第6話 好きだとは認めたくない
なんだってお母さんは、あんなチャラい男とのデートを勧めるわけ?
「修司君とデートして、お付き合いしたら?」
まだ怖い顔のまま、お母さんがそう小声で言った。
「はあ?お付き合い?本気?」
「本気よ。お父さんは反対するかもしれないけど、お母さんはね、あんたを龍神にくれてやるくらいなら、修司君のほうがまだマシだって思っているの」
「まじで?」
え~~~~?ちょっと、今の発言、引いたんだけど。
「私、修司さんなんて好きじゃないよ。どっちかって言えば嫌いな部類だよ。なんだって、そんな人と」
「いいから聞きなさい」
お母さんは私の両腕を持って、顔をずいっと近づけた。
「龍神の嫁になる前に、他の男と結婚しちゃえばいいわけでしょ?」
「結婚?!」
「仮にでもいいわ」
「よくないって!」
「恋人になるだけでもいいかもしれないのよ」
「修司さんが恋人とか絶対嫌だ。私だって好きな人と付き合いたいし結婚もしたい」
「そんな人いないでしょ?」
「じゃ、せめてもっと真面目そうな人がいい。例えば琥珀とか」
と琥珀の名前を出して、自分で驚いた。なんだって琥珀の名前を出したんだ?私。
「あの人はダメ」
「そうだよね。ダメだよね…」
私だって、なんだって琥珀の名前を出したんだかわからないしって、ちょっと待てよ。
「どうして?琥珀だっていいんじゃないの?」
「修司君は従兄だし、神主やっていくんだし、何より素性が知れてるでしょ」
「琥珀だって、遠い親戚でしょ?従兄のほうが血が濃くなって、あんまりよくないんじゃないの?」
「琥珀君は、素性が知れていないもの。どこの馬の骨かもわからないし」
「いやいや、だって、親戚なんでしょ?」
「それもよくわからないし。お父さんは遠い親戚だとしか教えてくれないし、ひいおばあちゃんだって、あんまり覚えていないみたいだし。お母さんも記憶が曖昧なのよ」
お母さんまで?!
「じゃあ、本人に聞こうよ。私、聞いてくるよ」
私はそう言いながら、もう自分の部屋の襖を開けた。
「ちょっと、本人に聞くっていったい何を聞くの?」
「遠い親戚ってどのあたりの親戚なのかってことだよ」
階段を駆け下り、廊下をどんどん歩いていると、
「美鈴、どこに琥珀君がいるかわかってるの?」
とお母さんが後ろから大声で聞いてきた。
「わかんない。お社?」
「お母さんも琥珀君がいつもどこにいるかわからないのよ。お父さんも琥珀君には特に何をしろって指示もしないし」
「そうなの?手伝いに来たんでしょ?」
「それも、いったい何のために来たんだか…」
まじで?ちょっとやだ。まさかお母さんまで琥珀は狐だとか言い出さないよね。
「とにかく呼ぶ」
「え?」
「呼べば来るって言ってたし」
「犬や猫じゃあるまいし、何言ってんの」
私は玄関のドアを開け、
「琥珀~~!」
と叫んだ。するとものの数秒で琥珀が雨の中やってきた。
「何?美鈴」
「あら、琥珀君、雨の中どこにいたの?」
お母さんが驚いている。琥珀は髪の毛や、着物についた雨の雫を手で払いながら、
「社だ」
と一言返した。お母さんにも本当にこの人、愛想がないよね。
「社にいて美鈴の声が聞こえたの?ここからけっこう距離あるのに」
「耳はいいからな」
耳がいい?動物なみとか?
