5 初仕事
わたしは一週間、飛行の訓練を続け、ようやく空中での静止と、方向転換が出来るようになった。
「よし、あとは速度を出せるようになれば、飛行に関しては十分だろう」
エスティガさんが満足そうに頷いた。
「早く先生に見せたいのに、どこ行っちゃったんですか?」
「稼業だよ。大口の依頼があってな」
この日、先生は朝早くから出掛けていて、わたしが起き出した時には朝食と、可愛い文字の書き置きが残されていた。
『しばし出掛けてくるので、昼食は保存庫のサンドイッチを食べること。夕食までには戻る』
お母さんみたいだなと思いながら、用意されたハムエッグを有り難く頂いたのだ。
「先生自ら行くなんて、どんな依頼なんです?」
「うちに来る依頼は、警察とか特定の金持ちの手伝いがほとんどさ。今日のは極秘捜査の囮役で姿を変える必要があるらしい」
「エスティガさんじゃ駄目なんですか」
わたしが聞くと、エスティガさんは少し不機嫌そうに眉を上げる。
「俺はそういう魔法は専門外だ」
「え、意外。いつも俺に出来ないことはない、みたいに威張ってるのに」
「俺がいつそんな事を言った。姿を変える魔法はかなり繊細なんだ」
「大ざっぱそうですもんね」
エスティガさんは言い返せずに口をつぐむ。
「でも依頼なんて来てましたっけ? ここ通信機もなさそうだし」
エスティガさんは大樹の方を顎で示した。たくさん並ぶ枝の一本に、真っ白な鳩がとまっていて、こちらを見下ろしている。
「伝書鳩のシロヤギだ」
「今どき伝書鳩……ていうか、なぜシロヤギなんです」
「ひげがヤギっぽいだろ」
「ヤギに紙類を託すの、勇気いりません?」
他愛もない話をしていると、羽ばたきの音がして、エスティガさんの腕に黒い鳥がとまった。初見はカラスのようだが、フォルムはヒゲも含めてシロヤギと瓜二つだった。
「……クロヤギさんですね」
エスティガさんはニヤリと笑って、クロヤギの足に付いているケースから小さく丸められた紙を取り出した。
「もう一つ依頼だ。飛行訓練も兼ねて一緒に行くか」
そう言うと、エスティガさんは呪文を唱え始めた。
『デルケアスーア レワ ム ノクテック』
『メイズリア フルー ミブルス』
わたしも続いて同じ呪文を唱える。浮いた体を制御するための丁度いい強さと角度に気流を調整する。なんとかエスティガさんの横に並んで飛ぶことは出来そうだ。
「少しスピードを上げるぞ。風除けの呪文を唱えろ」
飛ぶ速度を上げていくと、前からの強い風で目が開けられなくなるのだ。
『メイズリア レプロクト フルトン』
前方に張った見えない空気の壁に守られながら加速していく。やがて緑一色だった眼下の風景に建造物が現れ始め、少し前方に城が見えてくる。城下町フレアランスだ。
「少し離れたところに降りるぞ」
確かに空から人が降りてきたら、街の人に驚かれるだろう。
『メイズリア ベルトレー』
『デルケアスーア レワ ロスリート』
わたしたちは解除の呪文を唱え、人気の少なそうな林道に降り立った。
エスティガさんはスピードを落としてくれていたが、それでも気流のコントロールは大変だ。集中しっぱなしで、精神的に疲れる。わたしは大地に立つ喜びを噛み締めていた。
「ここまで飛んで来れるなら、飛行技術は合格だな」
「お褒めに預かり光栄ですが、疲れましたよ」
「まあ、普通は『扉』で来る距離だしな」
「なんでそういう事言うんですか」
エスティガさんは辺りを見渡すと、早足で歩き出す。城下町の外れの高台に、見た目だけならアイレン先生の家の数百倍はありそうな豪邸が建っているのが遠目に見えた。
「うわあ、こっちが本物の城みたいですね」
来た道の方を振り返って、遠くに見えるフレアランス城と見比べてみるが、遜色ない威厳がある。
「この街最大の富豪だしな。王家より金持ちという噂だ」
わたしたちは、見上げるほどの高さの鉄製の門の前にたどり着いた。門柱に取り付けられている呼び鈴を押すと、重厚な鐘の音が屋敷の方から聞こえてくる。しばらくして、門の向こう側から馬車が現れて門が開いた。
「話者様御一行ですな」
馬車から執事風の男が降りてきて、一礼した。
「ええ、ご依頼書を拝見しました」
「どうぞお乗りください」
五分ほど馬車に揺られて屋敷の玄関に到着する。執事の案内で豪華な応接間に通された。
「広すぎて落ち着きませんね」
キョロキョロと部屋を眺めていると、執事と共に上品なシルバーのドレスを纏った婦人が入ってきて、対面に座った。
「今日はアイレンさんじゃないのね」
「ええ、今日は別件の依頼が入ってまして」
婦人は執事に合図して、金属製のトレーをわたしたちの前に置かせた。その上には金色の猫を象った、何かの柄の先らしきものが載っていた。
「探しものというのは、その碧眼の片割れですね?」
エスティガさんが金色の猫を見やりながら言う。よく見ると、猫の左目にだけ、青い宝石が収まっていた。
「森を散策しているときに無くしてしまったらしいの」
「形状からすると、杖の先ですか」
「そう。夫の形見で毎日手にしているものよ」
「手に取っても?」
「どうぞ」
エスティガさんは空中から白い手袋を取り出して両手にはめ、金色の猫を手に取る。わたしは隣から猫の瞳を覗き込んだ。照明の明かりを角度を変えて当てると、無数の星々が瞬く濃青の夜空を思わせる、複雑な輝きを見せた。
「綺麗……」
わたしがつぶやくのを聞き、婦人が微笑んだ。
「そうでしょう。スターサファイアよ。それ程高価なものではないのだけれど」
「大事な思い出が込められている品のようですね」
エスティガさんが熱心に観察を続けながら言った。
「結婚をする時に作ったの。夫は足が悪くて、杖が手放せなかったから指輪代わりにね」
「分かりました。無くされた日の事を詳しくお聞かせ頂けますか」