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フラれたから山に登る女 1




「きみとの婚約は破棄する」


 17歳の春。


 見事にフラれた。


「……本気?」

「本気だよ。カプレー」


 私はカプレー=クイントゥス。

 没落貴族の娘で、ドラマティックな人生とは無縁の少女。

 髪は大して珍しくもない黒髪の長髪で、背は低い。

 顔立ちも正直言って地味な方で、学校でも夜会でも隅っこの方が落ち着く。


 そんな私が学園のベランダで婚約者と二人きりになった。

 思わせぶりな状況で切り出された話題が別れ話だった。とても腹立たしい。


「他に好きな人でもできたの」

「ああ、そうだ」


 ケヴィンは、流れるような金髪をかきあげるように額に手を当て、苦悶の表情を浮かべた。


 もっとも、予想できない話でもなかった。すでに他界した、私の両親の決めた婚約だ。しかも彼と私が物心つくかつかないかの頃の約束であり、彼には守るメリットなどない。


 ケヴィンの家が傾いていたとき私の両親が援助したことがきっかけで私とケヴィンの婚約が成立した。つまりはあくまで親同士で家同士の取り決めに過ぎない。


 今や力関係は逆転し、ケヴィンの家は急成長。

 しかしこちらの家は流行病で両親が亡くなり、落ち目もいいところだ。


 この状況では、泣いてすがって婚約破棄を取り消してもらうなり、あるいは彼の罪悪感を掻き立てるような湿っぽい仕草を求められているのだと思う。


 ケヴィンは、どこか芝居がかった振る舞いや派手なイベントが好きな人だ。

 日常に感動やドラマティックなものを求める人で、それは私を含めて誰に対してもそうだった。


 サプライズが大好きなタイプで、悪い人ではないけれど、そろそろ私も疲れました。


「話はわかった。でも約束を反故にする以上、もらうものはもらう。求めるべきところは求める。それでいい?」

「……キミは悔しがりさえしないんだな」

「悔しがってほしくてこんな話を始めたの」


 私の言葉に、ケヴィンが引きつった顔を浮かべた。

 してやったりという気持ちと、やってしまったという気持ちが同時に浮かぶ。


「苦手だったんだ。そういうところが」

「そういうところ?」

「何をしても無感動で、面白くなさそうなところが」


 ケヴィンは声を絞り出すように話した。


「どこにでもいるような地味な顔と服装。こちらが華やかなことをしても、誰かを喜ばせようとしても、ちっとも喜んでくれないし気遣いをわかってくれない……。きみと一緒にいてもつまらない。人生の張り合いがないんだよ」


 確かに、彼は彼なりに気遣いをしてくれてたのだと思う。


 学生寮のキッチンとリビングを改装してサプライズの誕生パーティーを仕掛けたり、友人カップルのプロポーズを成功させるために間男を演じたこともあった。私にも色々とサプライズを仕掛けてくれた。


 ……後始末が大変だった。


 いきなり予定外の仕事をさせられた寮母に頭を下げるのは私だったし、片付けをしたのも私だったっけ。ケヴィンが本物の間男だと信じて、「婚約者として手綱を握ってくれなければ困る」と私が文句を言われたこともあった。婚約者として支えようとできるだけのことはした。


 彼の華麗さを信じて後始末も苦にしないか、あるいは後始末なんて誰かに丸投げして、ただ彼を褒めたたえられたなら、彼とよりよい関係が築けたのかもしれない。私にはそれが無理だった。


