4. シズクの魔術指導
主に魔術の説明です。
シズクは第6部隊の隊員たちの前に立った。
肩までつく長さだった髪はエマにバッサリと切ってもらった。10年前と同じ髪型だ。男装が似合いそうねというエマの言葉には苦笑いで返したが、魔剣隊に転属したときは髪型のせいでよく少年と間違えられていたなと思い出す。
シズクが入ってきた瞬間から部屋は静まりかえっていた。隊員達の視線はシズクに集中している中、シズクはおもむろに口を開く。
「今日から副隊長として配属された、アラニシです。よろしく」
シズクはざっと見回し、隊員の3分の1くらいは昔の顔見知りであることを確認した。
現第6部隊は隊員が35名で他隊に比べると大所帯だが、内5名は旧第5部隊の隊員だ。来年にはここから10名ほど引き連れて第5部隊を立ち上げる。
「早速だが、今日の訓練はアラニシ副隊長に魔術指導でもしてもらうか」
グルーバーの言葉を聞いてシズクのことを知っている者は皆一様に表情が暗くなるが、シズクのことを知らない者はその様子を見て不思議そうな顔をする。シズクは隊員達がゾロゾロと外の訓練場に移動して行く様子を眺めていたが、その中に特に見知った人物を見つけた。
「ゲンさん、ご無沙汰してます」
「シズク嬢ちゃ……じゃねぇや、アラニシ副隊長。どこぞの美少年かと思ったぞ」
旧第5部隊でシズクのことをよく娘のように可愛がってくれた、ゲンジロウ・サナダだ。ワイルドな見た目に似合わず甘い物が好物で、上着のポケットにこっそりお菓子を隠し持っている。事あるごとにそのお菓子をシズクにくれたお茶目なおじさんで、シズクはとても慕っていた。
「ゲンさんは相変わらずダンディですね」
「よせやい。引退しようか迷ってたところに、お前さんが戻ってくると聞いてもう少し頑張ることにしたんだ。よろしく頼むぞ、アラニシ隊長」
「気が早いですよ。まだ正式に決まってないんですから」
ゲンジロウを始め、旧第5部隊の隊員はシズクを隊長として第5部隊が再編されることを知っている。しかし、まだ公には言えないことなのでシズクは苦笑しながら答えた。
「でも、ゲンさんがいてくれて心強いです」
続けた言葉は本心からそう言った。不安を口には出せない中、気心の知れた仲間がいるのは正直ありがたいと安堵しているのは事実だ。
魔剣隊の隊員は大体40手前で引退する。魔物との戦闘で怪我をして引退する者もいるが、結婚して子供が産まれたりすると、より安全な地方の警備隊や貴族の私邸の警備兵として転職していく。ゲンジロウはもう50代半ばになるはずだ。
シズクは魔剣隊に留まってくれたゲンジロウに心の中で感謝した。
訓練場につくと、隊員達は緩く整列していた。シズクは地魔術で簡単な的を幾つか作り指示を出す。
「それではまずはあの的を得意な系統の魔術で破壊できるまで撃て。詠唱、無詠唱は問わない」
魔術は大分類として有色魔術と無色魔術に分けられる。有色魔術は攻撃的な性質のある魔術であり、風、火、土、水の4系統がある。一方で無色魔術とは結界や治癒などの補助的魔術の総称を言う。
シズクは何も言わずにただ隊員達を観察する。的は中級レベルの魔術30発ほどで破壊できる程度にしてある。隊員達の力量を測ることが目的だったので簡易な作りにしたつもりだったが、すでに疲れが出てきた隊員も見受けられる。今はあまり魔術指導には力を入れてないとグルーバーから聞いていたが、どうやら本当のようだ。
「どうした? まだ破壊できてないだろう」
シズクの言葉と冷たい視線に隊員達は顔を引きつらせる。少ししてようやく破壊できたものが出てきた。数名はすでに諦めたのか、力尽きたのか、座り込んでへばっていた。
「はい、そこまで。破壊できなかった者3名はこちらへ来て。出来そうな魔術でいいから1人ずつやってみろ」
座り込んでいた隊員達3人はのろのろと立ち上がり移動する。入隊して1,2年の若い隊員だ。
「アインウントツヴァンツィヒブエアオフダスツィエルツ」
「ツヴァイウントフィルツィヒ ヴィベールデスフォイアス ゲラーデ」
