図書館の怪物ショコラちゃん
幽霊図書館。
仕事帰りに突然のどしゃ降りに襲われ、逃げ込むように入った図書館はこう呼ばれている。
何でも図書館の怪物と恐れられる幽霊が出るとか。
別の建物に避難するという選択肢はない状況だったとはいえ、嫌なところに来てしまった。
この地域の事情はあまり詳しくはないにも関わらず噂が耳に入るほどだ。かなり広まっている噂なのだろう。
そんないわくつきの図書館だ。案の定他に利用者はいない。
雨に打たれてでも違う建物に……。
くるりと身を翻そうとしたが、そこで視線に気付く。
管理人だと思われる白髪に強面の老婆の視線だ。
人が来るのが物珍しいからだろうか。じっとこちらを見つめて目を離さない。
こうなるとこのまま帰りにくい。
「す、すいません。受付……とか、必要ですか?」
老婆の目に圧倒され、ぎこちなく問う。
仕方ない。ここで時間を潰すとしよう。
「必要ないよ。貸出の時には声を掛けなさい」
見た目に違わぬ無意識に緊張させられるようなきつい声色だ
小さく何度も会釈をしながら、老婆から逃げるように出来るだけ奥のテーブルに向けて歩みを進める。
居心地は悪いかもしれないが、老婆はともかく幽霊図書館に対しての恐怖心は実を言うとあまり持っていない。
なぜなら幼い頃から心霊現象には慣れているから。つまるところ霊感体質だ。
ここで起こる心霊現象はポルターガイスト。
内容は本棚がカタカタと動く、足音が聞こえる、本がひとりでに落ちるといったよくあるものだ。
幽霊図書館という噂が思いのほか広まった背景には、恐らく強面の管理人、ジメジメとした雰囲気、人気のなさ……恐怖を煽る他の要因も働いているかもしれない。
ちなみに今もまさに噂のポルターガイストが起こっている。
トンットンッ――
何かが跳ねて地面に着地するような音が等間隔に響く。それに本棚も僅かに揺れているように見える。
ここに入った瞬間から噂が真実であることは分かっていたので、特に気にすることはない。
受付で新聞を睨んでいる老婆もさすがに慣れているようで反応を示さない。
本を普段読まないこともあり、いざ本棚に並ぶ膨大な数の本を見ると何を手に取っていいのか分からない。
一先ず全体を見て回ろう。
しかし、この図書館かなり清掃が行き届いている。
本棚も本も年季が入っているが塵ひとつない。
利用者もいないのに毎日欠かさずに清掃しているのだろう。
そんなことを考えながらいくつもの本棚を眺める。
小説、漫画、郷土資料、参考書、児童書、そして白い少女。
――少女?
児童書の本棚の前で本を取ろうとピョンピョンと跳ねている彼女に思わず目を奪われた。
背丈からして10歳にも満たないだろうか。
肩につく程度の長さの白い髪に透き通るような白い肌――というより本当に透き通っている。半透明だ。
なるほど。これが幽霊図書館のポルターガイストの正体。「図書館の怪物」か。
予想外の見た目ではあったがここは落ち着いて見て見ぬふりをしよう。
すぐ離れようと慣れない文学に触れるのをやめ、適当に名前の知っているライトノベルに手を取ってテーブルに戻った。
視線を感じる。
受付の老婆のものではない。先程の少女の目だ。
その黄色い瞳をこちらに向けながら明らかにこっちに近づいてきているのが見なくても分かる。
ヒタ……ヒタ……。
裸足で歩く音。
心霊現象には慣れているし、見て見ぬふりとは言ったものの気にならないわけがない。
背後に白い少女がいる。
容姿や彼女の放つ雰囲気から悪霊の類ではないと思っていたが、冷や汗が頬をつたう。
この状況で読んでも頭に入らないライトノベルのページを次々に捲っていく。
その時、少女のさらっとした綺麗な白髪が肩にかかった。
正確には実体がないため彼女の髪はこちらの肩を貫通してるわけだが。
ここで気付く。半透明の霊体を密着させる少女の目線はライトノベルの文字の羅列に集中している。それも嬉しそうな表情だ。
彼女の趣味に合っているとは思えないが――。
そういえば彼女は本棚の前で跳ねていた。
この幽霊は本が読みたかったのか。
