タタラ山に登って温泉付き山小屋に泊まろう 10
あてがわれた部屋は意外にも綺麗だった。
マーガレットは部屋の狭さに文句を言っていたが、芋を洗うがごとく他人の頭や足がぶつかるような狭さはない。ちゃんと一人に対して一つのベッドが用意されている。この世界の冒険者向けの宿に比べたらかなり上等だ。雑魚寝どころか、布団さえ与えられないことも珍しくないのだから。
汗を吸った上着を干し、部屋着に着替えてだらけていたあたりでお風呂の時間がやってきた。私たちが一番先に山小屋に来たので、一番風呂だ。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ぁ"ー……。もー死んでもいい……最高……」
温泉は露天風呂だった。
事故防止と覗き防止に木製の柵が立てかけられているが、それでも十分に雄大な景色を楽しむことができる。
冷え冷えとした山の空気の中で入る熱い湯は、もはや言葉にできない。歩き通しだった一日の疲れどころか自分そのものが湯に溶けて消えてしまいそうな感覚を覚える。
「変な声出さないで……って言いたいところだけど……。うん……これは……最高……」
マーガレットの言葉に私も同意せざるをえない。
夕暮れの赤い光が山肌に反射して幻想的な光景を描いている。
ここに来た者だけが得られる特権だ。
「ふおおおおぉ……。歩いた甲斐があったわ……匂いはちょっと強めだけど、お肌によさそうだし……」
「そういえばマーガレット、温泉好きなの? ここまで来てから聞くのもなんだけど」
この国は、温泉がけっこうある。湯治の旅行や温泉への観光旅行というのは貴族や富裕層のみならず庶民にとっても憧れの行楽である。ただ温泉が好きなのは年配が多く、若い子の温泉マニアはちょっと少ない。
「好きよ。お父様の騎士団の行事に随行するときにゆっくり休めるの、温泉に入ってるときくらい……っていうのはあるけど」
「大変だね」
「当り前じゃない。大変なのよ……ああー……ほんともう、ここから動きたくない」
だばだばとお湯が流れるところに肩を当てている。
温泉を100パーセント味わっているその姿は、まるであの動物を彷彿とさせる。
「……カピバラっぽい」
「カピバラぁ!? なんで!?」
この世界にカピバラは存在する。
と言っても、実物を見たことがある人は少ない。遠い国の書物や絵画に出てくる、可愛らしさ重視で描かれた姿でしか知らないので、実在の動物なのか、一種の魔法生物や魔物なのか、認識が曖昧である。
「寒い地域にいるカピバラは温泉が大好きらしい」
「へー……知らなかった……」
温泉が好きというか、温泉がなければ飼育が難しいという日本の動物園の事情ではある。
だが私のイメージとしてはカピバラ=温泉だ。
「ていうか、もう少し可憐な動物に例えるようなデリカシーがあってもいいんじゃないの? カピバラは可愛いとは思うけど」
「ごめんごめん。悪気はない。ところで、時間制で男女交代だから、あんまりゆっくりもしてられない。そろそろ上がろう」
「ええー……もうちょっと入ってたいんだけど」
「やっぱりカピバラだ」
「カピバラじゃないわよ」
そんな冗談を交わしながら、私たちは山々、そして赤く染められた空を見つめた。
山頂からの誇らしげなまでな雄大さとは違い、胸を締め付けるような儚さに私たちは目を奪われた。
ちょっとのぼせた。
◆
夕飯は学生寮のまかないのようなスタイルで、メニューは固定だ。
メインの料理は、イノシシ肉、山菜、そしてキノコなどの山の幸がこれでもかと入っているシチューである。野趣に溢れつつも、ほんのりとスパイシーな香辛料が使われていてえぐみや食べにくさはまったくない。どんどん胃の中へと入っていく。
副菜はトマトや茄子などの夏野菜の煮びたし、キャベツの酢漬け、煮豆、チーズ。
飲み物は真水とお酢の水割り。
お酒もあるが希望者のみ。
パンはライ麦。焼きあがってからそんなに時間は経っておらず、柔らかい。
そしてなんと、パンのおかわりが自由である。
かなり豪勢だ。
パーティー料理の豪華さとはまた違った美味と、登山者への労りに満ちている。
「うーん……山小屋料理はあんまり外れないけど、これはその中でもかなりの当たり」
これは美味しそうだとスプーンを取ろうとして気付いた。
マーガレットが妙に渋い表情を浮かべている。
「ん? マーガレット、もしかして食欲ない?」
「今日一日でどれくらい食べたのかしら……」
マーガレットが、自分が食べた食事を振り返って顔を青くしていただけだった。