「それで、美鈴、何?」
「あ、えっと。ちょっと話があって。とりあえず上がって。お茶でも飲んで」
琥珀は無表情のまま草履を脱いだ。
お母さんはそんな琥珀をじいっと怪訝そうに見ている。
「お母さんは昼ご飯の支度とかあるんじゃないの?」
「まだそんな時間じゃないわよ。でも雨降って今日は参拝客も少ないだろうから、悠人に車出してもらって、街まで買い物しに行ってくるわ。銀行もいかないとならないし」
お母さんはそう言うと、買い物袋をぶら下げ、そそくさと傘をさして家を出て行った。
私と琥珀は和室にいた。でっかい和室は食卓兼居間になる。琥珀には座布団に座ってもらい、私はお茶を入れた。
「あ、そうだ。もらったお饅頭もあるから食べる?」
緑茶と一緒にお饅頭もテーブルに置いた。
「美鈴、話っていうのは?」
お茶も飲まず、琥珀は私をまっすぐに見て聞いてきた。
「あ、えっと。たいしたことではないの。ただ、琥珀のことあんまり知らないから、どこに住んでて、親戚ってどこらへんの親戚かなって聞いてみたかっただけ」
って、直球過ぎたかなあ。
「ああ。住んでいるのは、この山の向こうだ」
「へえ。確か修司さんの実家も山向こうだよね。沢守神社っていうここより小さいけど、修司さんのお父さんが宮司さんで…」
「ああ、その辺じゃない。もっと…山深いところだ」
「神社とかあったっけ?」
「特に神社にいたわけじゃない」
クールにそう言うと琥珀はお茶を一口飲んだ。
「遠い親戚ってどのあたりの?」
「…美鈴のひいひいおじいさんの兄弟の子…いや、子孫だ」
「ひいひいおじいちゃん?ひいおじいちゃんのお父さんの兄弟?弟とか?ひいおばあちゃんだったらわかるかな」
「さあ、どうだかな。あのばあさん、耄碌したからな」
「……そう?意外としっかりとしているけど。でも、琥珀のことはあんまり覚えていないって。お母さんも覚えていないって言ってたよ」
「美鈴も覚えていないんだろ?」
「え、う、うん。ごめん、だってまだ私が小さい頃だよね?」
「……薄情なやつだな。遊んでやったのにな」
「ごめんなさい」
すねた感じで琥珀は、お饅頭をぱくっとひとかじりした。
「甘いな」
琥珀は顔をしかめた。
「甘いの苦手?」
「ああ、あまり得意じゃない。残りは食っていいぞ、美鈴」
私の口の方に、食べかけのお饅頭を琥珀は近づけた。これはまさか、食べさせてくれるとか?
ちょっと照れながらも口を開けると、残りのお饅頭を口の中にぎゅ~と押し込んできた。
「んあい!むぐっ」
デカいと言いたかった。でも、口いっぱいにお饅頭を突っ込まれ話もできない。
モグモグとどうにか食べていると、琥珀は、
「ははは、デカい口だな」
と笑いながら和室を出て行った。
くそ~~~。琥珀はどうも優しいようで意地悪で、冷たいようでお茶目だから困る。
昔はもっと優しかったのに。
ん?昔は優しい?
もしかして私、昔の記憶が戻りつつある?思い出しつつあるのかな。
昼ご飯は12時組と13時組に分かれて食べる。私はたいてい、13時組だ。巫女のバイトや事務員さんは社務所の裏にある休憩室でお弁当を食べている。
社務所は表側にお札やお守りを売る場所があり、裏側は和室が3部屋に区切られている。一つは事務員さんが事務仕事をする部屋。もう一部屋は休憩室。お昼を食べたりお茶を飲んだりできる部屋。もう一部屋は和室で更衣室として使われている。巫女のバイトが着替える場所なので、姿見も置いてある。
事務室と休憩室はテーブルと座布団が置いてあるだけだが、でも結構広い。正月などはバイトの子もたくさん来るから、その時には何個もテーブルを出したり、座布団もたくさん出したりする。
社務所にはトイレや給湯室、電子レンジに小さめの冷蔵庫もあって、バイトの子も事務員さんも、基本この社務所にだけいれば用はたいてい済んでしまう。この広い社務所全体の掃除はお母さんの仕事で、管理は事務員さんの仕事。結構大変だと思う。特に正月は毎年ごった返す。
我が家のお昼は、おばあちゃんとひいおばあちゃんが用意をしてくれているが、今日は私も暇だったから手伝いに行った。
「あれ?美鈴ちゃん、朝、着物着ていなかった?」
「うん、明日の休みと今日と変わったの」
「具合でも悪いの?」
おばあちゃんが心配して聞いてきた。
「壬生さんが明日休みたいって言うから、私が明日出ることにしたの」
「美鈴ちゃんは昔から人がいいんだから。嫌なら嫌って言っていいのよ」
「美鈴はそんなにお人よしじゃない。どうせ、今日休みたくなったんだろ」
ひいおばあちゃんが、お漬物を切りながら口を挟んできた。
「そうじゃなくて。明日、修司さんもお休みで出かけようってしつこく誘ってきたから」
「美鈴ちゃんは修司君のことが嫌いなの?」
「嫌いっていうか、苦手」
「ひいばあも、修司みたいなナンパなのはやめたほうがいいと思うぞ」
「だよね。あ、そうだ。琥珀のことなんだけどね、ひいおじいちゃんのお父さんの兄弟の子孫なんだって」
「琥珀が言っていたのか?」
「うん。けっこうな遠縁だよね」
「そうじゃなあ。なるほど。かなりの遠縁だ。なんでまた、そんなに遠い親戚がここに来たんだろうなあ。康子さん、知ってるかい?」
「いいえ。琥珀君が昔遊びに来ていたらしいですけど、記憶が曖昧で…」
「やっぱりなあ」
え~~~、おばあちゃんもなの?なんだって、みんな記憶が曖昧なの?
