シュガートライデントを縦走しよう 6
凍刃峰の山頂で祈りを済ませると、風が和らいできた。
雪山の下り坂は体温を奪われるのでありがたい。
「ウェブビレイヤーを使いながら慎重に降りよう。あと向こう側が雪庇になるから方向にも気を付けて。漫然と歩いて変な方向に行っちゃうのはよくある」
「オコジョ。こういう場面こそ精霊召喚の出番さ」
「あ、そっか」
登りはあまり迷わない。頂上に近付くということはルートが収束していくことだ。しかし降りる方向は無限のパターンがある。どれだけ地図読みが上手くとも、しくじるときはしくじってしまうものだ。
「地図的には多分あっち。極光峰も見えるし。ただ、ちゃんと歩けるかはわからないし確かめてみようか」
「で、稜線を降りたあたりにアレがあるって? 本当に?」
「精霊様は嘘つかないから、あると思う……けど……」
凍刃峰と極光峰の間には山小屋がある。
しかもちゃんと管理されているらしい。
だが地図には載ってないし、そんな場所があるなど聞いたこともない。
「地図上の情報がどこかで失われたってことか? 普通の巡礼者はこんなところまで来ないだろうし」
と、ツキノワが言った。
確かに普通の巡礼者はこんなところまで来ない。
基本的にこの三山を巡礼するとしたら氷菓峰の方だ。
こちらを登る巡礼者など五十年に1パーティーいるかいないか、といったところだろう。
だがそれでも不自然だ。
「地図にも載ってないのはおかしい。私が使っている地図は、おじいちゃんも使ってたもののはずだし」
「……誰かが意図的に消した、とか?」
「隠したいものがあるならともかく、そんなことを……あ、いや」
このあたりを拠点としていて、シュガートライデントに出入りする実力者で、何か隠したいものがある人。
はい、私のおじいちゃんですね。
おじいちゃんの書庫にあると思っていて無かったものが、もしかしたら存在するかも……?
「いやいやいや、聖地の山小屋に個人のものを隠しても意味ない。どっかに消えちゃう」
「宝物庫だってことはないか?」
と、ツキノワが言った。
「だとしたら地図から消えるのはちょっとおかしいし……それに宝物庫の中だって絶対じゃない」
聖地における宝物庫は、あくまで人の魔力が宿った道具や遺品をプールしておくだけだ。百年か二百年ほどの歳月を経ていつかは押し出される。
「……逆に言えば、人間が、数十年くらい置いておけばいいやって物なら保管できるってことじゃないか?」
「それは……確かに」
「俺は行く価値はあると思うんだが、みんなはどうだ?」
ツキノワが皆に問いかけた。
ちなみに私はけっこう心が揺れている。
「うーん、普通ならまず最初の目標を達成した方がいいとは思うけど……。でも食料も体力も、今のところまだ余裕はあるんだよね。何度も来る機会があるとも思えないし」
ニッコウキスゲはどちらとも言えない、という感じだ。
残るはジニーさんだが……。
「シュガー様が小屋の存在を示して、明確な危険があるとは言いませんでした。油断はできませんが、行くのには賛成です」
「決まりだな」
ツキノワが嬉しそうに言った。
楽しんじゃってもう。
私も楽しいけどね。
「そのためには確実に降りよう。地図をしっかり読んで、地形を確認する。アイゼンの爪をしっかりと雪面に食い込ませる。そして……魔法でズルしちゃう」
「魔法はズルじゃないですぅー!」
ジニーさんに怒られた。
ごめんなさいとテヘペロしつつ、【精霊召喚】を再び唱える。
オコジョとハスキー犬が現れ、雪面を駆けていく。
ほんの束の間だが、小動物に許された疾走を楽しんだ。
◆
【精霊召喚】でのルート確認を終えて、ここから進む方向、そして謎の山小屋の位置を確認できた。
風が落ち着いたためか、下り坂であってもさほどの危険はなかった。むしろ好天による太陽の照り返しの眩しさや暑さの方に閉口したくらいだ。
そして下り坂を終えて平坦になり、そして再びスノーモンスターが見え始めた。森林限界が終わったのだ。
謎の小屋に行くには、ここから曲がって10分ほど歩いたあたりになる。
「……何も無い……というより、何かあるとしてもわかりにくいなこりゃ」
ツキノワが、しくじったとばかりに呻いた。
だが私たちは決してしくじってなどいない。
