2. シズクの準備期間
魔剣隊への復帰が決まった翌日からシズクの日課は少し変わった。毎朝走り込みと魔剣の素振りをし、週に1,2回シズクの非番の日にはグルーバーに頼んで手合わせをして貰うことになった。
グルーバーとの初回訓練はまさにボロボロだった。
「剣が軽いぞ! 最初は身体強化に頼らずに打ち込め!」
「はいっ!」
グルーバーはかなり手加減をしてくれているのだろうが、シズクは防御するので精一杯だ。シズクの動きが鈍くなりじわじわと追い詰められてきた頃、グルーバーが終了を告げる。
「よし、今日はここまでにするか」
シズクは肩で息をしながら膝に手をつく。わかっているのに体がうまく反応できないのがもどかしく、しかも魔剣よりも軽いはずの模造剣ですら腕が上がらなくなるとは情けないと項垂れる。
対してグルーバーは息の乱れもないようだ。
「スピードはまずまずだな。反応も悪くない。来週からは魔剣でやるぞ」
「はい。よろしくお願いします」
グルーバーは顔が強張っているシズクを見て更に声をかける。
「筋力や体力は落ちているようだが、これから確実に取り戻せる。あまり焦るなよ」
「ありがとうございます」
シズクはグルーバーの励ましに小さく頷いた。
もともと剣技は得意ではない。小柄なシズクはどうしても打ち合いになると力負けしてしまうからだ。ストレッチをしながら先程の手合わせの動きを頭の中で反芻する。パワーで不利な分を身体強化とスピードで補っていたのだが、それもグルーバーの足元に及ばなかったことに落ち込む。
ふと空を見上げると、憂鬱な長雨が明けた、爽快な青空が広がっていた。陽射しは強いが吹き抜ける風が心地良く感じる。
「順番に一歩ずつ着実に、だな」
シズクは昔誰かに言われた言葉を思い出し、ゆっくり深呼吸をすると気持ちを切り替えた。
それから2週間ほどして、魔剣での打ち合いでは、グルーバーに敵わないとしても追い付けるようになった。
今日もグルーバーにお願いしている日だ。シズクは旧第5部隊、第6部隊が共同で使っていた訓練場に向かう。
シズクが訓練場に入るともう既に人が待っていた。
「おはようございます。お待たせしてすみませ……フォーサイス副隊長?」
「おはようございます。シズク殿。私のことは昔のようにリアンで構いません」
「どうしてここに?」
てっきりグルーバーだと思っていたシズクは予想外な人物に戸惑った。第4部隊副隊長リアン・フォーサイスがなぜこんなところにいるのか。第4部隊の在中地域からここまでは馬車で2時間かかる距離にある。
狼狽えるシズクをよそに、リアンは表情の読み取れない顔で当然のように話し出す。
「グルーバー副隊長が貴方と訓練していると聞いてお願いしたんです。武芸大会が近いので、できれば魔術指導もお願いします」
「それはいいけど……」
シズクはリアンの申し出に承諾するが、そんな事よりも気になっていた事があった。
「リアンはなぜ隊長になることを断ったの?」
「貴方がいるからですよ。第5部隊の隊員は皆、貴方が戻ってくるのを待っています」
シズクは真意とずれた返答にいまいち納得できず口を開きかけたが、ちょうどグルーバーが訓練場に入ってきた。
「遅れてすまんな。今日から俺が来れない時はリアンに来てもらうようにする。第6部隊の再始動のために色々忙しくてな」
「いえ、こちらが無理を言って時間をとってもらっているのに、いつもありがとうこざいます」
シズクは恐縮するが、グルーバーは気にするなと片手を軽く上げる。
「せっかくリアンがいるからシズク嬢とリアンでやってみろ。魔術ありの魔剣勝負。リアンも武芸大会の練習になるだろう」
リアンが魔剣を抜き構え、シズクをひたと見つめる。シズクも静かに魔剣を構えるとリアンに向きあった。
そもそも魔剣とは特殊な魔石を溶かし込んで作られた剣で、持ち主の魔力の特性を増幅したり引き出したりして力を発揮する特殊な魔術具である。同じ魔剣を持っても使い手が違えば発現する特性は変わる。
