第13話 恋の発展は難しい
10時、八乙女さんと亘理さんも来てくれて、二人に里奈のことを頼み、私は静かに裏の事務室で、事務仕事を事務員さんとしていた。今日は雨が止んだり降ったりの天気で、参拝客が少なくて助かった。
12時になり、お母さんが社務所に顔を出した。
「どう?里奈ちゃん、仕事覚えられた?」
「はい。でもまだ、なかなか慣れなくて」
「今日は参拝客も少ないし、のんびり覚えたらいいわよ。ところで、お昼は美鈴と別々に取ってもらうことになるんだけど、いいかしら」
「あ、はい。私だったら何時でも」
「お昼の用意してきていないわよね?」
「あ、すみません。何も持ってきていないです」
「じゃあ、うちにいらっしゃいよ。たくさん用意してあるから一人増えても問題ないわ」
「すみません。お言葉に甘えます」
里奈が元気にお母さんに答えているのが、裏にいても聞こえてきた。お母さんも地声がでかいから二人の会話も丸聞こえだ。
そして、裏で仕事をしていた私のところまでお母さんは来ると、
「どうしたの?美鈴。顔色悪くない?」
と顔を覗き込んできた。
「うん、なんだか貧血で」
「先に美鈴を休ませてあげて下さい。ずっと眩暈がするそうなんです」
里奈も心配して、わざわざ裏の事務室まで来てそうお母さんに言ってくれた。
「まあ、珍しい。貧血なんて起こしたことないじゃないの。ま、いいわ。今から美鈴のほうが先にお昼に入りなさい。その間お母さんがここにいるから」
「いいの?」
「いいわよ。琥珀君にも12時からお昼に入ってもらって、13時からは琥珀君に社務所を手伝ってもらいましょう」
「うん。琥珀を呼んで、12時からお昼だって伝えておく」
「そうね。琥珀君耳がいいから、その辺から呼んだら来るんじゃない?あ、八乙女さんにも休憩入ってもらわないとね」
お母さんと社務所に行き、私だけ社務所を出て琥珀を呼んだ。雨は止んでいたけれど、けっこう風が強い。そんな風の中、力が出なくて大きな声が出せなかった。それでも琥珀はすぐにやってきた。
「どうした?なんの用事だ?」
「お母さんが琥珀も12時からお昼に入ってって。それで、13時からは社務所を手伝ってほしいって」
「どうした?」
「え?だから、お昼…」
「そうじゃない。なんだってそんなに顔色が悪いんだ?」
あ、気づいてくれたんだ。
「なんだか貧血なのかわかんないけど、眩暈がするの」
「眩暈?」
「体に力が入らないみたいで」
ちょっとふらつきながら歩いていると、琥珀は私の背中に手を回して支えてくれた。
「大丈夫か?体も冷えてるな」
「そう?」
「ああ、気が薄くなっている」
「気が薄い?」
「エネルギーが吸い取られているみたいな…。まさか、修司と何かあったのか?」
「えっと。社務所に来て里奈にちょっかいだしていたから、それを阻止するために修司さんを追いやったくらいで」
「追いやった?どうやって?」
「どうって…。背中を押して追い出したの」
「修司の背中をどうやって押したんだ?」
「両手で押しただけだよ」
「両手の掌を修司の背中にくっつけて押したんだな?」
「うん」
なんだか、琥珀の顔怖くなってない?
「それはいけない」
「え?なんで?」
「掌を付けて押したことで、修司にエネルギーをやる形になってしまったんだ」
「そうなの?そんなことできるもんなの?」
「ああ、手当てという言葉があるだろう。あれは、エネルギーを相手にあげるということなんだ。ケガや病気の人間の手当てをしてあげるというのは、そもそもそういうことから来ているんだ」
「両手からエネルギーをあげるってこと?私の?」
「ああ。自分と天とを繋げ、天のエネルギーをもらいながら相手に気をあげるのなら、自分の気が枯渇することはないが、ただ気をあげるだけになると、気が枯渇してしまうんだ」
「それで、私の気が薄れて眩暈がしたってこと?」
「そうだな」
「じゃ、どうしたらいいの?」
「俺が気をあげるから、大丈夫だ」
そう言うと、琥珀は私を抱きしめた。うわ~~~!抱きしめられちゃったよ!
