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猫鈴の話者サヤ  作者: 神楽一斗
初級:話者見習い編
3/41

3 黒猫の夢

 新しい衣装を身に纏ったわたしは、先生と共に森を見下ろす高台に立っていた。三百六十度、どこを見渡しても緑色しかない。

「この辺りには人は住んでいるんですか?」

「大樹海のど真ん中じゃからな。こんなところに住もうなんて普通は考えんじゃろうな」

「迷い込んだ自殺者の亡骸にならたまに出くわすな」

 と、上空からエスティガさんが降りてきて、地面の上スレスレで空中に留まる。

「いらんことを言っとらんで、早く手本を見せるのじゃ」

 エスティガさんはそのままふわりと上昇すると、靴の裏が見えるくらいの高さで静止した。

「サヤ、真似してみるがよい」

「いきなりですね」

 わたしはひとまず下腹に力を込めてみるが、当然何も起こらない。

「それは、ただ力んでいるだけじゃ」

 深呼吸をして、天に向けて腕を伸ばして空を飛ぶイメージを膨らませる。

「とうっ」

 思い切り飛び上がってみたものの、膝の高さほども跳べたかどうかというところだ。そよ風が、虚しくわたしたち三人の間を吹き抜ける。

「何か言ってくださいよっ」

 わたしは顔から火が出そうになった。

「空中浮遊の基本は、重力から己を開放することにある。それにはまず世界の理を理解し、自分自身の定義を確立させることじゃ」

「すいません、難しいです」

「まあそうじゃろうな。非話者ノントーカーになるにはまだ時間がかかろう。まずは、呪文スペルを操るところから始めるとよい」

 そう言って、先生は指を振った。わたしの眼前に分厚い本が現れて、ふわりとわたしの手に収まる。表紙には「よく分かる呪文入門」とある。

「我が作った入門書じゃ。二十五頁を開いてみるがよい」

 タイトルはともかく、見た目は辞典のような装丁。中を開いてみると、やたら可愛い丸文字が並んでいた。

「先生って、実際おいくつなんですか?」

「なんじゃ、急に」

「何でもないです」

 指定された頁には、可愛い文字でこう書かれていた。


 魔法とは、世界の理に抗う術なり。

 即ち、世界の在り方を理解して初めて為せる技なり。

 真なる理解を求める者よ、先ず次の呪文を唱え、意識の底へと己を誘え。


 ゾノクトラコント レワ ルシェアカータ ワーパ


 そこまで読んで顔を上げると、先生は大樹に背をつけて胡座をかいていた。

「先生?」

 声をかけても、先生は目を閉じたまま、微動だにしない。わたしは隣に座って見様見真似で先生と同じ姿勢を取ってみる。入門書を膝に載せ、示された呪文を読み上げる。


『ゾノクトラコント レワ ルシェアカータ ワーパ』


 視覚を遮ると、聴覚や触覚が鋭くなる。大樹の枝葉が風に揺られて擦れる音。その枝にとまっている鳥がさえずる声。次第に風が動く道筋が肌を通して分かってくる。大自然の中の小さな自分。この樹海も星の中のごく一部。星から見たら、自分など欠片にも満たない存在だ。自分の中に意識を向けてみると、規則的な鼓動の音が感じられるようになる。魂とは、意識そのものか、それとも別の何かか。考えているうち、体がなくなったような、ふわふわした感覚に陥る。意識の中で、色とりどりの模様が複雑に絡み合い、様々な形を成す。星型や丸型、波模様。このままこうしていたいと思えるほど、心地よくなっていく。


 わたしは何処までも地平線が続く高原に立っていた。先程まで瞑想していたはずだったが、と少し記憶を遡る。全身がぽっと暖かくなってきて、それからの記憶がはっきりしない。そこは、大樹の高台に雰囲気が似ているが、見渡す限り草原が続いていて、木も建物も、目につくようなものが何もない。途方に暮れていると、背後でチリンと鈴の音がした。

