タタラ山に登って温泉付き山小屋に泊まろう 11
タタラ山については主に福島県の安達太良山をモチーフにしつつ、その他の近隣の山の雰囲気、ファンタジー要素やオリジナル要素を足して執筆しています。
(作中の山小屋「火守城」は、安達太良山の山小屋や尾瀬の山小屋、那須の山奥の三斗小屋温泉などのいいところをミックスした感じです)
以後に出てくる山も、東北や関東の山を参考にしてる率が高めだと思います。
できる限り自分で登った山を参考に書いていこうと思うので(そして取材として山に登ったりするので)よろしくお願いします。
食事を終えて部屋に戻ると、すぐに睡魔が訪れた。
ここに来るために起きたのは夜明け前だ。
馬車で多少眠れたとはいえ、長時間活動し続けたことには違いない。
私もマーガレットも、体力の限界になっており、ばったりと倒れるように眠りに入った。
が、起こされた。
「ねえちょっと、起きてよ」
「なに……眠い……あと1時間……」
「もうけっこう寝たでしょ……。今、食堂に行ったら3時くらいだったもの」
そういえば食堂には柱時計があったっけ。
「なに? お腹空いたの?」
「あれだけ食べたんだから、そんなわけないでしょ……トイレ付き合ってよ……」
トイレは外にある。
まあ確かに真っ暗だし怖いのはわかる。防犯を考えたら誰かと一緒に行くのは正解だ。
「3時ってことは……7時間くらいは寝られたかな……? 時間としては丁度いい」
「あ、じゃあ、行ってくれる?」
「うん。ご来光を見に行こう」
「いやトイレに行きたいんだけど」
◆
トイレを済ませ、寝巻から再び登山ウェアに着替えたり身支度を済ませて、他の人を起こさないようにそろりそろりと山小屋を出る。
そこは、暗黒ではない。
星のきらめきに満ちた幻想的な世界だ。
この満天の星空をもう少し堪能したいところではあるが、足元がはっきり見えるほどでもない。明かりを灯そう。
「星の光よ、我が旅路を照らし迷いを払いたまえ……【星光】」
明るい光を放つ魔法を使うと、私の頭の斜め上あたりにちっちゃい星のようなものが現れて静かに輝いて私たちの足元を照らす。
松明がわりに使われる、ごく基礎的な魔法だ。
【種火】も【星光】も、一週間くらい真面目に魔法の練習をすれば使える。
魔法があればヘッドライトもアウトドア用のガス缶もいらないのは本当に助かる。
「ちょっと怖いけど……昼間の様子ともちょっと違って綺麗ね……」
ぶるりと体を震わせながら、マーガレットが空を眺めた。
「寒い?」
「ううん、大丈夫。起き抜けだから震えただけ。動いてれば体も温まるわ」
「わかった。尾根にまで出れば見晴らしがかなりよくなる。10分くらいで着くはず」
「じゃ、そこでお茶しましょ」
すでに一度通った道だ。
暗くともなんとなくわかるし、そこまで急な斜面はない。
「岩が転がってる。足元に気を付けて」
「わかってるって。足元に気を付けてって言葉、耳にタコができるくらい聞いたわよ」
「何度も言うのが大事。口に出して、耳で聞けば、心に刻まれる」
「はいはい」
言葉に出すのは本当に大事だ。
安全確認のヨシという言葉は形骸化してるミームとして扱われるが、だからといって不要になることはない。ヨシと言わなくなってしまえば、「形骸化していてまずいなぁ」という意識さえなくなって、もっと事故が増えたりする。
「多分、このあたりなら見える」
頂上へ向かう斜面に行く手前の、もっとも見晴らしがよいところに二人並んで腰を下ろす。簡易祭壇に火を灯して湯を沸かし、茶を淹れる。
「エナジーバー、まだ残ってるの?」
「もちろん。他にもドライフルーツと干し肉と……っと、しまった」
包装紙としていた油紙を開くと、うっかり干し肉のひとかけらをぽろっと落としてしまった。