「フィーアウントフィルツィヒ ヴィベールフォンヴァッサー ゲラーデ」
始めの1人は風系統の初級魔術だった。掌から的に向かって細い突風が発生したが、流れが不安定で的から逸れていった。その後の2人もそれぞれ火系統と水系統の中級魔術を放ったがどちらも的を掠めた程度で命中とはならなかった。シズクは3人とも魔力の制御が不安定なのだろうと見当をつけていたが、確信に変わる。
シズクは肩を落とした彼らの顔を順番に見ながら問いかける。
「魔術の発現に必要なものは何かわかるか?」
「魔力と魔素のコントロールです」
最後に目が合った隊員がすぐに答えた。シズクは頷くと追加で説明を始める。
「その通り。魔術の発現には自身の魔力と魔素と呼ばれる周囲の魔力の2つが必要だ。有色魔術では威力や発動範囲に比例して2つの総魔力消費量は増加する。魔術発動のポイントは自身の魔力消費量を出来るだけ抑え、魔素を制御することにある」
自身の魔力だけで魔術が発動できればそれに越したことはないが、魔力量は人によるが総じて限度がある。一方魔素は空気と同じようなもので無制限にあると言っていい。魔素の性質のひとつに魔力に集まるというものがある。自身の魔力で周囲の魔素を制御することで個人の魔力量に関係なく魔術を発言できるようになる。
魔力制御は実践あるのみなので、ここで詳しく説明しても仕方ないかと、シズクはかいつまんで説明をしていく。
「魔素を制御するためには、当然自分の魔力制御が重要になってくる。というわけで、」
シズクは彼らの頭上に魔術結界を張るとその上に水を出現させた。
「魔力制御からやり直しだ。自分で結界を張って維持できなければ水浸しになるぞ」
3人は何が行われるのか理解が追いついていないようで呆けた顔をしていたが、シズクはお構いなしに始める。
「準備はいいか? 3、2、1、始め!」
慌てた3人はそれぞれ魔術結界を自分の頭上に張った。
無色魔術の中で、結界は魔力制御の得手不得手が表れやすい。比較的簡単に習得できるが、強度や持続時間は熟練度に比例すると言えるだろう。魔術の上達は個人の魔力と才能によると勘違いしている者も多いが、一番重要なのは基礎訓練である。魔術も剣術も同も努力が必要なことに変わりはない。
3人があたふたしながらもなんとか魔術結界を維持するのを見届けて、シズクは他の隊員達の方へ目を向けると、休憩時間だといわんばかりに各々くつろいだ雰囲気になっていた。
「めちゃくちゃ厳しいっすね……」
「昔は熱湯とか泥水だったから、まだ優しい方じゃねぇか」
「マジっすか」
「知ってるか? アラニシ副隊長は魔術の同時発現もできるんだぞ」
「すっげー。大魔術師を目指せるんじゃないですか」
得意げにシズクのことを話す隊員に若い隊員達が感嘆の声をあげる。
シズクは朗らかに雑談している隊員達に向かって声を張る。
「的が破壊できた者も休憩時間ではないぞ。得意な系統を無詠唱でできるようにしろ。無詠唱ができる者はもう一度あの的に向かって無詠唱で30回だ」
シズクはもう一度的を作った。雑談していた隊員達は首を竦めると気持ちを切り替えて始める。
無詠唱は相当な訓練を積まないと発動ができないと言われているが、逆に言えばコツさえ掴めば誰でもできる。
副隊長への昇格条件のひとつに中級魔術が無詠唱で発動できることとあるように、魔剣隊員にとって必須技術であるとシズクも考えている。
攻撃魔術においてファウスト詠唱法というものが一般的ではあるが、魔剣を使って戦いながらとなると、やはり瞬発力のある無詠唱が望ましい。さらに、無詠唱であれば他系統の魔術を同時発現することも可能になる。
シズクは無詠唱ができないグループの顔ぶれを見渡す。全員3,4年目くらいの隊員達だ。王都や主要都市の警備が中心の剣技隊出身の者が多いのは仕方ないにしても、学院出身の者もいることが気になっていた。学院では魔術は必須科目で厳しく指導していた覚えがあったからだ。