「あ、あのさ……」
意を決して少女に話しかけてみようと声を発した瞬間、受付の老婆とバッチリ目が合ってしまった。
やってしまった。それもそうだ。誰もいない図書館で1人喋れば館内によく響く。
不審としか言いようがないではないか。
「あんた! 見えるのかい?」
少し声を張り上げ思わぬ反応を示した老婆こちらへ向かってきた。
「え、えぇ見えますけど……信じますか?」
「長年ここで幽霊図書館やってんだ。今更幽霊がどうこうを疑うかい」
その声から幽霊に対する恐怖は見えない。むしろ少し興奮気味で弾んでいるようだ。
「私には見えないが悪い子ではないんだろう? 良かったらその子の話し相手にでもなってあげてくれないかい?」
老婆の提案は予想外のものであった。
図書館が寂れているのはこの幽霊のせいもあるはずだ。それにしては随分好意的ではないか。
ずっと一緒にいると見えなくても思うところがあるのか。
「こいつそもそも喋れるのか……」
過去に見てきた幽霊と意思疎通をしたことなどない。
黙って後ろについて離れないこの少女の霊も会話は出来ないのではないか。
「みえ……てる……?」
「うわっ!?」
喋れるのかという疑問に反応して、少女が途切れ途切れでノイズ混じりのような小さな声で耳元に話しかけてきた。
驚きの余り情けない声を上げてしまった。
急に叫ぶものだから老婆もキョトンとしている。
「み、見えてるよ」
恐る恐る返答。
意思疎通に成功した幽霊少女は満面の笑みだ。
こちらには何と言っているのか伝わらない声を上げてその場でピョンピョン跳ねている。喜んでいるのだろう。
その様子を見て自分から警戒心が消えていくのを感じる。
「ほん……よん……で」
「お、俺が?」
「その子は何て?」
「えーと、本を読んでと言っています」
老婆は微笑ましそう「そうかいそうかい」と頷いて笑うと、後は任せたとばかり手をひらひら振って受付に戻っていった。
「じゃあ頼んだよ。図書館では静かにとは言うが誰もいないし、音読しようが話そうが構わんよ」
「え、ちょっと待っ」
「よ……んで! よ……ん……で……!」
「ていうか自分で読めないのか?」
首を横に振って即否定。
ポルターガイストと言われていたものの原因は、半透明の霊体で満足に物に触れられない彼女が棚に並べられた本を読もうと悪戦苦闘した後なのかもしれない。
それに文字を読もうにも視界が生きている人間のようにハッキリしていない可能性もある。
しかし、幽霊に読み聞かせなんて大変な役を押し付けられてしまった。
こちらの気も知らずに幽霊少女はノイズ混じりの声で騒いでいる。騒いでいるといっても彼女の声はこちらにギリギリ届くくらいかなり小さなものである。
ノイズのようなものも酷く、これでは長い会話は難しそうだ。
「お前、名前は?」
少女は首をブンブンと横に振った。
生前の記憶がないのか。
「つ、け……て!」
振り絞るように声を出し、顔を近づけて懇願する少女。
これまた大役だ。とはいっても誰にも見えないのだからその名を呼ぶ人は他にいないか。
「図書館の怪物ねぇ」
彼女の異名を思い浮かべる。
怪物と言われて真っ先に某映画のモンスターであるゴ〇ラをイメージしてしまった。
こんな小さい女の子になんて名前をつけようとしているんだ。
怪物は置いといて図書館に近いものを連想するワード……。
「書庫……ショコラ」
ボソッと口に出した妙案。
ゴ〇ラのイメージに引っ張られ過ぎだ。
「ショコラ……!」
これで決定するつもりはなかったのに聞こえていたらしく、少女は嬉しそうに目を輝かせていた。
幽霊であるにも関わらず生命力溢れるいきいきとした表情だ。
「え、気に入っちゃったのか?」
ショコラと名付けられそうな少女は首がもげるのか心配になるほど激しく縦に振る。
確かに響きは可愛らしいが……由来は黙っておこう。
「じゃあ、ショコラ?」
「ショコラ!」
「あぁ、ショコラだ」
「ショコラ!」
「はは……さて、本読むか」
手元にある本を開く。さっきまで読んでいたものだ。
さっきまで読んでいた……?