「それで、面白い女と一緒になりたいと。えっと……マーガレットさん?」

「な、なんでそれを」

「噂くらい耳にしてる。そろそろ出てきたら?」


 その言葉に、私たちの後ろから一人の少女が出てきた。

 金髪の、小柄で可愛らしい子だ。

 可愛い顔に似合わず、負けん気の強そうな瞳で私を射貫かんばかりに睨み付けている。


「もうご存知みたいだけど、わたしがケヴィンの婚約者になったの。彼は私のお父様の騎士団に入って、ゆくゆくは立派な騎士になるの」

「そう。おめでとう」


 私の言葉に、マーガレットは露骨に機嫌を損ねた。


「……ケヴィンから聞いた通り、本当つまんない女。言い返しもしないの?」

「面倒は苦手」

「面倒が苦手だから、ケヴィンを無視してたわけ?」

「無視?」


 後始末を考えるよう注意したことはあるし、それで口論になったこともある。

 ただ、無視まではしたつもりはないけれど……。


「聞いてるのよ。あなたがデートの誘いを無視してたとか、誕生日プレゼントのお返しもしなかったとか……」


 ……サプライズのお返しにサプライズをすることを期待されて、私はそれができなかった。迷惑度を考えると厳しかった。でもプレゼントは毎年毎年ちゃんと贈っていたし、季節のイベントは常に一緒にいた。何もしなかったというのは嘘だ。


「ケヴィンはいつもあなたのことで悩んでたわ。……あなた、ケヴィンに愛されてるのに、ケヴィンのことが好きじゃなかったのね。こういう結果になっても、文句はないでしょう」


 私の視点の話をしたところで、マーガレットは信じないだろうな。


 私が悪妻……いや、悪婚約者であるかのような話を膨らませてマーガレットに囁けば、マーガレットに限らず多くの人は信じると思う。彼の情熱的な語り口は、たとえ嘘でも心が揺らぐ。サプライズによる迷惑もなんとか許されてきた。


「私もこの人も、家のお金や身分ばかりが目当ての人に辟易していたわ」

「……そう」


 マーガレットのような騎士団長の娘ともなれば、金や地位を目当ての求婚も多かったんだろう。今、ケヴィンの夢は騎士になって活躍することだと話しても、信じてはもらえないだろうな。


 まあ、彼の場合は出世したいとかお金がほしいではなく、目立ちたいという気持ちが強い。そう考えるとあながち嘘でもないのかな。


「ケヴィン」

「なんだ。カプレー」


 彼は強気な態度で言葉を返す。

 だが私は、彼の目が泳いでいるのを確かに見た。

 なんだ、自分が嘘をついてることをわかってるじゃないか。


「……面白い女が好きなら、そうだと言えばよかった。面白いことを楽しむ度胸があるなら、そんなのいくらでも味あわせてあげたのに」


 ケヴィンが、私の言葉に驚愕した。


「……カプレー。もしかして、まだあんなことをしたいと思っているのか? 信じられないよ」


 ケヴィンが、吐き捨てるように言った。


「あんなこと?」


 マーガレットが不思議そうに尋ねた。

 どうやら彼女にはまだ私の悪癖、もしくは夢について話をしていなかったようだ。

 もっとも、つまらない女だという愚痴は言っていたようだが。


「……カプレーは昔、旅をして山へ行きたいと言ったんだ」

「巡礼者になりたいの? 案外、信心深いのね」


 マーガレットが見直したようにこちらを見た。


 この世界で山へ行くとは、「巡礼」という宗教行事の一つを意味している。

 特に名峰と名高い山の山頂は聖地とされ、そこには神殿や祠がある。

 そして様々な聖地で祈りを捧げるものを巡礼者と呼ぶ。

 だがケヴィンが呆れ気味に肩をすくめた。


「そうじゃない。彼女は祈りを捧げるような殊勝なことは考えていないよ。仮に祈りを捧げるとしてもそれが目的じゃない。山に行く手段に過ぎない」

「……もしかして、魔物を倒すような野蛮な冒険者になりたいって言うの!?」


 だが巡礼者は、旅の道中で魔物に襲われるリスクに直面する。

 そこで巡礼者を守り、剣と魔法で魔物を倒すのが冒険者である。


「ただ登りたいだけ。冒険者になりたいとかじゃない。巡礼者って立場は山に行くのに便利とは思うけれど」


 マーガレットの顔が困惑に歪んだ。


「えっと、ごめんなさい。何がしたいのか全然わからないのだけど」

「だから、旅をして山に登りたい」

「何のために旅をして山に登るかって聞いているのよ!」

「何のためって言われても」


 自分の足で旅をすること。

 あるいは馬に乗って遠くへ行くこと。

 木や岩に登って、見晴らしの良いところに行くこと。

 自然の風景を見ること。

 山に登ること。


 それを「危ないことはやめてくれ」、「口にするだけでも僕の恥になるんだ。二度とそんなことを考えないでくれ」と言って辞めさせたのはケヴィンだった。


 自分で馬に乗っての遠乗りは辞め、どうしても遠出しなければいけないときはケヴィンを連れ、護衛を雇い、馬車に乗った。どこへ行って何をするかという計画に口を出すことも謹んだ。