シズクはその隊員達を集める。魔術に対しての認識を確認することにした。
「そもそも攻撃魔術では何のために詠唱をしているかわかるか?」
「魔力制御のため、ですか?」
「半分正解だ。魔力制御は有色魔術と無色魔術ともに必要だが、有色魔術はさらに現象を発現させなければならない。詠唱のほとんどはこの現象の発現に関係している」
シズクの説明を聞きながら1人の女性隊員が疑問を浮かべる顔をする。
「詠唱って人によって違ったりしますけど、意味のある言葉なんですか?」
「そんなの当たり前だろ、リーナ」
焦げ茶色の長い髪をポニーテールにした女性隊員が質問をした。隣にいた男性にしてはやや小柄な隊員が即座に口を挟んだが、シズクがすぐに返答をした。
「いや、良い質問だ。実は殆どの人が使っているファウスト詠唱法は最初の節に意味はないんだ。意味はないというよりただの番号と言ったほうがいい。だから最初の節を省略することもある」
シズクはふとこの2人が学院出身者だったことを思い出してもう一度聞く。
「リーナとアドルは、そういうのは学院では教わらなかったか?」
「意味はやったかは覚えてないです。発動する魔術の内容と詠唱を覚えるだけでしたね」
先ほど口を挟んだ小柄な隊員、アドルが思い出すような素振りをしながら答えた。
「そうか。ちなみに詠唱はどこまで覚えている?」
「得意な系統は一応上位まで覚えましたけど自信ないです。それ以外は下位ですかね」
「俺も同じです」
「そうなのか?!」
リーナの回答にアドルが同意するが、シズクは愕然としていた。
厄災以降、魔剣隊の人数補充を優先して魔術の審査基準は甘くしたと聞いていたが、思っていたよりもレベルが低かったため、シズクは頭を抱えたくなった。元々魔剣隊は魔術単独で使うことが少なく、魔剣で魔術が補完できてしまうため、昔から魔術が軽視される傾向にあった。
シズクは嘆いていても仕方がないと頭の中で指導方法を切り替える。
「予定変更だ。まずは最低3系統を中位まで詠唱を覚えてできるようにしよう」
有色魔術の4系統は、それぞれの特性がお互いに影響し合うという性質がある。そのため術者の得意とする系統と相性が悪い魔術は扱いづらい。本当は4系統全てと言いたいところだが、無詠唱の訓練に力を入れたいのでそこは妥協することに決めた。
シズクは頭の中で方針を立てながら、周囲を見回した。
「ゲンさん! 手を抜いてるのは分かってますよ。追加で5回」
シズクは無詠唱ができない隊員達へ指導しつつ、的に打ち始めたグループの状況もしっかりと観察していたのだが、明らかに威力の弱い低位魔術を撃っているゲンジロウを見咎めた。ゲンジロウは大げさに顔をしかめながらも軽口を叩く。
「うげぇ。バレてらぁ。年寄りは大目に見てくれ」
「ゲンさん、追加で10回」
「なんでぇい」
シズクは冷ややかな視線をゲンジロウに向けたが、本人はアッハッハと笑っている。つられた周りもクスクス笑いだし、ほんのりと穏やかな空気が漂った。
するとそこに魔術制御の訓練をしていた3人が、水浸しになり弱りきった顔でやってきた。
「副隊長……」
「なんだ、もうへばったのか。次は泥水と熱湯どちらが良い?」
シズクはいささか予想していたよりも早いギブアップにあきれたような顔をしたが、すぐに真顔に戻って彼らに聞いた。恐れおののき声にならない悲鳴を上げる3人に他の者達は哀れみの目を向ける。
シズクは冗談だ、と言って軽く笑うと彼らに向かって両手を向ける。水浸しだった衣類が暖かい風で乾かされていく。泥水か熱湯が降ってくると思い頭を庇っていた3人は目を瞬くとぽかんと間抜けな顔をする。
「とりあえず、今日はここまでにしよう。次回までに全員中位までの詠唱を暗記してくるように」
隊員達は威勢よく返事をして、颯爽と訓練場を後にしていく。吹き抜ける夏の終わりの風の匂いに、シズクは懐かしい気持ちが込み上げてくるが、昔の幻想に目を逸らすようにして空を仰いだ。
空一面に薄く広がった雲は、魚の群れが空を泳いでいるように見えた。