「あっ」と口に出した時にはライトノベルの挿絵、つまるところサービスシーンのページを思いっ切り開いてしまっていた。
「~~~~!?」
ショコラは目をパチクリして、ひと呼吸置いてから赤面した。
何という失態だ。セクハラ以外の何物でもない。
慌ててライトノベルを勢いよく閉じるが、もう手遅れ。ショコラの視線が痛い。
「……なかったことにしてください」
少し怒っているように見える年端もない少女に平伏。
ショコラの読みたい本を探しに行くことにした。
それからは閉館時間が過ぎてもショコラに絵本を読み聞かせた。
彼女のために管理人の粋な計らいだ。
もうここに入った原因である雨も弱くなっているだろうが、食いつくように読書を楽しむショコラのせいでそんなことはどうでもよくなった。
絵本の朗読、少し恥ずかしい気持ちがあるがここまで楽しまれるとこっちも気分がいいのだ。
もう何冊目だろうか。新たにショコラが読みたい本を指さす。
それを手に取るが、その絵本は意外なものだった。
「幽霊の絵本……」
「ん……」
こくりと頷き、椅子にチョコンと座ったショコラが読むように催促する。
そういえば彼女自身は自分が幽霊だという自覚はあるのだろうか。あるのだとしたらどんな気持ちでこれを選んだのか。
絵本の内容はこのようなものだ。
近所の子供に構ってほしくていたずらをする幽霊がいた。
しかし、何をしても子供たちは背を向けて逃げ去るばかりでこちらを見てはくれない。
ある日、いつものようにいたずらをしていたら、自分が幽霊という見えない存在だと気付く。
誰にも認知されない。誰にも触れられない。誰にも愛されない。
悲しい事実に1人泣きじゃくる幽霊に声をかける少年がいた。
幽霊が見える少年といっぱい話をして楽しい時を過ごした。
だが、楽しい時は長く続かない。幽霊の身体がみるみる消えていってしまう。
少年とのお別れを悟り、悲しみに暮れる幽霊に少年は――。
「オモ……ィダ、シタ」
突如ショコラが朗読を遮る。
綺麗な黄色い瞳を見開いてピクリとも動かない。
「ショコラ……?」
「ママ……ヨン、ダ……ナマエ……ヨ……デ、ク……レタ……」
母親? 生前の記憶を思い出したのか?
ノイズ混じりの声でうまく聞き取れないが、生前母親にこの本を読んでもらったということなのか。
ショコラの様子を見て考え込んでいると彼女の身体が薄くなっていることに気付く。
ガバッと椅子から勢いよく立ち上がり、その弾みで絵本が床に落ちた。
ショコラが消えてしまう。これでは絵本と同じようではないか。
「ショコラ! まだいっぱい本を読みたいだろ? 消えるなよ……」
「かな……しい、の……?」
「当たり前だ」
「わたしは……ち……がう、よ?」
ショコラの目線は床に――幽霊の絵本に向いていた。
落としてしまった際に、ページが捲れていて場面はクライマックスだ。
記憶を取り戻したショコラは知っている。別れを惜しむ幽霊に少年が言ったセリフだ。
「悲しいことじゃない。君は幸せになったから旅立つんだ……」
絵本に書かれたそのセリフを口に出すと、ショコラは満面の笑みを浮かべた。
「一度しか記憶になかったの。家族に名前を呼ばれたことも絵本を読んでもらったことも」
今にも消えようとするショコラの声はこれまでのノイズのような声ではない。恐らく元の彼女の声だ。
彼女はどういう生前を過ごしたのだろうか。しかしそれが壮絶なものだったことははっきり分かる。
そして彼女はそんな人生の中で覚えている最も幸せな時間を再び求めていたのか。
「幸せだったよ」
そう一言残し――図書館の怪物・ショコラは成仏した。
床に膝をつき、複雑に感情が入り交じり呆然としていると、肩をポンと叩かれた。
管理人の老婆だ。
「……もうとっくに閉館時間だ。帰りな」
彼女は顔を見せなかったが、声は震えているように聞こえた。
この一件の後、朗読の勉強を始めた。
あの世にいる図書館の怪物に渡すお土産だ。