 振り返ると、黒猫が行儀よく前足を揃えてこちらを見上げていた。わたしはほっとして、黒猫に声をかけた。

「先生、ここはどこなんでしょうか」

 黒猫は首を傾げるばかりでこちらの質問には答えない。よくよく思い出してみると、先生が猫になっていた時は首輪などしていなかった。

「ごめんなさい、猫違いみたい」

 わたしが言うと、黒猫はこちらに背を向けて歩きだした。

「待って」

 黒猫の後を追おうとしたが、足が空回りしているかのように前に進めない。そうか、これは夢だ。そう気づいた瞬間、目が覚めた。


 大樹の下で目を覚ましたとき、既に日が暮れかけ、森の端っこと空の間が朱色に染まっていた。既に先生の姿はない。変な姿勢で寝ていたせいか、足がしびれて立ち上がれない。わたしは周りに誰もいないことを確認して、口元のヨダレをそっと拭った。


「……面目ないです。穴があったら入りたいです」

 わたしは家に帰ってすぐに先生に頭を下げた。恥ずかしいやら情けないやらで顔が沸騰しそうだ。

「眠くなったら眠るのも、また自然の摂理じゃ。さあ、夕食の時間じゃぞ」

「優しいお言葉が胸に刺さります」

 先生は意に介した様子もなく、空中から次々と皿を取り出してはテーブルに並べた。魔法でかき混ぜられた生地が生き物のように空中を泳いで、円盤状に回転を始める。そこにケチャップやコーンなどの材料が雨あられと降ってきて、形が整えられていく。先生は仕上げに指先から炎を飛ばして、生地をこんがり焼き上げた。たちまち香ばしい香りがしてきて食欲をそそられる。

「今日はキノコを使ってピザを焼いてみたぞ。サヤ、遠慮せずに食べて感想を述べるのじゃ」

「よっ、待ってました」

 いつの間にかエスティガさんがわたしの向かい側に座っていて、歓声を上げている。

「お主は少しは控えたらどうじゃ」

「食べたくなったら食べるのも自然の摂理であります」

 エスティガさんは既に皿に盛られたピザにかぶり付いていた。わたしもそれに続いて三角に切り分けられたピザを口に入れる。最初の歯触りはサクッとしていて、噛むごとに弾力が出てくる。たっぷりと乗ったチーズの濃い味と、オニオンのコンビネーションが絶妙だ。キノコの食感が心地よく、森の香りが口いっぱいに広がる。

「とても美味しいです!」

「うむ、簡潔でよいが、口に出して良いのじゃぞ」

 先生は嬉しそうにわたしの皿にピザを積み重ねていく。

「お師匠、贔屓ですよ」

「年頃の娘は食べてなんぼなのじゃ」

「何ですか、その理屈は」

 エスティガさんは右手の人差し指をチョイと曲げ、わたしの皿の一番上のピザを自分のところへ引き寄せた。

「お二人は話者になられてどのくらいなんですか?」

「俺は今年で二十年くらいか」

 エスティガさんは絶えずモグモグしながら答えた。

「我は数えておらんから分からぬ」

 先生ははぐらかしたが、突っ込んでいいものか難しい。

「わたしなんかに本当に魔法が使えるんでしょうか」

 わたしは先生たちが当然のように魔法を操る姿を見て、とても真似できると思えなかった。そもそも、ここに来るまで魔法をこの目でまともに見ることもなかったのだ。

「お主、瞑想の中で何か見えなかったか?」

 先生に言われて先程の心地よい瞑想を思い出してみる。

「広い高原に立っていました。そこで黒猫に出会って、最初は先生かと思ったんですけど」

 先生とエスティガさんが顔を見合わせる。

「すみません、夢の中の話なんかして」

「いや、詳しく話してみよ」

 先生は興味深そうに身を乗り出してきた。

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