ドキドキしていると、琥珀は私の背中をぎゅっと抱きしめ、何やら小声で唱えだした。
ブワッ!何かあったかいものが私の中に入ってきたのがわかった。そして、一気に胸が満たされ、体があったまり、心までが満たされて幸せな気持ちになってきた。
「どうだ?元気になったか」
琥珀は私から離れるとそう聞いてきた。
「うん。なんだか、すんごい元気!何これ!すごくない?琥珀、すごくない?」
「こんなことは誰でもできることだ。まあ、他の人間よりも俺はこういうことが得意ではあるがな」
「私でもできるの?」
「ああ。美鈴も得意だ。今までにも人だけでなく、動物にも気を与えていた。ちゃんと天と繋がりながらな」
「え?私が?そんなことした覚えないけど」
「忘れているだけだ。さ、飯食いに行くぞ。気は満たされただろうが、腹は減っているだろう」
「うん。なんだか食欲わいてきたんだけど」
「それはいつものことだろう。食い過ぎには気をつけろ」
「また、そうやって意地悪を言う~~~!」
そう言いながらも私は琥珀のすぐそばに引っ付き、
「琥珀、ありがとうね」
と小声でささやいた。
あれ?そう言えば昨日は、真由や里奈の背中を手で押したけど、特に眩暈もしなかったし、大丈夫だった。あの時は私の気をあげなかったっていうことなのかな。なんだって、修司さんには一瞬背中に手を当てただけで、気を取られちゃったんだろうなあ。
そんなことをご飯を食べながら思っていたが、おばあちゃんやおじいちゃんもいたから、私は琥珀に何も聞かず黙って食べていた。
お昼を食べ、琥珀と家を出ようとすると、そこに修司さんが来た。
「あれ?美鈴ちゃん、もうお昼食べたの?」
「はい」
「なんだ。一緒に食べられると思ったのに…。あれ?」
修司さんは不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「近づくな」
と、すぐに琥珀が私の肩を抱き、社務所に向かって歩き出した。
「随分と血色いいね、美鈴ちゃん。何かあった?」
「修司、お前こそ髪がつやつやだな。何かあったのか?」
琥珀が振り返り、クールにそう聞いた。
「う~~ん、別に何も?」
修司さんはそう言って、私の肩を抱いている琥珀の腕を見て、
「美鈴ちゃん、琥珀はそんなにくっついても平気なわけ?取って喰われても知らないよ?気を許さないほうがいいよ?」
と、にやりと笑った。
「こ、琥珀は修司さんとは違うんです!行こう、琥珀」
私はくるっと修司さんに背中を向け、琥珀と一緒に歩き出した。
琥珀は体温が低いのかな。ひんやりする。なのに、私の体はあったかい。私がドキドキして体温が上がっているのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ。
さっきの琥珀の話、きっと琥珀は私に気を与えてくれている。それがあったかいんだ。修司さんと話したり、近くにいるとなんとなく嫌な感じがして、寒気すら感じることもあるのに、琥珀と居るとどうしてこうも安心するんだろう。
社務所に着く前に琥珀は私から離れた。そして、何事もなかったかのように琥珀は表情を消した。私もなるべく真顔になってから、社務所の引き戸を開けた。
「あら、美鈴。お昼食べたら元気になったの?顔色もすっかり良くなったわね」
「うん。ちゃんとご飯も食べられたし、ゆっくりして元気になったよ。あ、里奈。お昼食べに行ったら、修司さんには近づかないようにね」
「そうね。お母さんがちゃんと見守っているわ。あの修司君って人は女ったらしでね。里奈ちゃんにまで言い寄らないよう、みんなで気をつけないとね」
お母さんが見ていてくれるなら安心かな。お母さん、強いからな。なんて思ってお母さんと里奈の後ろ姿を見ていると、
「安心してよさそうだな」
と、琥珀がふっと息を吐いた。
「え?何が?」
「美鈴の母親、強いだろ?任せて大丈夫だ」
わあ。琥珀もお母さんが強いこと知っていたんだ。
「お母さんが強いの知ってるの?」
