日常と非日常は苺と木苺くらい違う
「キミは異世界転生とか好きそうな顔をしているね」
突然投げ掛けられた感想に、ボクは呆然と瞳を瞬かせた。相手は初対面の女性。歳は大学生くらいだろうか。今年17のボクよりも少しだけ大人びて見えた。
思わず呆けてしまったのは、どんな顔だとツッコミたかったわけでも、ズバリとボクの趣味を当てられたからでもない。今のボクたちの関係が特殊だからだ。
経緯としては、ボクは父の頼みでコンビニに焼き鳥を買いに行く道中、横断歩道で信号待ちをしていた。
普段、車通りが少なく、待つ必要があるのかと疑問に思うが、近所の家が頻繁に通販で買い物をしているのかこの時間帯にほぼ毎日トラックが通る。しかもそのトラックの運転が荒く、狭い道路だというのに明らかに違反だろうというスピードで歩行者用信号機が青になろうとも、直後ならセーフと言わんばかりに走り抜けるのだ。
そろそろ件のトラックが通りがかるだろうと、ボクは歩行者用信号機のボタンを押して待つ。予想通りに住宅街の方から見慣れたトラックがやって来た。案の定、スピードを緩める素振りも見せない。
信号が青に変わる。不意に、視界の端を何かが横切った。女の子だ。耳にはイヤホン、手元にはスマホ。当然、スマホを注視する彼女は向かってくるトラックに気付いていない。
……目の前でトラックに轢かれるなんて勘弁してほしい。
ボクは声を掛けるよりも速く、女性の服の裾を引っ張った。だが、咄嗟だったので上手いこと掴めず、手がするりと抜けた。
一瞬の引っ掛かりに違和感を抱いた女性が、足を止めこちらを振り返る。直後に女性の背後をトラックが過ぎ去った。
通り抜けたトラックに二人して視線を向けた。
「もしかして、僕は轢かれそうだった?」
女性は今更、身に起こった危機に気付いたみたいで、ボクは頷く。
「ありがと! キミは命の恩人だ!」
「……いや、そんな大袈裟な」
オーバーリアクション気味に女性はボクの手を取ってブンブンと上下に振る。誰も見てないとはいえ、恥ずかしいからやめてほしい。
「大袈裟なもんか。恩人のキミにはお礼をしないといけないね。そうだな……」
「いや、お礼なんて、そんな……いいですから」
「何を言うんだいキミは。お礼は断る方が失礼というものじゃないか」
……なんて恩着せがましい女性だろうか。いや、恩を売ったのはボクの方なんだけど。
女性は「そうだなぁ……」と顎に手を当て目を瞑る。唸る姿もわざとらしかった。
「キミは異世界転生とか好きそうな顔をしているね」
と、冒頭の振りに戻る。突然、お礼をするなどと称してそんな表現を突きつけられても、ボクからしたら困惑しか出てこない。
ひょっとして、ヤバイ宗教系のやつかもしれない?
もしもそうなら助けたのを後悔するしかない。他人の善意に付け込む宗教なんてろくなもんじゃない。
ボクは女性を無視して横断歩道を渡ろうとした。けれど、歩行者用信号はすでに赤くなっている。トラックはもう走り去ったし、もう車は来ないだろうから信号を無視して渡ろうと思ったが……やめた。ボクは再び押しボタンを押す。
「どうして、このまま渡らないんだい? 車なんて通らないじゃないか」
「……さっきトラックに轢かれそうになった人がよく言えますね。別にいいでしょう。急いでないですから」
急いで目の前の女性を撒きたくはあるが、それを面と向かって言えるメンタルはボクには無い。精々皮肉を言うのが精一杯だ。
「なるほど。そうだね。確かに、安全確認は重要だ。キミは間違ってない」
ニッと口角を吊り上げて女性は笑った。可愛らしいと思いもしたが、それよりもボクは意味不明な不気味さの感情の方が勝っている。
「車通りの無い道路。その横断歩道の押しボタン信号をわざわざ待つなんて、普通ならなかなかいないだろうね」
「……なんですか、さっきから。まるでボクのことをなにかの事件の犯人かの様に取り調べて」
「いやいや、そんなことはないよ。不快にさせたのなら謝るよ。ごめんね」
ここで、いいよ。とすぐに言えないのがボク。他人を許すだなんて烏滸がましい。そんな人様に文句を付けたと感じられたボクの方が悪いとさえ思ってしまう。
「……お金なんて持ってませんよ」
「キミは僕のことをなんだと思っているのかな? そんな不審に思わないでくれたまえ。僕はキミに用があってここに来たんだ」
仰々しく両手を広げる女性。つい先ほどまで、ボクの事など露程にも気に留めていなかった癖に。それとも、先ほど車に轢かれそうになったのはボクの気を引くための行動だったとでも言うつもりだろうか。
……こんなボクの気など、わざわざ引こうなんて思わないか。それはちょっと自意識過剰だったかもしれない。
そんな思慮に耽っていると、唐突に女性は開いた両手をボクの頬に添えてきた。
「困惑するのもいいけれど、もう少しキミは笑った方がいいね。僕みたいな美少女、中々いないよ?」
「……自分で美少女って言うんですね」
「お、急に生意気言うようになったじゃないか」
女性は「いいね」と八重歯を見せて笑いながら、ボクの頬を引っ張って吊り上げた。明るく笑いながら、こちらにも笑顔を強要してくる不審者。その不審者は「あ、そうだ」と急に思い出した様子で呟いた。
「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったね」
「……今し方、普通を語ってましたけど、普通はたまたま横断歩道で隣り合っただけで名前なんて訊ねなくないですかね」
「僕の名前はアティカ。気軽にアティカお姉ちゃんと呼んでくれたまえ」
はい、どう見ても日本人なのに唐突の横文字な名前で胡散臭さが120%上昇しました。
……それでも小心者のボクは名乗り返しちゃうんだけどさ。
「椎木です」
「下の名前は?」
「……いちご」
「おーけーイチゴ。それじゃあ行こうか」
昔、母さんが好きだった漫画の主人公からとったらしい名前。女子みたいであまり好きじゃない。
どこに、と尋ねる暇もなかった。瞬きの間に、視界は閑静な住宅街から緑溢れる森へと変貌した。
これからは不審者に話しかけられたら、一目散に逃げよう。ボクはそう誓った。