それを拾おうとした瞬間、白と茶色の毛をした小さい何かが高速で走り抜ける。
「あっ、こら! 塩分強すぎるからやめときなさい! ナッツとかあげるから!」
泥棒の犯人は、オコジョだった。
山に住む小動物は夜行性が多いことをうっかり忘れていた。
夜明け前はまだまだこの子たちの活動時間だ。
オコジョは私の叱責を無視して、嘲笑うかのように夜の闇に消えていく。
「あらら、取られちゃってやんの」
マーガレットがくすくすと笑う。
その口にエナジーバーを一本突っ込んだ。
「もがもが……とにかく食べさせようとするのやめなさいよ。おばあちゃんメイドか」
私は、恥ずかしさを紛らわすようにおほんと咳払いする。
「クマとかイノシシ以外のちっちゃい動物にも、一応気を付けたほうがいい。無害そうな顔して案外ちゃっかりしてるし、すばしっこい」
「あんたみたいね」
「うるさい、カピバラ」
「やーい、オコジョ」
オコジョは嫌いじゃないが、あの可愛い顔の割にけっこうケンカっ早いんだよね。
平和主義の私がオコジョに例えられるのは納得できない。
そのはずだが、不思議と不愉快ではなかった。
「カピバラ。お茶」
「ありがと」
沸かした湯で紅茶を淹れるといい香りが漂い、それを楽しみながらカピバラ……じゃなくマーガレットと私の二人分をカップに注ぐ。
登山でお茶は定番だ。
ハードな登山のためにザックに入れる荷物や重量をできるだけ小さくしようと涙ぐましい努力をするくせに、お茶やコーヒーを淹れるための道具を絶対に持っていく人とかいる。ていうか私もそういう人間の一人だ。直火式エスプレッソメーカーは絶対に持っていってた。
「紅茶好きなの?」
「コーヒー派。でも淹れるの面倒くさい」
この世界にコーヒーはあっても、周辺機器はそんなに発達していない。インスタントコーヒーはまだないし、コーヒーミルもない。焙煎した豆を薬研とかすり鉢で豆をすりつぶしたものを布製フィルターで濾して作る。
「重いしね。でも、こういう場面で簡単に淹れられる道具があれば便利よね」
「カピバラ。助かった」
「まだ道具を作るともなんとも言ってないんだけど!? あんた図々しいわよ!」
「そうじゃない。黙っててくれたこと」
「黙ってた? 何?」
「私が天魔峰の神殿じゃなくて、本当の山頂を目指してること」
私の言葉に、カピバラはぷいっと顔をそむけた。
「……あの場でぶちまけてもいいことないでしょ。あんたは天魔峰の頂上まで、無殺生攻略を目指すやべーやつですよだなんて。笑われるとかを超えて正気を疑われて大騒ぎになるわよ」
「でも、それを言って私が無茶するのを止めることもできた。山小屋の主人は身分が高いし、ソルズロア教の中の位階も高いと思う。あの人に私を止めるよう話せば、そうなった」
「……そうかしら。他の客はわからないけど、あんたと山小屋の人は同類って気がする。褒め称えて送り出してくれることだってありえるかも」
「そうかな」
私はそうは思わない。
自分で言うのもなんだが、私の夢はちょっと現実離れしすぎている。
だが、マーガレットはそうは思ってはいなかった。
「そうよ。あなたのことを馬鹿にする人が9割かもしれない。けど、世界のどこかにはきっといる。あんたならやっちゃうんじゃないか、すごいじゃないか、面白いじゃないかって……そんな夢を見ちゃう人が」
むしろマーガレットは確信さえ抱いている。
それが妙にくすぐったい。
「そう思ってくれる人がいるのなら、私は幸せ」
「ねえオコジョ」
「なに、カピバラ」
「……山に登るの、想像してたよりずっと楽しかった」
「うん」
「でも、わたしが楽しめるのは、このくらい。もうちょっと難しい山とかも楽しめると思う。でもここからもっともっと先に進んだら、命の保証がないことくらいわたしだってわかる。だからこのあたりでやめとく」
「……うん」
