女装少年と淫乱シスター
翌日、いつもと違う寝心地に違和感を抱きつつ目を覚ます。そう言えば、昨日は宿に泊まったから屋内だった。土の感覚に慣れ過ぎて、床で寝たにも関わらず快適な目覚めだ。
起き上がりつつ寝ぼけた瞳を擦るが、ベッドに人影が無い。
あれ? アティカにベッド占領されてた筈なのに。
ふと視線をサイドテーブルに移すと、飲みかけの酒瓶の代わりに便箋が一通置いてあった。開いてみると、未だに見慣れない文字がつらつらと書き連れられている。この世界の文字だ。ボクが最近必死に覚えさせられた文字でもある。
例の翻訳薬では文字までは意訳出来ないらしく、学園に入るにあたって一から言語を覚える事になったのだ。日本語に文脈や書体が似ていて覚えやすかったのが、せめてもの救いだった。
手紙の内容は、明日から始まる学園生活を頑張れということと、これからの生活費等を同封しておいたので使ってくれとのこと。改めて便箋の中身をよく見ると、薄い金属っぽいプレートが一枚入っていた。
なんだこれと裏返してみても、なにも書かれていない。本当にただの鉄板だ。
よく考えてみたら、ボクはこの世界の金銭を見たことがない。ひょっとして、これが貨幣なんだろうか? これでいくらなのかもよく分からない。
こういう世界観の違いを詳しく教えて欲しかったけれど、既に居ない人物に文句も言えないので保留。
ボクはベッドに畳んで置いてある衣服に視線を下ろした。それは明日からの学園生活で着ることになる制服だ。
どんなデザインだろうと、手に取って広げてみる。
「……は?」
思わず眼を丸くしてしまったそれは、一見するとよく見るブレザータイプの学生服だ。異世界において、それが普通と呼べるのかはさておき、ボクが思わず声を上げてしまったのは下の方だ。
どうみてもスカートだよね、これ。
父さんからよく女みたいな奴だとは言われ続けてきたけれど、ボクは男だ。女子と間違われる謂れはない。
アティカもボクを男だと認識していた筈なので、完全にわざとだ。悪意しかない。
手紙曰く、汚れ難く、刃物や魔法に抵抗のある特殊な布で出来た高性能な服らしい。これを着ておけば基本的にそうそう危険な目に遭わないとのことで、仕方なく制服に着替えるけど……やっぱりスカートなんて履き慣れてないので違和感しかない。
昨日から訪れているこの街はラナシアというらしい。
小高い丘に沿って南北に細長い扇状の街で、麓付近に商業区が並び、頂上に沿って住宅区、工業区と広がっている。
そして、その頂上にあるのが、ボクが通うことになるラナシア魔法騎士学園だ。将来、国や領に仕える騎士や文官、従者を育成する学園らしいけど、この国になんの思い入れも無いボクが入学していいものなのか。
まあ、地獄の筋トレとお勉強期間は終わったし、憧れのファンタジーな学園生活に想いを馳せればいっか!
昨日は殆ど日が落ちてからホテルにチェックインしたので静かな街だったけど、日中は人通りが多い。
ホテルの中には電化製品が詰まっていて実感無かったけど、街に出るとまんまファンタジーな街並みで心が躍る。日本の生活に慣れ切ったボクに支障が無いのはありがたいけれど、この国の生活水準は一体どうなっているんだろうか。
考えても無駄そうだと思考停止して、街を彷徨くことにした。商業区に入ると、露天がたくさん並んでいて、まるでお祭りの様で見ているだけで楽しい。
お祭りといえば……焼きとうもろこしに焼きイカでしょ? りんご飴に綿菓子……食べ物ばっかり思いつくなぁ。
そんなことを考えていたらお腹が小さく、くぅとなった。そう言えば、起きてから何も食べていない。
「よう、そこの嬢ちゃん。腹減ってるならうちで買ってかねぇか?」
ボクのお腹の音を地獄耳で聞いていたらしい、屋台のオヤジがここぞとばかりに声を掛けてきた。それと、こんな格好している手前言えないけど、嬢ちゃんじゃないです。
見れば、屋台で売っているのはローストチキン? アティカにまともな鶏肉を食べさせて貰ってないので、鶏かは判断出来ないけど鳥肉の腿っぽい部位の焼き料理だ。
「……ボク、お金持ってなくて。こんな板ならあるんですけど」
「あぁん? ならそれと交換してやるよ」
オヤジは渡せた手を出して来たが、これ一つでチキン一本? アティカが生活費として置いていったのだから、交換レート的に明らかにおかしい。
「いやいや、ステロ一本でギルカと交換はボリ過ぎっしょ……あんたも世間知らず過ぎじゃん。箱入りかよ」
ボクが疑惑の念を浮かべていたら、知らない少女が割り込んできた。
知らない単語がチラホラあったけど、助けてくれたのか馬鹿にされたのかどちらなんだろう。
「チッ……冷やかしなら帰ってくれ。うちには漁られるゴミなんかねえからな」
「あ? 生ゴミしか売ってないって? アタシはゴミなんか食わないし。あいつらにもまともな飯しか与えてないから」
「ンだと、テメェ!?」
「ハイハイ、憲兵呼ばれて困るのはお互いさまっしょ。アタシたち帰るから。じゃね」
少女はひらひらとおっさんに手を振るのに対し、おっさんもさっさと帰れと追い返すように手を払う。
この場に残るのも決まりが悪いので、ボクは少女と共に後にする。
「……あの、助けて頂いてありがとうございます」
「ん、いや別に礼とかいいし、あれくらい。この街じゃそこそこあるからきーつけて」
照れ臭そうに後頭部を撫でながら明後日の方を向く彼女をみてはたと気付く。修道服のような服を着た彼女が頭に被っていたベール。その隙間から覗く髪は、淡いピンク色だ。
うわぁ、ファンタジーな髪色だ!