注意深く地形を観察することで見えてくるものがある。
「あそこの雪のでっぱり、見て」
「でっぱり? ……いや、でっぱりというほどのでっぱりには見えないが」
「うん。ちょっとだけ三角形になってるだけ。でも全部覆い隠すような雪の中で、あんな風に起伏ができてるのはちょっとおかしいと思う」
「言われてみりゃそうだが」
「なんか、屋根っぽくない?」
「……そうかもしれん」
私が指を指すと、ツキノワが面白そうな顔をして、だがすぐこの後の展開に気付いて表情が曇った。もう遅い。ていうか行ってみようと言ったのはツキノワだ。逃さない。
「掘り出せば小屋が出てくるかもしれない。どう思う?」
「そんな気はしてきたが……これをスコップで掘るのかよ!?」
「入口さえ確保できればなんとかなる」
冬季の山小屋……管理人が常駐しない避難小屋には、あるルールがある。
窓はしっかりと閉めつつも施錠をしないことだ。
雪が降り積もると小屋の1階が完全に埋もれて出入りが不可能になり、二階の窓から出入りすることになるし、それを想定した建物の構造になっている。雪山あるあるというより雪国あるあるかもしれない。
その雪の量が尋常でなければ二階丸ごと雪に埋もれてしまうこともあるのだが、場所をある程度特定することができれば掘り出して窓から侵入することもできる……はずである。
「このでっかい三角形の雪の塊の真ん中あたりを掘ってみたい。ハズレだったとしても、そのまま雪洞として一泊する場所を確保できる」
「あー、無駄足にはならないか。それはそうかもしれんが……」
「ツキノワ、がんばりな」
「みんなでがんばるんだよ!」
ということで、みんなでスコップを装備する。
「ちょっとした雪洞掘りとか雪かきならともかく、みんなで掘るのっていい思い出ないんだよな……」
「トラウマ思い出すからやめて」
「すまんすまん」
ニッコウキスゲが本気で嫌そうな顔をした。
全くそのとおりだなと思うが、そこはシュガー様を恨んでほしい。
「あれ? なんかもう硬いところにぶつかったぞ?」
これは時間がかかるかもしれない……と思いながらスコップを振るったが、そんなこともなかったようだ。
「こっちもだね。けっこう雪が脆いよ」
「……厚さがないんだな。建物の壁が出てきた」
ツキノワが、露出した木の壁をしげしげと眺める。
雪の層があるのは10センチくらいだろう。
掘ると言うより、雪を叩き落とす感じになって作業を進め、扉がすぐに見つかった。
「扉っていうか窓だな」
「鍵とかは掛かってないのかい?」
「この手の建物なら、内側から施錠しない限りは無いと思う」
「魔術的な罠がないか確かめてみましょうか」
ジニーさんが扉に手を当てて何やら探っている。
魔法やスカウト技能があると大変助かる。
「なんか、こう、冒険者っぽい」
「冒険者に決まってんでしょ」
ニッコウキスゲが肩をすくめて呆れる。
「珍しく普通に冒険してるっていうか。主に私が原因だけど」
「まあ魔物を倒すのが普通の冒険だろうけど、本当の冒険ってのは……どっちなんだろうね?」
「どっちだろ。どっちも?」
剣と魔法の力でモンスターを倒す冒険も、モンスターを避けて足と知恵で道なき道を行く冒険も、そのどちらでも見果てぬものを見ることはできるし、堅実かつ安全に目的を達成することができる。あるいは惰性で進んでしまい、その身を危険に晒すこともある。
「私には剣と魔法で魔物を倒す力はないからこういう巡礼が専門になっちゃうけど、ただ流儀が違うだけじゃないかな」
「そうだね」
「流儀が違っても冒険を続けていれば、こうやって未知と遭遇することもある」
「危険がつきものではあるけどね」
ニッコウキスゲが警戒体制になった。
見れば、ジニーさんの表情もどこか険しい。
ツキノワも自然と武器を手にした。
今回、いつもの重そうな斧はなくナイフだけだ。
だが苦み走った怖い顔つきの男が刃物を構えているだけで日本のヤクザなど裸足で逃げ出しそうな迫力があるのだが。
「扉を開けた瞬間、防衛装置のようなものが来るでしょう」
「警戒しといて正解だったな」
ジニーさんの言葉に、ツキノワが頷く。
「いちにのさんで開けますよ。オコジョさんはツキノワさんの後ろに」
「精霊魔法とかの手伝いはいる?」
