タタラ山に登って温泉付き山小屋に泊まろう 9
噴火口のすぐ近くのザレ場で、マーガレットが足を滑らせて尻餅をついた。
「なんなのよ、もー!」
下山は、登るときよりも体力の消耗が少ない。
だがその分スピードを出し過ぎてしまう。
そして身も蓋もない話だが、下山にはあんまりドラマがない。
山頂という目的地をクリアしているので、誰しもちょっと油断して集中力が途切れる。
それゆえに事故は下りで起きる。
「あんまりゆっくりでも逆に疲れるけど、集中は切らさないようにしよう。ほら」
手を伸ばすと、マーガレットは遠慮無く握り返す。
「ありがと」
「トレッキングポールをちょっと長めにしよう。登るときとは逆に、進行方向に突いてバランスを取る」
「う、うん」
「登ったときみたいにジグザグに歩いてもいいし、いっそ横にしてカニ歩きで下るのも悪くない。速度は出ないけど安定する」
マーガレットが私の言葉に頷き、体を横向きにして小刻みに斜面を下っていく。
「なるほど……これ、けっこういいわね」
「小石ばっかりで滑るところだと効果が出る」
斜度のきついところを抜けたあたりで、マーガレットがやれやれと溜め息を吐く。
だが、眼差しは晴れやかだ。
そのまま歩みを進めて、20分程度で今日のゴール地点に辿り着いた。
タタラ山の唯一の山小屋、火守城だ。
この標高の建築物としてはとても大きく、木造ながらもどこか威風堂々たる気配がある。
「ここの山小屋の管理人は、火口の監視任務を負ってる特別なお役人。メイドや召使いじゃないから、自分のことは自分でやるように」
「わ、わかったわ」
私の注意に、マーガレットが緊張しながら頷く。
「あとお会計よろしく。ここは先払いだから」
「仕方ないわね……」
おじゃましますとドアノブを開けると、そこは広めの土間とカウンターがあった。
靴や足を洗うための大きな桶もある。
「いらっしゃい! さっき予約した二人かい? いやーよく来たね!」
「えっ、あっ、ハイ。ほ、本日はお世話になります」
「靴はそこで洗いな。風呂は準備中だからもうちょっと待ってね」
「きょ、恐縮です」
土間の先にいたのはエプロンを付けた女性で、私たちを見て驚きつつも朗らかに声をかけてきた。また、奥にはモップを持っている男性もいる。恐らくこの二人が山小屋を管理する夫婦だろう。
「……疲れただろう。茶でも呑むといい」
「あっ、ありがとうございます」
男性の方は寡黙な雰囲気ではあるが優しそうだ。
というか、なんか聞いてた話と違う。ここにいるのはけっこうな高位貴族だったはずだが、日本の山小屋と雰囲気があんまり変わらない。
(ちょっとちょっと! 怖がらせておいて何よ! 普通の食堂のおばちゃんみたいじゃないの!)
(い、いや、一応、けっこう位の高い貴族のはずなんだけど……)
こしょこしょと話をするが、管理人の奥さんはくっくと笑う。
「あー、よく調べてるみたいだね? かしこまらなくていいよ。ここは王都じゃないし、面倒が嫌いだからこんな山小屋をやってるのさ。ほらほら、他の客も来るんだ。荷物も降ろして、靴を洗って、部屋で休みな」
奥さんに促されるまま、大きなタライに張られた水とブラシを使って靴を洗う。
私は登山靴を愛しているが、脱ぐ瞬間の解放感もまた格別である。
「そういえば若い子のパーティーが出てったんだけど……すれ違ったかい?」
「へばってたので食料を分けました」
「あちゃー」
奥さんの質問に答えると、奥さんは安堵の溜め息を吐いた。
「なんだか旅に慣れてなさそうで、食料も少なそうでね。メシを食っていったらどうだいって言ったんだけど、時間も金も無駄にできない、道の途中で獣を狩るから大丈夫って言って、無理矢理下山しちまったんだよ」
となると、どこか遠くから出てきた冒険者志望の若者だろうか。
獣の多い低山と勘違いしていたのかもしれない。
獣はいないわけではないが、森林限界を超えたこのあたりは定住には向かない。さらに精霊が言うように、今日の獣の活動レベルは低い。いろいろとアテが外れたのだろうな。
「でも無事そうならよかった。ありがとね」
「いえいえ」
「しかしあんたらは慣れてそうだね。ちょっと見ない装備だけど」
奥さんが私たちの登山靴やトレッキングポールを面白そうに見る。
よかった、変な道具に頼るなとか言うタイプじゃなさそうだ。
「あ、カプレー。これどうするのよ」
唐突にマーガレットが話をしてきた。
「これ?」
「あなたに言われて山頂で拾ったゴミよ! 忘れないでよ!」
「どうするも何も、ふもとに持ち帰る」
「他人が落としたゴミまで持ち帰るの? ったく変なところでお人よしね……」
「他人のゴミ? 何か登山道に落ちてたのかい?」
私たちの会話に、奥さんが不思議そうに尋ねた。
「この子ってば、噴火口のあたりでゴミ拾いするって言い出してこんなに拾ってきたんです。ほら」
「ちょ、ちょっと、マーガレット。やめて、恥ずかしい」
というか絶対ワザとだ。
管理人夫婦にアピールするつもりで私に話を振ってきている。
「あらまあ! 助かるよ!」
「ほう……。そのうち人を雇って掃除しなければならないと思っていた」
管理人夫婦が感心したように、私たちが拾ったゴミを眺めた。
「二人は……巡礼者になるつもりか?」
「巡礼者になるのはこちらのカプレー=クイントゥスです。わたくしは付き添いで来ています」
マーガレットが恭しい態度を取る。
私目線ではあざといことこの上ないのだが、流石にマーガレットは立ち回りが上手い。他人から見たら嘘くささはない。
「自分が出したゴミならば基本持って帰ってもらうが、そういうことならば別だ。荷は軽い方がいい。置いていくかね?」
「いえ、さほどの荷物でもないですし、訓練を兼ねてますから」
ゴミは基本的に自分で持ち帰る。
別に清掃活動に応募したわけでもないし、自分が勝手にやったことで山小屋の人の手を煩わせるわけにもいかない。
「……そうか。敬虔なる人々に太陽神のご加護がありますように」
「夕飯は期待しときな」
旦那さんが厳かに祈りの言葉を口にし、そして奥さんはばちこんという音が聞こえそうな明るいウインクを投げてよこす。
ちょっと恥ずかしい空気から退散するように、私はあてがわれた部屋に急いだ。
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