街中には金髪や茶髪、紺色などがよく目に付いたので、彼女の髪色が一番ファンタジー感溢れている。やっぱりファンタジーな世界はこういうパステルカラーな髪色がいて欲しい。
「アンタ、その服着てるってことは、明日ラナ学に入学すんの?」
「……ラナ学? 学園でしたら、そうですね。明日から入ることになります」
「じゃあタメか。アタシも明日入学すんだよね」
「え、そうなんですか!?」
まさかの入学前に同級生と出会ってしまった。助けてくれたいい人なので、是非とも交友関係を築いてお友達にならねば。
「また学園で会うかもね。じゃ、アタシこっちだから。もう詐欺られんように」
手をひらひらと振って別れようとするシスター少女。まだ名前も聞いてないのに。これじゃ、友達どころか知り合いすら怪しくなってしまう。
「……ま、待って下さい」
「なに、どしたん? まだなんか用あんの」
つい、引き留めてしまったけれど、基本的にコミュ障のボクはその先が分からない。異世界に来て、気が大きくなった気がしていたけれど、そう簡単には変わらないみたいだ。
えっと……なにか捻りだせ。話題は相手と共通の出来事を振るといいと前に本で見た事がある。
「こ、これ! これの使い方……教えて貰えませんか?」
そう言ってボクが出した答えは、アティカに貰った鉄板の使い方だった。いや、助けて貰っておいて、更にお願いするとか自分ながらにその図々しさに頭を抱えたくなった。
ボクの知らないことは基本的にはこの世界では常識らしい。現に、そんなボクを困った奴を見るような目で見つつも、シスター少女……アイビスは質問に答えてくれた。
彼女がギルカと呼んでいたこの鉄板、正式名称はギルドカードと言って、簡単に言えば通帳みたいなものらしい。本来、商業ギルドと呼ばれるところで作るもので、本人しか使えないため譲渡などは出来ないのだとか。
当然、ボクは作った覚えなどない。なんでも、血を少し垂らせば本人認証してくれるらしいので、アイビスからナイフを借りて恐る恐る指先を切って血印みたいに鉄板に指を押し付けてみた。一瞬だけ何かの魔法陣らしきものが鉄板の上で光り、すぐに消えた。
魔力を込めれば残高が表示されるとのことで、やってみるとこの世界の数字が鉄板に浮かび上がった。登録したばかりなのに、何故か最初から幾らか入っている。アイビスも初めてみるわと顔をしかめていたけれど、やったのはアティカだ。ボクは知らない。
この金額がどれくらいの価値があるのかアイビスに尋ねると、また変な奴を見る目で一人なら数年は暮らせる金額だと教えてくれた。
まあ、金銭感覚ゼロの人間が、お金の使い方を教えてくれとか言ってきたらその表情を浮かべるのも納得だけど、変人扱いは悲しい。一般教養を教えてくれなかったアティカに理不尽に怒りをぶつけそうだ。
「で、そろそろいい?」
呆れるようにアイビスは肩を竦めた。ま、まだお礼もしていないのにこのまま帰すのは失礼なのでは?
「あ、あの……もしあれでしたら、お世話になったお礼にご飯でも……」
「や、そういうのいいんで。早く帰ってガキらの飯の準備もしないとだし」
ガキ? まさかのこの若さで子持ち?
「……言っとくけど、アタシの子じゃないから。うちの孤児院のガキどもだから。アタシのこと淫乱ピンクとか呼んだら張っ倒す」
思ってない思ってない!
ボクは首を横にぶんぶんと振ると、アイビスは「そ、ならいいけど」と踵を返した。
これ以上引き止めるのは、お礼をするよりも迷惑だろう。ボクは言葉で謝礼しつつ小さく手を振って彼女を見送った。
また、明日以降に会えるでしょ。感謝はまた学園ですればいいや。
アイビスの姿が見えなくなると、またボクのお腹がくぅと鳴った。
そう言えば、結局ご飯なにも食べていない。
お金は商業ギルドで下ろせるらしい。アイビスに場所も教えてもらったし、これから向かうことにする。
異世界に来て、文化的な食事は実は初めてだったりする。今日までアティカとのサバイバル飯だったので、ちゃんとしたご飯が楽しみだ。