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猫鈴の話者サヤ  作者: 神楽一斗
初級:話者見習い編
8/41

8 遊離体験

 わたしは、アイレン先生から魔法の原理に関する授業を受けていた。呪文によって魔法がどのように発動するのか。先生は図を交えて説明してくれるのだが、先生の書く字が可愛すぎて集中できない。

「先生、時間を戻す呪文スペルはないんですか? 入門書には載ってないですよね」

 わたしが聞くと、先生はチョークを握る手を止めてこちらを見た。

「お主に渡したのは、あくまで入門用じゃからの」

「もしかして、もっと凄い呪文があったりするんですか?」

「原理的には、時間を止めるだけなら呪文でも可能じゃ」

 にわかに胸が高鳴ってくる。

「それ、教えてもらうことはできますか」

 先生は少し考える素振りを見せた後、空間から入門書と似た装丁の本を取り出した。

「入門書を卒業してから渡す予定の本じゃが、少しだけならよいか」

 先生は、その本をわたしに差し出した。タイトルに「よく分かる呪文・中級編」とある。

「七十三頁を開けてみよ」

 わたしは手が震えるのを抑えながら、頁をめくる。指定の頁には、呪文が一つだけ記されており、赤文字で注意書きがしてあった。


 精神解放の呪文


 メイズレワリピッツ ラシール レワオブディ


 ※この呪文の効果を得た後、呪文の詠唱が不可能となることに留意すべし


「精神解放の呪文って書いてありますけど」

「そうじゃ。肉体から精神を分離する。即ち、この物理世界の影響からも解放されるのじゃ」

「つまり……どういうことでしょう」

 それが時間とどう繋がるのか、いまいちピンとこない。

「精神体のみの存在になるということは、向こうの世界に属することになるのじゃ。時間の概念がない世界にな」

 何となく、分かった気がしたが、同時に不安を感じた。

「それって死ぬのとは違うんですか」

 わたしが聞くと、先生はそっぽを向いて頬を掻いた。

「そこで黙らないでくださいよっ」

「万が一、精神が身体に戻れなくなった場合、しばらくの間は大丈夫じゃが、長くは持たんとだけ言っておこう」

「危なそうなので、やっぱりいいです」

 わざわざ朱書きの注意事項まであるとなると、何が起こるか分からない。

「うむ、危険があるからこその『中級』なのじゃ。今のお主には少々早いのう」

 先生は人差し指をちょいと曲げて、本を回収した。しかし、時間停止を体験できるチャンスではあった。先生が補助してくれるつもりだったのだろう。ちょっとだけ後ろ髪を引かれる。

「メイズレワリピッツ ラシール レワオブディ……」

「バカっ」


 本当に何気なかった。鼻歌感覚で、つい呪文を口ずさんでしまっただけなのだ。

 先生の叫ぶ声が聞こえた次の瞬間、静寂に包まれた。目の前で先生が口を開けたまま静止している。声をかけようとするが、声が出ない。背後にはわたしがいて、やはりその身体はピクリとも動かない。前とか後ろとかではなく、周囲の景色全体を同時に見ているような感覚がある。わたしは時が止まった世界にいた。

 そそっかしいのは自他共に認めるわたしだが、ここまでやらかしてしまうとは。自分で自分が情けなくなった。何とかこの状況から脱する方法を考えなければ、このまま本物の霊体になってしまう。身体が無いので、呪文は唱えられないし、先生に助けを求めようにも、おそらく今の先生には、わたしが知覚できていない。自分の身体に入れるか試してみるしかない。

 しかし、実体がない精神体では、自分がどこにいるのかもよく分からない。そればかりか、周りを探ろうとすればするほど、わたしの意識の中を、物凄い量の情報が通り過ぎていく。意識を保とうとするが、情報の洪水が、わたし自身を押し流してしまいそうだった。そのうち、わたしは自分と世界との境界が分からなくなり、そのまま意識を無くしてしまった。


 風が頬を撫でる感覚で、わたしは目を覚ました。青空の中、薄雲がゆっくりと流れているのが見える。身体を起こして辺りを見回すと、そこは見覚えのある草原だった。どこまでも果てしなく続くライトグリーンの大地。前に一度見た、夢と現実の間にある場所だと、咄嗟に認識した。

 わたしは自分の顔を触って確かめる。本物なのかは分からないが、自分の身体があるようだ。呪文を唱えて『歪み』から手鏡を取り出そうと思ったが、思い留まる。なぜか、先生がやっているように、手のひらを空間にかざすだけで、『歪み』を開ける確信があったからだ。取り出した手鏡で顔を映してみると、ちゃんと自分の顔が映っていた。呪文なしで魔法が使えるのなら、『扉』を開くことも容易そうだ。わたしはほっとしてその場に座り込んだ。

 しばらく休んでいると、どこからか歌声が聞こえていることに気がついた。前に来たときにも聞いた、懐かしさを感じる声だ。わたしは引き寄せられるように、歌声が聞こえる方へ歩いていた。

 透けるように白い肌の少女が、空に向かって歌っていた。少女はわたしに気づくと、首を傾げるようにして微笑んだ。

「また会えたね」

 そう言って、少女は美しい碧色の瞳で見つめてくる。

「どこかでお会いしましたっけ」

 少女はうなずくと、わたしの手を取って、小さな鈴を握らせた。少しピンクの混ざった銀色で、可愛らしいデザインだ。あの時に会った黒猫が付けていた物だ。この子があの黒猫の正体だろうか。

「その鈴を持っていれば、いつでもここに来れるから」

「それってどういう……」

 わたしが聞こうとする間もなく、彼女は猫の姿になって、どこかへ去っていく。


「ちょっと待って」

「……待つのはお主じゃ」

 不意に先生の声がして我に返る。目の前にアイレン先生がいて、呆れた顔で腕組みしていた。いつの間にか、元の世界に戻ってきていたらしい。

「お主、呪文を唱えたと思ったが、自力で戻ってきたのか?」

「それが、わたしにもよく分からなくて」

「まったく、ここまでそそっかしいとはのう。今度ばかりは助けられんかと思ったぞ」

「はい……不徳の致すところです」

「お主、何か握っておるのか?」

 わたしがしょげ返っていると、先生がわたしの右手を見つめて聞いてきた。あの少女から貰った鈴が、右手の中から出てくる。

「先生、向こうの世界から物を持ち帰ったり出来るんですかね」

「その鈴が向こうの物だと申すのか」

 先生は鈴を手に取ると、顔を近づけて食い入るように観察を始めた。あまりに真剣なので、声をかけづらい。

「これは……」

 先生が唸るように声を漏らした。

「やっぱり特別な物ですか」

 先生は顔を上げると、いつになく真剣な顔でわたしを見て、肩に手を置いてきた。

「この鈴、我にくれぬか」

「……だめです」

 可愛いもの好きが発動したらしい先生は、検証はそっちのけで駄々をこねだした。

「良いではないか、減るもんじゃあるまいし」

「いやいや、わたしからしたら減ってますよね」

「よし、中級の呪文書と交換でどうじゃ」

「それはだめでしょう。見境なくなってますよっ」

 その後、完全に子供と化した先生を落ち着かせるのに、しばらく時間がかかった。

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