7 家族の定義
わたしは大樹の下で精神統一を行うのを日課とするようになった。先生たちの言う、「自己認知」を自分のものとするためだ。とはいえ、そう簡単に上手くいくはずもなく、まだ何の収穫も得られていない。五感に頼らず自分の精神を探るという行為は、思いの外困難で、何より最大の敵は睡魔だった。
「勝率一割ってところか」
大樹の下で膝を抱えていると、エスティガさんがやってきた。
「何がですか」
「サヤ対眠気の戦績だよ」
「しょうがないじゃないですか。この場所、風も気持ちいいし、ポカポカするし、心地よすぎるんですよ」
正直なところ、ここで昼寝をするのは至福のひとときだったりする。ただし、瞑想をする時はきちんと姿勢を正して行うので、わたしの中では明確に違うものである。
「別に眠ってもいいんだ。むしろ、意識が体から開放される分、自分探しも捗るかもな」
エスティガさんはそう言ってわたしの横に座った。
「ここで瞑想すると、世界を感じるだろう」
「そうですね。自分が凄く小さな存在に思えてくるというか」
「こう考えてみたことはないか? 世界の中に自分がいるのではなく、それが逆だとしたら?」
「どういう事です?」
「眠るときに夢を見るのではなく、起きたまま夢を見るつもりでやってみるといい」
「さらっと難しいこと言いますね」
と、しばらく考えて隣を見ると、エスティガさんはいびきをかいていた。起きた状態の自分探しを実践しているのかと思ったが、これは絶対ただの居眠りだ。
『ノープ ラプスネオ』
わたしは手元に空間の裂け目を作り出し、その中からしまっておいた黒いペンを取り出した。キャップを外し、エスティガさんの両の頬に三本ずつ猫のようなヒゲを書く。
「今日のところは水性で勘弁してやろう」
空間の裂け目にペンを戻し、再び呪文を唱える。
『ソルス ラプスネオ』
裂け目が閉じ、空間が元通りになる。
「大分諳んじることが出来るようになったのう」
不意に背後からアイレン先生の声がして、わたしは飛び上がりそうになった。
「先生、いつからいたんですか」
「お主が『歪み』を開いたところからじゃ」
「これは、その、ちょっとした天罰というか」
慌ててエスティガさんの顔を隠す。
「うむ、そやつは放っておいて、お主、ちょっと付き合わんか」
先生の空間転送の魔法に飲み込まれたわたしは、気付いた時には足場の悪い崖の上に立っていた。眼下に雲が見えるほどの高さで、たちまち足がすくんでしまう。
「先生っ、ここは?」
下を見るだけで、そのまま崖下に吸い込まれそうになる。わたしはその場に座り込んだ。
「『星見の険』じゃ。ここでしか取れない木の実があっての。ほれ、カゴに入れるのを手伝え」
先生はふわふわ浮きながら、自生している木の枝から青い実を摘み取っている。
「高すぎて立てないです……」
高所恐怖症という訳ではないが、これはいくらなんでも高すぎる。わたしはへっぴり腰になって地面に張り付いていた。
「そういう時に魔法を使うのじゃ」
先生に言われて、わたしは我に返って呪文を唱えた。
『デルケアスーア レワ ム ノクテック』
重力から開放されてほっとしたのも束の間、高所特有の強風に煽られて、慌てて木の幹にしがみつく。しばらく二人で木の実を摘み取り、一杯になったカゴを先生が空間の歪みに収納した。
「もうすぐ日が暮れるな。ここの星空は美しいぞ」
先生は小さな椅子を二脚、空間から取り出して片方に座る。わたしもその隣に座って空を眺めた。
「先生、魔法を使えばもっと簡単に採れるんじゃないですか?」
「自然の実りを頂く以上、己の手で必要な分だけ採取するのが、最低限の礼儀じゃ」
先生の言葉に応えるように、風に吹かれた木々がさわさわと音を立てる。
「我の理想は自然と共存することにある。人間もまた世界の一部であることを自覚して生きねばならん。そういう自覚がなければ話者などと名乗ってはならんと思う」
わたしは先生の言葉の真意を計ろうと、その横顔を見つめた。
「時間を操る魔法を求めるのは、いけないことなんでしょうか」
先生はその問いには答えず、こちらに微笑みかけてきた。
「お主にとって家族とはなんじゃ?」
「家族……ですか」
「お主の師匠として、知っておきたいと思うての。無理に話せとは言わぬがな」
変わりゆく空の色を眺めながら、家族の事を思い出す。わたしが時間を戻してでも取り戻したいと思った理由。
「身近すぎて、失うまで大切さが分からないもの」
そこまで言って、わたしは首を振った。
「いつも大切に思っているけど、つい甘えてしまう存在でしょうか。反対に、自分を犠牲にしてもいいと思える人たち」
「……妙な事を聞くが、例えばお主の家族が別人として生まれ変わったとしたら、その別人を家族と呼べるか?」
わたしは向こうの世界のことを思い出した。魂となった家族は、また別の誰かに生まれ変わっているかもしれないのだ。
「新しい家族の中にいるのなら、邪魔はしたくないです。でも、出来れば絆みたいなもので、繋がっていたいと思うかもしれません」
「そうか」
日が完全に沈み、夜空に星が瞬きだした。わたしはそのうち涙が溢れてきて止まらなくなる。もしかすると、わたしの願いは間違っているのだろうか。
「お主の望みは純粋なものじゃ。気に病むことはない。生きておれば運命に翻弄される事もあろうが、自ら身を委ねる必要もない。抗って、自分に出来ることを探そうとする者を、邪魔する権利など誰にもないのじゃ」
先生は、子供をあやすようにわたしの背中をさすった。
「我のそばにいる間は、必ず得るものがあると約束しよう」
「……先生っ」
先生は見た目は可愛い少女なのに、母親のような包容力を感じる。なんなら、こちらから抱きしめたいくらいなのに。
「先生、今のはプロポーズと受け止めていいですか」
「いい訳がなかろう」
先生は呆れたように言うと、わたしの額にデコピンした。