「ますます、琥珀が怪しいな」
「怪しいってどういうことですか?お義母さん」
「狐じゃ」
「また、そういうことを言って…。美鈴ちゃんが本気にしますよ?」
おばあちゃんは苦笑しながら、お味噌汁をお椀に注いだ。
「じゃ、今日は美鈴ちゃんも12時にご飯食べる?」
「そうする。私が1時だって知って、修司さんも1時に食べに来るから嫌だったんだよね」
「本当に修司君のこと毛嫌いしているのね、美鈴ちゃん」
「だって、女ったらしでろくでもないんだもの」
「そうね。美鈴ちゃんにはもっと真面目な人がいいわね」
「そうでしょ?なのにお母さんは、修司さんと付き合えって言うんだよ?」
「え?朋子さんがそんなこと言ったの?」
「龍神の嫁になるくらいなら、修司さんと結婚しろとまで言ってた」
「ひゃっひゃっひゃ」
「ひいおばあちゃん、笑い事じゃないよ」
「本当に笑い事じゃないですよ。まったく朋子さんは何を考えているのやら。だいたい龍神だっているんだかどうか怪しいものだし。いたとしても、嫁になんか行かなくたっていいのよ?」
「うん。だよね?迷信だよね?」
「そうよ。美鈴ちゃんは安心していていいのよ」
おばあちゃんは力強くそう言ってくれた。でも、ひいおばあちゃんは何も答えなかった。
12時になると、おじいちゃんと悠人お兄さんが和室に入ってきた。
「お兄さん、街に行ってたんでしょ?何か買ってきた?」
「ああ、美鈴の好きなドーナツを買ってきたよ」
「やった!だから悠人お兄さんが買い出しに行くとありがたいんだよね」
「今日は休みだったの?美鈴。だったら一緒に行けばよかったね」
「いいの、いいの。お母さんが一緒だと、車内でもあれこれ説教してくるんだろうし、うるさいから一緒には行きたくない」
そう言いながら、座布団に座っていただきます!と手を合わせた。すると横から、
「いただきます」
と、とてもクールな声が聞こえ、びっくりして横を見ると知らぬ間に琥珀が座っていた。
「琥珀?いつ来たの?」
「今」
琥珀はそれだけ答えると、お味噌汁をすすった。
「え?今?来た気配もなければ、座った音とかもしなかったけど?」
「早く食ったらどうだ?冷めるぞ」
私の質問には答えず、琥珀は静かにご飯を食べだした。周りのみんなを見ると、特に琥珀のことは気にしていないようだ。なんだ。私だけがびっくりしたのか。意識しすぎているのかな。
「琥珀は1時に食べていなかった?今日は12時組なの?」
「特に時間は決まっていない」
「ふうん」
1時に私が和室に入ると、すでに琥珀は座っていたから1時組なんだと思った。
昼ご飯もみんな静かに食べる。そして、さっさと食べ終えると、その場でゆっくりとする人、自分の部屋に戻る人、テレビを見る人など、思い思いの行動をする。
私は最近修司さんがいるから、面倒くさくてさっさと自分の部屋に休みに行っていた。だから、琥珀がどうしているのかは知らなかった。
「琥珀、ドーナツあるけど食べる?」
今日は修司さんもいないし、ここでのんびりしてもいいかなと思いながら聞いてみた。だが、
「甘いのは嫌いだと言っただろう」
と嫌そうな顔をして断られた。
「そうだったっけね。私も、3時に食べようっと」
一回お尻を持ち上げたけど、また座布団に座った。でも、琥珀のほうがすっと静かに立ち上がってしまった。
「あれ?琥珀どこに行くの?」
「食事も済んだし、そのへんでのんびりとする」
「外は雨だよ」
「2階にでも行く」
「自分の部屋?」
「ああ、そうだ」
「じゃ、私も自分の部屋に戻ろうっと」
また私はお尻を持ち上げた。その間に琥珀は和室を出て行ってしまった。
「ちょっと待って。一緒に2階に行ってもいいじゃん」
慌てて私も和室を出た。
「?」
琥珀は振り返り私の顔を不思議そうに見ると、
「なんでだ?」
と聞いてきた。
「なんでって言われても…。えっと~~」
困りながらも私は琥珀の隣を歩いた。私自身が私に聞きたい。なんで呼び止めた?
その心は?
う~~~~ん。答えがわかっているから困る。できればわからなければいいのに。
そうだ。答えはシンプルだ。ただ琥珀と一緒にまだいたかった。それだけだ。
お昼も実は隣に座ってくれて、ちょっと喜んでいる私がいた。だから、隣にいてびっくりしたんだ。嬉しくてびっくりしたとか、私、本当に変だ。
変だとか言いつつ、そのおかしな私のこともわかっている。どうして変なのかもわかっている。
琥珀が気になっている。琥珀がどんどん私の中で大きい存在になっている。
うざかったら、さけているのに、嫌いなら、どうでもいいはずなのに。
あ~~~~。でもまだ認めない。自分で認めないぞ。琥珀を好きになったとか、まだ会って間もないんだし、憎らしい奴には変わりないんだし。
結局何も話もしないまま階段を上りきり、琥珀はさっさと自分の部屋に入ってしまった。