魔法の使い方
木、木、木。見渡す限り一面木。今までの日常では中々来ない森林。ボクは意識することもなく、圧倒的な非日常を体験していた。
つい今まで過ごしてきた街並みは微塵も面影を残しておらず、見覚えの無い森林風景が果てまで続いていた。
「おー驚いてるみたいだね。サプラーイズ」
イタズラが成功したと言わんばかりにアティカはケラケラと笑う。イタズラってレベルじゃないんですけど。
ここはどこ? え、一瞬で気を失って拉致されたってこと?
「ここは、そうだねぇ……キミにとっての異世界だよ」
「異世界……? ただの森じゃ無いですか、どうやってボクをこんな所に連れてきたのか分からないですけど返して下さい」
抗議するも、「それは出来ない」とアティカはすぐに拒否した。その後、アティカは辺りを見渡すとボクの背後にある木まで歩き、その洞へと手を入れた。
中から引っ張りだしたのは、小動物だろうか。赤みがかった毛並みの……リス? 角が生えていて断言は出来ない。ボクにとって見覚えの無い生き物だった。
「これはスピラーと呼ばれる魔獣だね。キミたちの世界にはいなかったと思うから見たことないだろう?」
ボクは頷く。見覚えの無い生物を見せられたら、多少は異世界に連れて来られたんだと思ってしまう。
「ちょっと理由があってキミをこっちに連れて来たんだけど……先に謝るよ、ゴメン。キミはしばらく家に帰れないんだ」
「え、どういう事ですか。ボクは父さんのおつかいで……」
思わずパニックになりそうな発言に抗議するも、アティカはそれを手で制す。そのまま帰れない理由等を説明してくれた。
細かい理由などは聞いてもよくわからなかったし、ボクを拉致した人物の言葉を鵜呑みにも出来ないが、アティカ曰く、帰れない理由を掻い摘んでいうと、この世界とボクの住んでいた街を繋ぐのは簡単では無いからとのこと。使い捨ての希少な魔法陣を利用してこことさっきの横断歩道前をリンクさせて瞬間移動したそうだ。
アティカは神でもなんでもないので、そんなにポンポンと世界の境界を超えて移動など出来ないと言う。
父さんに関しては、事前にアティカが説明したから大丈夫とか言っている。なんでも、知り合いだとか。
異世界云々も到底信じられない話だが、ボクからしたら普通働いてる父さんと見た目女子高生のアティカが知り合いという方がにわかに信じがたい。
「あと、これも見せた方がいいね」
アティカはそう言って、手に持っていたスピラーという生き物を前に放り投げた。
説明中ずっとアティカの指に歯を立てていたのを見ていたボクは、やっぱり痛いのが我慢出来なかったのか程度にした思ってなかったけど。
「―――"Lightning"」
手をかざしたアティカがよく分からない言語を発すると途端に、先に放り投げたスピラーに落雷が炸裂した。雷雲どころか、空も見えない森でピンポイントにスピラー目掛けて落ちた落雷だったが、周りは一切被害がない。
なんて、冷静に解説しているけど、内心理解不能な出来事にドキドキしてる。
「どうだい? 今のが魔法だよ。これでキミが異世界にやって来たんだって実感したかな」
確かに、突然目の前の生物に雷が落ちるなんてそうそう無いことだろう。ここは異世界なんだと自覚しないといけなさそうだ。
けれど、それよりもボクが聞きたいのは……
「こ、殺したんですか……?」
「うん? あぁ、そうだね。スピラーは魔獣だから。倒せばキミがよく知ってるゲームみたいに消えるよ」
ほら、とアティカが指差すと、スピラーは紫色の靄になって消えた。とても生き物を殺した感覚が無かった。
「正確には魔獣は生き物じゃないからね。魔力で動いてる、ロボットみたいなものさ」
「それでも、殺さないといけなかったんですか?」
「うん。魔獣は危険な存在だ。さっきのスピラーだって、可愛らしいものだったけれど、時間が経つと成長してあのトラックくらいのサイズで街を襲うようになるからね」