「当然だ。この神社を守る強さがなけりゃ、宮司の伴侶には選ばれない」
「そうなんだ。それもまた、龍神が決めたこと?」
「そうだ。強いというのは、エネルギーだ。ちょっとやそっとの悪い穢れが来たとしても、それを跳ね返せるだけのエネルギーを持っていないとな」
「穢れ?」
「悪しき心を持った人間だったり、妖だ」
「あやかし?!それって、妖怪?」
「人間外のものだ」
「幽霊?お化け?」
「そういうのも含めてだ。悪さをする動物の霊や、獣の妖怪もだ」
「獣の妖怪?狐みたいな?」
「そうだ」
「………えっと、琥珀は人間だよね?」
「は?」
「なんでもないの!今のは忘れて!」
ひいおばあちゃんがやたらと、琥珀は狐だっていうから気になってつい聞いちゃった。でも、違うよね。もし妖怪だったら、お母さんにやっつけられているところかな。なんてね。
私と琥珀は社務所に入り、八乙女さんと亘理さんがいてくれるから、裏で事務仕事をしていた。事務員さんは、社務所にある休憩室で13時からお昼を取っていてその場にいなかった。
私は琥珀と二人で黙々と仕事をこなしていた。琥珀の隣は安心できるから、特に何も話さなくても、とっても居心地がいい。なのに、ドキドキしている。このドキドキも心地いい。
ああ、幸せだなあ、なんて琥珀の顔を見てそんなことを思っている。この満たされた感覚、なんなんだろうなあ。
「美鈴、琥珀さん、戻りました」
そんな心地いい幸せな空間に、里奈が戻ってきて事務室に顔を出した。すると一気に現実に帰ってきた気がした。今までまるで、天国が別次元に行っていたみたいだった。実際にいつもの事務室なのに、キラキラ輝いていたし、外は小雨も振り出したというのに、なぜかここは明るく感じた。
なのに、今はなぜか明かりが消えたみたいにさっきよりも暗い。あれ?こっちが現実?さっきまでの空間はなんだったんだ?
「じゃあ、俺は社に行く」
事務員さんもお昼休憩を終えたからか、琥珀はそう言うと、さっさと出て行ってしまった。
「あ~~、つれない」
里奈はガラリと戸が閉まるとそんなことを言った。
「里奈、修司さんに言い寄られなかったよね」
「うん、修司さんとはわざと席を離してくれたし、お母さんがずっと隣にいて私と話をしていたし。あ、それに逆側の隣には悠人さんがいてくれたの。それで守ってくれた」
「悠人お兄さんが?」
「優しいよね。いつも遊びに来ると、挨拶だけしてどっかに引っ込んじゃうじゃない?今日はずっと隣にいて、色々と話しちゃった」
「悠人お兄さんが?そんなことできるの?」
「え?美鈴、お兄さんと話できないの?」
「そうじゃなくて。悠人お兄さん、女の人が苦手だから、女性と話も普段できないんだよ。よく里奈と話ができたなあって」
「うん。まあ、私が話して、お兄さんは相槌うつくらいだけどね」
「へえ。そうだったんだ」
里奈みたいな美人さんが隣にいるだけで、悠人お兄さん、超緊張しただろうな。ご飯喉通ったのかな。
「それにしてもさ、あの女ったらしの従兄、一緒に住んでいるんでしょ?大丈夫なの?」
「うん。お兄さんも琥珀も守ってくれるって言ってるし」
「琥珀さんも?冷たくないじゃん。私、まったくそういうこともしてくれないっていうか、関心を示さないのかと思った」
あ、やばい?琥珀の印象変わってきちゃう?
「私、あんまり覚えていないんだけど、子どもの頃遊んでもらってたみたいで、悠人お兄さんと同じで、妹っていうか子どもみたいに思ってて、守ってくれるんじゃないのかなあ」
「そういうのって、発展が難しいケースだよね」
「発展とは?」
「だから、妹から恋人への発展。一番難しいやつじゃん」
ガガーン。痛いところをついてきた。
私もそれは感じていた。だからこそ、痛い。
子ども扱いしている琥珀が私のことを女性として見てくれるのか、いつも面白いと言っている琥珀が、私にドキドキしたり、私を好きになってくれるのか。恋に発展することなんてあるのかって。
そういうの、私だけじゃなくて、里奈も思っちゃうっていうわけ?!