「いえ、魔法攻撃が来たときのために屈んで避けられるように心構えをしていてください」
「わかった」
モチはモチ屋だ。ここは任せるしかない。こういう危険な瞬間に何もできないのはやきもきするけれど、私がジタバタしないことが全体の生存率を上げる。
「いち……にの……さん!」
ジニーさんが扉を開けた。
するとまるで、雪の塊のような不思議な姿の魔物が現れた。
……ていうか雪だるまそのものだ。
丸い胴体に丸い頭。
目や口の位置に炭を置かれて表情が描かれている。
腕は木の棒だ。
そんないかにもな雪だるまが魔法を放ってきた。
ヒーホー! とか言いそうだが無言のままなので一層怖い。
「なんだこいつ!?」
「邪精霊様じゃないね……師匠!」
ニッコウキスゲもツキノワも驚いているが、ジニーさんは動揺するどころか待ってましたとばかりに構えた。
「自衛のためのトラップ、人造精霊です! しかし甘い! 【火炎弾】!」
ジニーさんが右腕を突き出して魔法を唱える。
すると強力な炎の弾丸が放たれて雪だるまに直撃した。
すごい。
研究者肌というかオタク気質だなーと思っていたけど、まるで水を得た魚のごとく俊敏に反応して敵を葬り去った。
「流石師匠。腕は鈍っちゃいないみたいだね」
「まだまだ弟子には負けませんよ。さて……」
ジニーさんは誉め言葉に微笑みを浮かべつつ、またすぐ厳しい表情で周囲を警戒する。
「……怪しい魔力の流れは無さそうですね。シュガー様も利用する分には問題ないと仰ってましたし……入りましょうか」
「おっと、オコジョは最後だぜ。俺とジニー師匠が先行する」
ジニーさんとツキノワが慎重に入り口をくぐる。
次に私が入り、殿はニッコウキスゲだ。
「なんであんたが師匠呼びしてんのさ」
「いや、俺だけ敬称を付けないのもどうかと思って」
「どうせなら魔法を習ってみたらどうだい。精霊魔法も使えるようになっといて損はないんじゃない?」
「それも面白そうだな……てか、ここもしかして……書庫じゃないか?」
ツキノワとニッコウキスゲは雑談をしながらも警戒を解かず、周囲を注意深く探っている。最初の雪だるま以外にトラップらしいものは無さそうだ。
戦闘スキルのない私でも、それはなんとなく感じ取れた。ここで何かの罠が発動したら、恐らく中に保管されているものまで巻き込んでしまうだろうから。
「……むむむ。これはかなり貴重なものがありそうですよ。どれもかなり高度な魔法の専門書です」
「手に取って大丈夫かな」
迂闊に触ったらトラップカード発動とかありそう。
「このあたりの本棚は大丈夫でしょう」
「わかった」
ここは、おじいちゃんの書庫とはかなり雰囲気が違う。
あそこは理科の実験室めいた場所だったが、こっちはどちらかというと実験よりも論文を書くための場所といった雰囲気だ。本は綺麗に整理整頓されていて、机の上は綺麗に何もない。引き出しの中も幾何学模様と思うほどにきっちりと筆記用具が収納されている。
「……精霊魔法の書物ですね。これは……禁書……?」
「禁書?」
ジニーさんが少し声を震わせて物騒なことを言い出した。
「ニッコウキスゲ、禁書って何?」
「あたしもよく知らないんだけど……ちょっと、見つけちゃいけないもの見つけちゃった……」
ニッコウキスゲがげんなりした顔をしてそんなことを言った。
「な、なんだよ怖いこと言うなよ」
「仕方ないじゃないか……」
ツキノワが戦々恐々としながら文句を言うが、ニッコウキスゲは本気で『見たくなかった』というげんなりした顔をしている。本気でヤバそうだ。
「見つけちゃいけないものって、なに?」
「レシピ」
「料理じゃないよね」
「薬だよ。あるいは香水に近いのかもしれないけど」
「香水……?」
匂いを放つ薬。
そのどこが危険なブツだというのだろうか。
あ。
いや、ちょっと思い当たるものがある。
この山を支配する精霊と仲が良く、縁がありそうな人物。
一人は邪精霊使いのアクセルくん。
そしてもう一人、その彼を庇護する人物。
その人は、ある匂いを放つ薬を調合したことで有名になった人物だ。
「聖者カルハインの、魔物除けの霊薬……」
私の言葉に、ニッコウキスゲもジニーさんも答えなかった。
沈黙こそが答えであった。