それは皮肉を抜きにして、純粋に賢い選択だと思う。
自分の力量を把握することは登山のみならずあらゆる事故を防いで身を守る上で、何よりも重要な能力と言える。
残念ながらこの世界はパラメータを示してはくれない。多くの冒険者や巡礼者が自分の力量を見誤って魔物に殺され、あるいは滑落し、遭難して死に至る。
「でも、あんたは行くのよね」
「……多分、私のおじいちゃんがそこに登ったんだ」
「え?」
「私のおじいちゃんは、聖者だった。五大聖山の一つ火竜山を無殺生攻略して天魔峰に登る資格を得て山頂を目指したけど、生きて帰ってこなかった」
その言葉に、カピバラは絶句した。
「ええと、私たちのおじいちゃんおばあちゃん世代の聖者って、確か……【畏怖】のカルハインと、【堕天】のアローグスよね」
【畏怖】のカルハインとは、魔物を寄せ付けない神聖魔法を極めた神官だ。
【堕天】のアローグスとは、元々は飛翔魔法の使い手で【飛天】という二つ名だったが、生きて帰って来れなかったことで【堕天】というちょっと不名誉な二つ名で世に知れ渡っている。
ていうかよく知ってるものだ。すっと偉人の名前が出てくるのだから偉い。
「すごい。博識」
「だってあなたが聖者になるとか言うんだから調べるわよ!」
「えっ、私が言ったから調べたの?」
その言葉に、カピバラが顔を赤くした。
「ど、どうでもいいでしょそんなこと! それより、えっと……どっちの孫なのよ」
「没落したアローグスの方。ていうかカルハインは生きてるし、今もソルズロア教のトップに居座ってぶいぶい言わせてる」
「……あなた、アローグスの生まれ変わりとか言わないわよね」
「まさか」
ちょっと真剣な目で言われて、私は思わず笑った。
けど惜しい。転生したところだけはあってる。
「でも……ちょっと納得した。アローグスの子孫なら山とか変な道具とかにも詳しいわけね」
「あー、一応、おじいちゃんの残した書物を読んだり、道具を触ったりしたかな」
前世の影響の方が大きいけれど、説明が難しい。
話すにしても、もうちょっと機を見てから話そう。
「それじゃあオコジョが山に登るのって……一族の悲願ってこと?」
「違う。ママはおじいちゃんのことを家族のことなんて省みなかったバカって愚痴ってたし、巡礼なんていくもんじゃないってよく言ってた。そもそも、おじいちゃんの顔も知らないしね」
「山が好きなあんたも親不孝者ねぇ……」
カピバラが呆れるが、こればかりは何も反論できない。
「……でも、一回だけ家族で山に登ったんだ。昨日と同じルートで登って、あそこの山小屋に泊まって……そう、あのときは黒パンに焼き玉ねぎとたっぷりのチーズが乗ってた。チーズの塊ごと火で炙って、ドロドロに溶けたチーズをパンとか炙った野菜の上にぶっかけて……」
「え、それめちゃめちゃ美味しそうなんだけど」
「料理はさておき、楽しかった」
そして今と同じく、暗い道を歩いて三人並んで地べたに腰かけた。
「……そんな大事なところにわたしを選ぶ前に元カレを連れてきなさいよ」
「ケヴィンは無理。彼は陽キャパリピだから山小屋で静かにするとか多分できない。ていうか山に行くこと好きじゃなかった」
カピバラが、それもそうだろうという苦笑いを浮かべる。
「……ま、オコジョほど山に詳しい人もそんなにいないだろうし、男の人はイヤなのかもね。オコジョもイヤでしょ。自分の方が山に詳しいのに男にエスコートされるの」
「うん」
私がエスコート役になる状況自体、ケヴィンは面白くなかった。
この世界の風潮や美徳としてケヴィンの方が正しいのだろう。ケヴィンはその観念が強い方だったと思う。つまり、まあ、相性が悪いのに無理に付き合ってた。
私の方が向こうの尻ぬぐいすることの方が多かったし、浮気したのはあっちだし、そこは今もムカついてるけどな!
