2 衣装選び
わたしはアイレン先生の家に住み込み、弟子になった。先生の家は外から見たときは小さな丸太小屋といった佇まいなのだが、暖炉の部屋からさらに奥に入ると、やたらと部屋が多く、広い。そもそも、外見と中の広さが釣り合っていない。学校を思わせる長い廊下を挟んで部屋がずらっと並んでいるのだ。住人はわたしを含めて三人しかいない。先生からは好きな部屋を使っていいと言われたが、迷子になりそうなので、お気に入りの暖炉の部屋に一番近い一室を選んだ。
食事に関しては、先生自らが腕を振るった。腕を振るうといっても直接手は使っておらず、魔法で操られたフライパンや包丁が宙を舞い、食材を切り刻んでいく。傍目には勝手に料理が出来上がっていくように見える。
「特製スパイスシチューじゃ。さあ食べて見よ」
先生が嬉々としてわたしの顔を覗き込んでくる。仕草だけ見ていると、初めて料理を作って母親に振る舞っている娘、といった感じで可愛い。少しプレッシャーを感じながら、スプーンを口に運んだ。
「どうじゃ?」
「これは……」
始めはまろやかな口当たりが味わい深く、次にピリッとスパイスの刺激が舌を駆け巡る。最後に優しいミルクの風味が口全体に広がって、体の芯から温かくなる。と言ったことを言語化しようと思うが、先生の期待に満ちた顔を見ると口から出てこない。わたしは精一杯元気に返事をした。
「美味しいです!」
「うむ、おかわりもあるからの」
先生が満足そうに頷いてくれたのでほっとする。その隣でエスティガさんが三杯目のシチューをよそっていた。
「念の為に言っておくが、味付けに関しては魔法は使っておらんからな。料理は素材同士の掛け合わせのみで勝負じゃ」
わたしは美味しければなんでもいいタイプだが、魔法で味を偽ることも可能な訳で、確かにそれは怖い。
「魔法って、悪用すれば恐ろしいものですね」
「その通りじゃ。それが分からん奴には絶対に使わせる訳にはいかん」
先生は妙に力の入った口調で拳を握った。
「悪人には魔法は使えないから、そんなに心配しなくていいがの」
「普通の悪人ならね」
シチューを頬張りながら、エスティガさんが付け加える。
「思わせ振りな事を言うでない。サヤが混乱するではないか」
「どういう意味ですか?」
「善悪の定義とは案外難しいものなのじゃ。全ての人間にとって、善が必ずしも都合がいいものとは限らないということじゃ」
わたしが小難しい顔をしているのを見かねてか、先生が手をヒラヒラさせた。
「深く考えなくてもよい。明日から早速訓練を始めるとしよう。手っ取り早く稼業を始められるよう、呪文の扱い方を伝授するからの。精進するのじゃ」
「よろしくお願いします」
先生はひとつ咳払いをすると、胸を張ってわたしを見た。
「よいか、我々話者という稼業は、魔法の力を持って、人々の困難を解消するべき役割を担っておる」
「カッコつけてるけど、魔法を駆使して有料で人助けをする商売ということさ」
「いちいち茶々を入れるな」
わたしは二人のやり取りを見ているうちに、自然と笑っていることに気づいた。久しぶりに感じる家族の暖かさ。また泣いてしまいそうになって、わたしは膝をつねった。
「例の日の出来事は辛いものじゃったろうが、生きていればまた、出会いもあるということじゃ。別れそのものを消せるかどうかは分からぬが、我らも出来ることは手助けするつもりじゃ」
「その為には早く稼げるようになって貰わないとな」
「お主は一言多いのじゃ」
「むぐ」
先生が指を振ると、エスティガさんの唇が縫い付けられたように閉じた。
翌日、わたしは先生に連れられ、城下町の洋服店に来ていた。
「先生、新しいお洋服でも買うんですか?」
「うむ、お主の衣装探しじゃ」
アイレン先生の場合は紫色のとんがり帽子、黒ベースに白いフリルの付いたドレス。先生が昨日も同じ格好だったことを思い出す。
「わたしはそう言う、可愛い系はちょっと似合わないっていうか、ガラじゃないっていうか」
「誰がペアルックにすると言った。お主が自分で選ぶのじゃ」
「え、わたしがですか?」
店内を見渡すと、色とりどりの服たちが並んでいる。わたしはあまり服装に拘りがないため、いつも無難で、地味めの服を選んでしまう。
「話者の衣装選びは、一般人が着るようなファッションとは違うぞ。自分自身をより明確に定義する手助けとなる物を選ぶのじゃ」
わたしは頭を回転させて考えたが、よくわからない。
「すいません、何を選べばいいんでしょう」
「この先、話者として誰かと会う時、どういう姿であるべきだと思うか。結局は感覚じゃがな」
最初に頭に浮かんだのは、空飛ぶ魔女の姿だ。
「箒はどこですか?」
「なぜ箒が出てくるのじゃ」
「魔法使いといえば箒。箒といえば魔法使いじゃないですか。空を飛ぶとき必要でしょう?」
「お主は箒に跨って飛ぶ姿を美しいと思うか? 下から見上げられたときを想像してみよ」
「そこを突かれると……どうなんでしょうかね」
「どうしても使いたいなら好きにするとよいが、我は使わんぞ」
「……いえ、わたしも結構です」
わたしの中の話者のイメージは、子供の頃に読んだ物語に出てくる魔法使いに近い。そもそも、この世界にそんな人達が存在することすら、あの人に助けられまるであまり信じていなかったのだから。
「やっぱり裾長めの黒のイメージですかね」
先生は店員を呼び付け、わたしに合う黒のコートを見繕うように命じた。
「年中厚手のコートという訳にもいかんじゃろうし、動きやすさも考慮せねばな」
わたしは試着室に放り込まれると、何十というパターンを試着させられた。もはや先生の着せ替え人形になった気分だ。
「こんなところでよいか?」
基本は黒地に銀のチェックの入ったワンピースとブラックレザーのロングブーツ。そこに黒のハーフコートを羽織る。コートは薄手で、夏に着ても問題なし。アクセントにピンクのチョーカー。帽子だけは先生とお揃いのとんがり帽子をセレクトした。
「似合っておるではないか」
先生が腕組みしながら何度も頷いた。わたしは姿見の前で何度も回って自分の姿を確かめる。他人を見ているような違和感を感じながらも、正直悪い気はしない。
「ちょっと、派手めじゃないですかね、何だか魔女みたいっていうか」
「正真正銘の魔女見習いじゃろうに。文句を言う割には嬉しそうではないか。あと、笑うなら全力で笑え。少々ブキミじゃぞ」
わたしは気分が高揚してくるのを抑えられず、口元が緩んでいたのが自分でも分かった。