アティカは「だから小さいうちに倒しておくんだ」と説明してくれた。
「これからキミは、ああいった魔獣や、場合によっては襲ってくる人間とも戦わなければいけない」
「人間がどうして襲ってくるんですか……?」
「この世界はキミのいた街ほど治安が良くないからね。街の中には衛兵こそいるものの、いざ外に出れば無法地帯さ。見つからなければ誰が殺されようと分からないからね」
どうしてそんな危険な世界にボクは連れて来られたんだ。ボクは穏やかな日常を送っていたはずなのに。
「……本当は無理強いなんてしたくないけれど、キミにはこの世界で強くなってもらわないといけないんだよ」
「……帰る手段もないなら、自衛手段くらいないといけないですね」
「そうだよ。キミは強くなるんだよ」
いや、別に自己防衛出来ればそこまでの強さは要らないんですけど。なんなら街のなかで引きこもっていたいレベル。
「手始めにこのスピラーを魔法で倒してみよう!」
「いつの間に新しいやつ拾ってきたんですか。自然に帰しましょうよ」
成長するのなら倒しておいた方がいいんだろうけど、ボクはわざわざ探してまで生き物を殺したいなんて思わないから。
でも、ホントに魔法が使えるのなら使ってみたいという少年心もあったり。
アティカ曰く、魔法は『火』『水』『土』『風』『雷』『氷』の六属性が存在し、アティカが使った魔法は見たまま雷属性らしい。生まれ持って使える属性は決まっているらしく、使えないものは全く使えないのだとか。
「そういえば、キミにこれを飲んでもらうのを忘れていたよ」
「なんですか、このドス黒いトマトジュースみたいな液体」
アティカがどこからか取り出したのは小さな小瓶に入った液体。蓋を開けて匂いを嗅ぐと強烈な腐乱臭。「これ腐ってますよ」と抗議するも、腐ってないから大丈夫だと飲む仕草でジェスチャーが帰ってくる。
無理矢理飲まされる方がイヤなので、ボクは意を決して鼻を摘み口に含む。
……え、なにこの三角コーナーに三日放置した生ゴミから絞ったみたいな液体。
想像を絶する不味さに思わず涙目になってしまった。口から喉を通らず、余計に地獄が長続きする。このまま吐いてしまおうかとも思ったが、「それも高いから飲み込むんだ。吐き出してしまったら弁償してもらうよ」などと脅されれば、お小遣い毎月数千円しか貰ってないボクとしては飲み込まざるをえない。数日間、食事が美味しくなくなるのを覚悟して嚥下した。
「今、キミが飲んだのは、簡単に言えば翻訳薬だね。飲むだけでキミの知らない言語も理解出来るようになる魔法薬さ」
某コンニャク的なやつだろうか。いつまで効果が続くのか知らないが、もう一生飲みたく無い。
「これでこの世界の魔法言語を発することが出来るようになった筈だよ。試しに僕の魔法を復唱してみようか」
最初に見せて貰ったのは先程の雷の魔法。さっきはなにを言ってるのかさっぱり理解出来なかったけど、今はそれと無く聴き取れた。なんだか、日本語と英語を同時に声に出しているみたいだ。
え、なにそれ。普通に難しくない……?
コツとしては、魔法の発現のイメージと言葉の発言のイメージが重なれば、薬のお陰で声に出来るらしい。良薬は口に苦しとはよく言ったもので、苦いというか不味かったけど、絶大な効果があるようだ。
何度か試してみるも、出ないものは出ない。それは単に属性が合っていない可能性もあるということで、一先ずアティカの指示通りに全属性の魔法を唱えた。
「ふむふむ……どうやら、キミは氷属性の適性しか無いみたいだ」
「というと、それしか使えない感じですかね」
折角異世界に来て憧れの魔法が使えるというのに、ボクは氷を出す程度しか出来ないらしい。場面に応じて魔法を使いこなすとかカッコいいのに憧れもあったから少しへこむ。
「一つの魔法しか使えないって結構凄いことなんだよ? かなり希少な存在だね」
おぉ!? 実は最強でした的なやつ?