「私、貴族同士の交際って無理。ニガテ」
しかし不思議だ。
元婚約者の話を、別れた原因の女から振られて、怒りもわだかまりも感じていない。
むしろ一種の申し訳なささえカピバラに感じていたりする。
「それが悪いとは思わないわ……っていうか、わたしがこういうこと言うのおかしくない? 普通、わたしの立場からこういう慰め方されたらムカつくと思うんだけど?」
「それはほんとそう」
私は口を抑えて笑う。
笑うべきではない毒のきいたコミュニケーションほど面白いものはない。
そんな私の様子に、マーガレットはますます呆れていた。
「浮気はムカついたけどいいきっかけになったから、カピバラには感謝もしてる。靴も、道具も、思ってたより断然いい物に仕上がった」
「あらそう。もっと感謝しなさい」
「準備が整ったからには自力で色んな山に行きたいし、『初めて登った人』とか『初めて無殺生攻略した人』にもなりたい。あと、巡り巡った山のエッセイをまとめて私が選ぶ名山百選とか出版したい」
未踏峰を登るのは、前世の私の夢であった。
地球ではすでに色んな山が踏破されていて、残っているのは政治的な理由や宗教上の理由で登れないところばかりだ。
だがこの世界には、未踏峰がたくさんある。それどころか、存在さえ知られず、地図にも乗っていない山だってあるだろう。これには登山家としての血が騒いでしまう。あと異世界百名山とか書いて、私のように転生した誰かに読ませて驚かせたい。
「オコジョ、意外と俗っぽいところもあるのね」
カピバラがにやにや笑う。
そこにはちょっとした安心があった。
私が私利私欲もなく山を登る求道者か何かと思っていたのだろうが、そんなわけはない。
「でも、天魔峰はちょっと特別って感じ。一回くらいおじいちゃんの墓参りを済ませときたいし。結婚もしなくてよくなったから身軽だし。……ちっちゃい理由が集まっちゃうと……なんか……どうしても行ってやるぞって夢が膨らんじゃう」
きっかけは大したものじゃない。
それでも、自分の中にあるどこかへ行きたいという熱量の矛先を定めてくれたならば、あとはもうそこへ向かうだけだ。
「……ま、いいわ。あんたが山で落ちて死のうが私には関係ないもん。むしろ助かるかも。ああいう道具がほしいとか作りたいとか言われ続けたらこっちの財布が持たないわ」
付き合ってられないとばかりにカピバラは顔を伏せる。
「だから……私から金とか道具とか絞り取りたいなら……ちゃんと生きて帰ってくるのよ。死んだ人間に賠償してあげるほど私はお人よしじゃないから」
「カピバラ」
「あんたのこと、祈ってやったりはしないんだから」
「ねえ、カピバラ」
「うるさいわねオコジョ。だからわたしは……」
「大事なときに下を見るのがあなたの悪い癖。山で前を見なかったら滑落する。前を見て」
「前?」
「ほら、朝日」
カピバラが顔を上げて見上げた先には、遠くの山の稜線から顔をのぞかせた太陽があった。
ゆっくりと、だが確かに登っていくそれは荒涼とした山肌を、薔薇のような、あるいは赤々としたリンゴのような、神秘的な紅色に染め上げていく。
モルゲンロート。
夜明けから朝へ転じる瞬間だけに見える、もっとも美しい山の光景。
「わあ……!」
太陽はいつだってそこにあるはずなのに、その姿、その気高さに心奪われる。
私はここに生きているという確かな実感と、あるいは生かされているという謙虚な心が同時に湧き上がる。
「カピバラ。私は死なないよ」
「……これが見られなくなるから?」
カピバラが、にやっと笑って尋ねた。
だが私は首を降る。
「色んな山で、カピバラの分までこれを見てきて、自慢してやりたいから」
「オコジョって性格悪いわね」
「お互い様」
朝日が照らす静かな山肌に、私たちの笑い声が響いた。
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