 スライムの体を使って様々な柔らかさ、あるいは硬さの物質に加工できる、希有な存在である。


「丁度良い……と言いたいところですが、どうせ女のところに遊びに来たついででしょう」


「再婚もしないおぬしよりマシじゃ。新たな工房を作ったから可愛い娘でも侍らしているのかと思えば、まったく寂しいもんじゃの」


「若い娘はいますとも。胸を張って誇らしげに旅立っていくであろう娘たちが」


「子供の面倒を見ろと言っているんじゃあない。お前が面倒を見てもらえと言っておるんじゃ。どうせ体も耄碌してきたじゃろうが」


「面白い仕事ができそうなのです。休んではいられませんよ」


「仕事をするなとは言わんが医者には行っておけよ。……まあ、儂も他人のことは言えんがの」


 コルベットが、くくと自嘲めいた笑いを漏らす。


「よい靴です。惚れ惚れするでしょう」


「うむ」


「これを、年若い子らが作りました。年甲斐もなく嫉妬してしまいますがね……これほど嬉しいことはありません」


「登山靴はほとんどおぬしが作ったようなものじゃろうが」


「靴職人なら誰でもできることをしたにすぎません。方針を立てて設計するという大事なプロセスには携わってはいませんからね」


「ふん、無欲なことじゃ」


「……覚えていますか。コルベット」


「何の話じゃ」


「戦争をしていたとき、もっとよい靴があれば、もっとよい防寒具があれば……もっと簡単に暖が取れれば……。ずっとそう思っていました」


 クライドが、寒さを耐え凌ぐように自分の手を撫でた。

 コルベットは憐れむでも嘲笑するでもなく、ただ共感で頷く。


「……寒さに凍えながら逃げ続けるのは、まさに地獄じゃったな」


「今も騎士のための靴や衣類の調達をしているのは、あの戦いがあったからです」


 クライドとコルベットは、若い頃に従軍経験があった。


 二人が言っているのは、北方戦役と呼ばれる戦争のことであった。


 大陸半島部の南側を支配するこちらのフォルトゥーラ王国と、半島の北端と周辺諸島を支配する兎国との大規模な戦争だ。最終的には痛み分けのような形で終わった戦争だが、局所的には大勝利もあり、大敗北もあった。


 クライド、コルベット、そしてクライドの兄は大敗北した騎士団の撤退を支援するため、殿(しんがり)を務めることとなった。


 敵の矢や魔法が飛び交い、夜は眠る暇もない。

 足を止めて眠ってしまえば凍え死ぬか撃たれて死ぬ。

 多くの人間が倒れて死んでいったのを目の当たりにした。

 クライドの兄……ガルデナス家の先代当主にして、グスタフの父もその死者のうちの一人だった。


 クライドは当主を守れず一人だけ生き残った責任を取る形で平民となり、ガルデナス家に仕えるという形で贖罪を続けている。マーガレットなどの娘たちには軋轢が生まれないよう「自分から希望して平民になった」と嘘を付いていた。


「あのときにほしかった靴ができる。そういう確信があるのです。楽しくてたまりませんよ」


「だがそれは、騎士のための靴ではない。聖地巡礼のためにこしらえたのだろう?」


「だからよいのですよ。兵や騎士の足を守れるなら素晴らしいことですが、もっと素晴らしいのは戦争などしなくてもよいことです。大いなる祈りを届ける巡礼者が生まれたならば、大地は静まり人や国の諍いも減るのですから」


「馬鹿者。金を稼げと言っておるんじゃ。まったく、どこか別の騎士団に正式配備するように動けば、金貨で風呂桶を満たせるであろうが。生意気な甥っ子などと縁を切って独立できるぞ」


「はて、その金貨に若い娘の喜ぶ顔ほどの価値があるのでしょうか」


「……こういうときばかり洒脱なふりをしおって。まったく」


 コルベットがやれやれと溜め息を付く。


「コルベット。あなたには色々と手伝ってもらわねばなりません。今日はちょっとした無茶を頼まれましてね……。衣服の素材についてなのですが」


「ほう? 面白そうじゃな。言ってみろ」


 そしてクライドは、マーガレットの親友の頼みを相談した。

 少々のことでは動じることのないコルベットが驚くのを見て、クライドはくっくと笑った。





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