「今日は食べた分だけしっかり運動に使ってる。気にしないで」
「ううっ……美味しい料理がにくいわ……!」
ふふん、十代後半の人間の新陳代謝を舐めないでほしいものだ。
まあ年を重ねてきたならば色々と気にした方がよいけど。
「美味しい……くうぅ……ほんと美味しい……」
イノシシ肉は飼育された豚よりは硬いが、旨味はすごい。
肉そのものに絶妙な味わいがあり、噛みしめるごとに発見がある。
そして肉を引き立たせているのがキノコだ。
山の天然のキノコの旨味は、町で売っているものとは段違いだ。
強い肉と強いキノコが合わさって最強になる。
バカみたいな表現だが美味しすぎて頭がバカになってるので許してほしい。
「おかわりもらってくる」
「ううっ……わたしも行くぅ……」
マーガレットも観念しておかわりをもらったようだ。
酸味のある夏野菜の煮びたしとチーズもライ麦パンにめちゃめちゃ合う。
この国の人は、なんだかお酢が好きだ。
ぶどうを使ったバルサミコ酢はあるし、その他様々な果実を使った果実酢や、米や麦を使った穀物酢もある。
衛生観念がまだ未発達だった時代はお酢が万能殺菌剤として重宝されていたらしく、お酢文化がめちゃめちゃ発達した。
今では手洗いうがい、お風呂なども定着して、お酢=ジャスティスという感覚は薄れたし、傷に焼酎をぶっかけるお医者さんも見かけるようになったが、おじいちゃんおばあちゃん世代は「疲れたり風邪ひいたらお酢飲んでおきな」とよく言う。水で割っても酸っぱすぎてあんまり好きじゃないけど、疲労回復にはよいので我慢して飲む。まずい、もう一杯。
「あ、お酢もおかわりどうぞー!」
10歳くらいのちっちゃい子が、小さなコップに入れたお酢を配膳してくれた。
管理人夫婦の娘さんだろうか。
「ありがとう。頂きます」
山小屋で働くちびっこが、私の言葉に嬉しそうにほほ笑む。
「ねえねえ、お姉ちゃんたち、二人で来たの……? すごいね……?」
「働いているきみの方がすごいよ」
「そうかなぁ……? 一人だけで山頂行っちゃダメって言われてるし……ていうか怖いし……」
そりゃそうだ。10歳でソロ登山は流石に早すぎる。
山の恐ろしさを知っている管理人夫婦なればこそ、この子のソロ登山など許すことはないだろう。
「焦らなくても大丈夫だよ。誰かと一緒に歩くのは、大人も同じだから」
まあ正直ソロ登山は大好きなんだけど、パーティーを組めば可能性が広がる。
「ちゃんと山を怖がってるあなたの方が大人で偉いのよ。この子は一人でも絶対にヤバいところ行きたがるし。たまたま今回はわたしが着いてきてるだけで」
マーガレットが反論しにくいことをズケズケと言ってきた。
くそう、このカピバラ女め。
「そっ、そんなことはないし」
「じゃあ、あなたが一番行きたいところってどこよ」
「天魔峰」
「てっ、てて、てっ、天魔峰!?」
ちびっこが絶叫した。
他の登山客や管理人も驚いてこっちを見る。
この山小屋に来るほど山が好きならば、天魔峰の名を知らないはずがない。
「おお……若い子は羨ましい」
「流石に危険じゃないか」
「いやいや、巡礼者を目指すなら天魔峰の神殿には一度は行かなければ」
「しかしあそこは万年雪だろう。熟練の巡礼者にも難しいぞ。無謀だ」
「ここのところ王都から巡礼に行く者は減っているそうだ。信心深い若者がいるのは喜ばしいことじゃないか」
聞き耳を立てていた周囲も、心配しつつも誉めてくれる空気が広がる。
あっ、ちょっと勘違いされた。
私が行きたいのは天魔峰の五合目に存在する神殿ではないし、普通の巡礼をしたいわけではない。
本当の山頂を目指し、無殺生攻略したいのだ。
ま、どちらも危険であることには変わりないのだが。
「お姉ちゃん、すっごいんだね……!」
「まだまだ、行けるかはわかんないよ。目指すけどね」
ちびっこは、虚飾のない尊敬の目でこちらを見てくる。
くすぐったい気持ちでそれを見ていると、ちびっこをひょいとだっこする太い手が現れた。山小屋の主人だ。
「……きみはよい巡礼者になるだろう。装備もしっかりして、パートナーはもちろん、他の登山者のことをよく見ている」
「あ、ありがとうございます」
「太陽神のご加護がありますように」
山小屋の主人から、祈りの言葉を授かる。
めちゃめちゃ物言いたげな目で見てくるマーガレットのことはスルーした。
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