魔剣は国に厳重に管理されており、作製方法も秘匿されている。魔力があり、その能力を認められれば所有資格を与えられ、魔剣が支給されるのだ。
魔剣の帯剣が認められるのは軍隊員または王族直轄の近衛騎士団である。特例として上位貴族の私兵も申請すれば認められる。
魔剣がシズクの手に戻ったことで、シズクは救護院から魔剣隊の所属に仮変更されていた。
リアンとの訓練は1時間ほどしたところで切り上げた。
魔剣の魔術特性を使うと腕の痛みが出てくるため長時間の訓練ができないでいるためだ。
シズクが腕を氷水で冷やしていると、グルーバーが部隊長からだと言って封筒を手渡してきた。受け取りざまにグレーバーに耳打ちをされ、その内容と封筒の関係がわからずグルーバーを見る。しかしグルーバーは視線だけで封筒を見ろと示した。
シズクは封筒の中身を見て得心がいった。
封筒に入っていたのは武芸大会の観戦チケットだった。
昼前になりシズクは慌てて寮の部屋に戻り、汗を流す。
午後からはエマと出かける約束をしている。急いで準備をして待ち合わせ場所に向かった。
「シズク、遅いわよ」
「まだ時間前だよ」
「楽しみにしすぎて早く来てしまったのよ」
そっぽを向くエマにシズクは笑みがこぼれる。久しぶりにふたりの非番の日が被ったのだ。特にエマは最近忙しくしていたので尚更張り切ってきたのだろう。
「そういえば、お兄様から例の物はもう少し待ってくれって伝言を預かったわよ」
「ああ、ありがとう」
「例のものってなあに? ていうか、お兄様と知り合いだったのね」
「顔見知り程度だよ。母の形見のブレスレットが特殊な魔術具だったかもしれないと言われて貸してるんだ」
エマの兄、キーガン・プロムニッツは魔術院の中でも上級の研究者だ。通信機や魔力探知器など、ここ数年で一気に開発された魔術具のほとんどが彼の発案である。研究者としての能力を高く評価されている一方で、かなりの変わり者としても有名だった。
「そんな大事な物、貸して大丈夫なの? あのお兄様のことだから心配なのだけれど」
案の定、エマは不安そうな顔をして聞く。
「厄災で持ち主不明だったのをずっと預かっていてくれたそうだから、むしろお礼を言わないと。思い出したのも最近だしね」
「そう……」
シズクはこともなげに言ったつもりだったが、エマはシズクを慮るような表情になった。
「さあて。今日はどこに行くの?」
「新作プリンのお店よ! なんと口に入れた瞬間に蕩けるプリンだそうよ」
「それは楽しみだな」
シズクはエマに気遣われるのを申し訳なく思い、空気を変えようと明るく聞いた。エマはうっとりとした笑顔を浮かべると、シズクの腕をとり弾むような足取りで歩き出した。
店に着くとすぐに席に通される。張り切ったエマは予約までしてくれていたようだ。シズクは椅子に座るなり、忘れないうちにと口を開く。
「そうだ。エマ、魔剣隊の武芸大会観に行かない?」
「行くわ!」
エマは目を輝かせて即答した。
「3日目の魔剣種目だけなんだけど、チケット貰ったんだ」
「すごいわ、シズク!」
武芸大会とは魔剣隊各部隊から選ばれた2名が3つの種目で競う大会で、2年毎に3日間に渡って行われる。そこで優勝したものが次代の隊長となることが多いため、次期隊長決定戦とも言われている。
各種目ともチケット倍率は高いが、とりわけメインの魔剣種目はコネを持っていても入手が困難らしい。エマがチケットを取れなかったと残念がっていたのを思い出し、誘おうと思っていたのだ。
素直に喜ぶエマにシズクも嬉しくなるが、シズクの目的は単なる観戦ではなく魔剣隊に復帰するための下調べである。シズクは心の中で気を引き締めた。
おまけーーーーーーーーーーーー
次の日、朝一番にエマは自分とシズクの休みを上司に掛け合って確保していた。
「シズク、勝ち取ったわよ」
「さすがはエマ様、ありがとう」
上司は顔を引きつらせながらも快く休みを取らせてくれたが、エマの迫力に押されたのだろうなと安易に推測できた。シズクはエマの行動力に恐れ入りながらも感謝した。