「原則的に、魔法の適性レベルが10だとするとキミは氷魔法を10使うことができるんだ」
「それって人の努力次第なところなんじゃないんですか?」
真っ当な疑問を投げ掛けると、アティカは首を横に振った。
「まあ、当然として努力しないと10の力は出せないんだけどね。それ以前に、この適性レベルというのは適性がある属性の合計なんだ」
「……要するに、氷と雷の属性を持っているなら両方とも5までの力しか出せないってこと?」
「うーん、少し違うね。二つなら氷が7で、雷が3ってこともあるよ。というか、その場合だと偏ってることの方が多いかな」
もっと細かく言うならば、大多数の人は全属性を使えるがそのせいで大きな出力ができないらしい。確かに全属性に適性があるなら、最大でも5までの力しか出せない。しかも、全属性に適性がある人間は、適性レベルは均一に近くなるらしい。
「まあ、その属性しか使えないってバレてしまうと対処されやすいんだけどね」
「一概に単属性最強! って訳じゃないんですね」
そういうことだね、とアティカは頷いた。異世界でくらいボクもちょっとくらい気を大きく持ちたかったけど、無理そうだ。
「それじゃ実戦だ。動かないように持っててあげるから、教えた通りに魔法を唱えてごらん?」
「え、でもアティカさんも巻き込まれるんじゃ……」
「キミが思うよりも僕は強いんだ。魔法を初めて使うキミの魔法くらいへっちゃらさ」
どんとこいと両手でスピラーを掴んでボクの方へと突き出してくるアティカ。本人が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。
ボクも逃げようと必死に暴れているスピラーを注視して手を翳す。本当は翳す必要なんて無いらしいけれど、対象との距離や方向を意識しやすいので慣れるまでは推奨されているとか。
無抵抗の生き物相手に、少し心が痛むが、そのままボクは、教えて貰った初めての魔法を諳んじる。
「―――"freeze"」
唱えた途端、身体の中から熱が抜けるような感覚と同時にスピラーがアティカの手ごと凍りついた。
もしかしなくてもやり過ぎた……!?
「ご、ごめんなさい! 加減が分からなくて!」
「うん? あぁ、大丈夫だよ。これくらい対処できるさ」
ボクが慌てたのがバカみたいに、アティカはなんてことない素振りで火属性の魔法を唱えた。あっという間に手元の氷は溶け、スピラーも紫の靄と消えていく。
「初めてならこんなもので大丈夫さ。もっと上手く使いたいなら、こうすればいいよ、"freeze"」
アティカが一回、パチンと指を鳴らすと、彼女の背後に何かが音を立てて落ちてきた。それは、見たことない鳥だった。アティカが「触ってごらん」と言うので手に取ったが、思わずそのまま放り投げてしまった。
何故ならその鳥は、見た目変わりなく凍り付いていたから。
同じ魔法でも、周囲ごと凍らせたボクの魔法とはクオリティが雲泥の差だ。
「その鳥は美味しいからね。今日の晩ご飯だ」
「……アティカさんって何属性使えるんですか」
「レディーは秘密が多いものさ。それに、普通は誰かに自分の使える魔法を教えたりしないからね。覚えておくといいよ」
ついさっきの説明が胡散臭く感じるほど、手慣れた魔法で鼻歌混じりに鳥を解凍して羽を毟るアティカ。流石に生き物を解体するところを見るのに抵抗があるボクは急いで後ろを向いた。
そういえば、焼き鳥を買いにコンビニ行く途中だったっけ。