 遊びに行くにしても「どうぞ、あなたの行きたいところへ」と言うことにためらいを覚えなくなり、山に登りたいという話はいつしか口に出すことさえしなかった。


「……何よ、それ。何が面白いのよ」


 ケヴィンの命令も、マーガレットの言葉も、正論なんだと思う。

 私の嗜好は、きっと異端だ。

 何の理由もなく女が旅をするなど常識からは外れている。


「自分が面白いと思うことに、いちいち理由を考えなきゃいけないの?」


 マーガレットは私の言葉に、虚を衝かれたような顔をした。

 今まで私に向けていた敵意が抜け、表情から険が取れていく。


「マーガレットを惑わせるのはやめろ。つまらない夢を見るキミと違って、マーガレットは面白くて賢い」

「私と違う?」

「詩を吟ずるのも上手いし、話も面白い。与えられたものを素直に受け取って楽しむ心のゆとりがある。それにマーガレットは治癒魔法だって使える。キミの使えるんだか使えないんだかわからない精霊魔法より遥かに素晴らしくて、慈しみがある」


 ケヴィンは、まるで我が事のようにマーガレットを誇らしげに語った。


 ま、それはそうだろう。才色兼備で学校でも有名なマーガレットが隣にいるのはさぞ誇らしいだろう。


 実のところ、私もマーガレットのことは知っている。学園の中でも精神年齢が高いというか、周囲に見られる自分というものを意識している子で、いつも和気藹々とした場の中心にいる。眉目秀麗のケヴィンとはお似合いのカップルと見られるだろうな。そんな子が、不義の恋に燃え上がるのは少し予想外だったけれど。


「マーガレット。そう言われて嬉しい?」

「当たり前じゃない」

「そういう評価をされて喜ぶべきと思い込んでるとかじゃなくて、心の底から嬉しいって思ってるの?」


 ケヴィンと私の断絶はここだった。


 私も、ケヴィンも、冒険的なことが好きなんだろう。だがその捉え方が大きく違っていた。ケヴィンは多くの人を巻き込み、多くの人に賞賛されるような立派な冒険が好きだ。


 だが私は、できるだけ迷惑をかけず、自分の楽しみを追求したい。誰にも見られることのない登山など、ケヴィンにとっては狂気の沙汰なのだ。


「……行こう、マーガレット。彼女は少しおかしいんだ」


 ケヴィンがマーガレットの手を取って、荒々しい足音を立てて去って行く。

 まだマーガレットは私と話したそうな迷った素振りをしてたが、ケヴィンに逆らうこともなく消えていった。


「行っちゃった」


 今ここにはもう、私しかいない。

 強い風が吹いて髪が乱れる。


「フラれたし、山、登るか」


 私は独り言を呟き、ベランダから遥か遠くに見える山を見つめた。

 その山の名は、天魔峰。


 正確な高さはわかっていないが、書物で調べる限りはメートル換算で七千を超えているだろう。


 聖地の巡礼は山頂の祠で祈ることを義務としているが、天魔峰だけは例外だ。山頂に辿り着くことがあまりに困難なために、五合目の神殿で祈りをすれば「天魔峰を巡礼した」と認定される。


 恐らくこの世界において、誰一人として山頂に辿り着いた者はいない。


「どこにでもいそうな顔をした、つまらない夢を見る女と言われたからには……なってやろうじゃない。誰もたどり着けない場所に行く、面白い女に」


 前世のときも同じようにフラれて登山を始めたのだ。

 だから私は自由に……って、何を考えてるんだ。私は……? 前世って、なに……?


「え、あれ……私は……カプレー=クイントゥス……なのは間違いない……。だけど、そうなる前の記憶が……ある……」


 私が私ではなかった頃の記憶が、突然頭に駆け巡り始めた。




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