第三章 その⑥ 姫の手とブルースターズの決闘
時間は矢のように過ぎ、試合まであと一日となった。
明日が本番ということもあり、今日の午後は移動日。
そのためプリムラ姫との稽古も午前中に終了した。
さすがのエニシダさんも明日の準備で忙しいのか、今日は俺達の所には来なかった。
「アヤトさんとの稽古も今日で終わりですわね。ご苦労様でした」
「姫様の方こそお疲れ様でした。役に立った自覚はありませんが、千回以上は姫の剣の錆になれました」
「まぁ。まるでわたくしをリッパーみたいに仰るなんて心外ですわ」
ぷんぷんと怒るプリムラ姫。
しかし、この10日間何度も剣を交えたが、俺はただの一度も勝てなかった。
最終日はそれなりに善戦したが、まだまだ足元も見えないほど彼女の実力は抜きん出ていた。
談笑中、彼女はしきりに右手を気にしており、さすったり、こぶしを握ったり開いたりとせわしなく動かすので、どうしても目についてしまった。
「どうしました? 手首を痛めましたか?」
「いえ、久々に長い期間、剣の稽古を行えたまでは良かったのですが、少々右手が疲れてしまったようですの。しかし明日の試合に影響を及ぼすほどではありませんので、心配には及びませんわ」
「そうですか。……ちょっとお手を拝借」
「えっ!?」
俺はおもむろにプリムラ姫の手を取った。
「あーやっぱり、タコが潰れて硬くなってる。血行も悪くなって手も冷たいし。ほら。こうやって、モミモミとマッサージを……」
「あの……その……」
プリムラ姫の手は、あれだけ剣を振るっているのに切り傷一つなかった。
細長くて形が整っていて美しい指。爪の手入れもよくされている。
「綺麗な手ですね」
「ありがとう……存じます」
プリムラ姫の手は少し震えていた。
ちょっと力加減が強いか? 痛いのかな?
「痛かったら遠慮なく言ってください。だけど本当に綺麗な手だ。あっ。でも剣をグリップしている部分はちょっとゴツゴツしている」
彼女はさっと手を引いて隠してしまった。
「すみません。やっぱり痛かったですか?」
「いえっ……違うのです。その、わたくしの手がゴツゴツしていると言われて、恥ずかしくなってしまって」
「恥ずかしい?」
「ええ。だって女だてらに剣の稽古ばかりして、それで手が男性の方のようだと思われたのかと思いまして」
「ふふふっ。ははははっ!」
「ひどいですわ! そんなに笑わなくても」
「いえ違いますよ。姫様もそんな可愛らしい一面があるんだなと思って。俺はこの手が好きですよ。何かに一生懸命打ち込んでいる証です」
人はどれだけ嘘をついても、手は嘘をつけないからな。
「俺もほら、この通りお世辞にもきれいな手とは言えません。鉛筆やら筆やら年中持つし、作品作りに集中するとペンを握る力も知らず知らずのうちに強くなって、指の形が一部凹んだりしています。絵の具や薬品も使うから、皮膚にインクが染みこんで落ちないわ手が荒れるわで。だけどそういう手を見返すと、俺って頑張ってるな。と思えるんです。姫様もそうでしょう?」
「何かに一生懸命打ち込んだ証……」
俺が向けた手に、プリムラ姫は合わせ鏡のようにそっと自分の手を重ねた。
「そう、恥じることの無い立派な勲章ですよ!」
「っ!」
プリムラ姫は唇を噛み締めて黙った。よく見ると瞳が少し潤んでいる。
きっと彼女は剣を振るい続けることを誰かに褒められたことが無いのだ。
どれだけ自分自身を納得させたとしても、自分が打ち込んだものを誰にも認められないというのは、やはり虚しい。
俺もそうだったように。
「じゃあ、もうちょっとマッサージを続けますよ。この手には明日も頑張ってもらわないといけないんですから!」
「えっ! もっ、もうよろしいですわ!」
「ダメです。やっとほぐれて来たんだから」
プリムラ姫はその後、うつむいたままマッサージを受け続けた。
――*――
翌日となり、中央国家ブルースターズに俺達は到着した。
ブルースターズはエスパスフルーリの中心に位置し、漁業と海運による交易で栄えている都市国家。
過去には関所としての拠点も担っていたのだが、いつしか関所は廃止され、誰もが訪れることの出来る開かれた国となり発展していった経緯がある。
潮の香りがする港には、着物や中国服のようなこの世界では一風変わった恰好をした者や、エルフ族や獣人族、その他俺の知識不足でわからない種族も街に溢れている。
多種多様な人種がもたらす珍しい交易品や文化によって、街は大いに賑わっていた。
ブルースターズの港から少し離れたところに円形闘技場は建設されていた。
人々の娯楽のために作られた闘技場であり、多様な種族が往来する国だけに、力試しや出稼ぎのために闘技場で賭け試合や興行を行うことも多いらしい。
そのような落ち着きとは無縁な人々の欲で溢れた場所で姫様はこれから試合を行う。
試合前、控室で俺とエニシダさんはプリムラ姫の様子を伺っていた。
「姫様、お身体の調子はいかがですか? 長旅の疲れなどありませんか?」
「大丈夫よエニシダ。体調は万全です」
「姫様。ご武運を」
「ええアヤトさん。あなたとの特訓の日々が無駄にならぬよう一生懸命に戦わせてもらいます」
――*――
俺とエニシダさんは控室を出て観客席へ移動した。
円形闘技場には首都からスカーレッタ王女が台覧に来られるということもあり、多くの観客で賑わっていた。
貴賓席には華美な装飾の椅子が二つ用意されており、一席はファセリア王子が座り、もう一席には長いストレートの黒髪で目鼻立ちのくっきりとした女性が真っ赤なドレスを身にまとい鎮座していた。
あれがスカーレッタ王女だろう。美しいけど性格はキツそうな印象だ。
俺達は関係者と言うこともあり、貴賓席近くの特等席を案内された。
そして刻限となり、ファンファーレが円形闘技場に鳴り響くと、会場は盛大に湧いた。
「これより城塞国家ライナス第一王子ゲルセミウム王子と農業国家プリムス第一王女プリムラ姫による御前試合を開催する!」
司会の言葉に、俺は緊張が走った。
「両者――入場!」
戦いが始まる。
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