凛として
急に寒さで目がさめた。枕の隣に置いてある時計を見る。午前6時。6月も半ばに入って来たこの季節だが、明け方は裸で寝るには少し寒い。左腕の上腕部分に重みを感じる。そこで思い出す。
「昨日もだったんだっけ…」
俺の左腕を枕にして眠る、裸の女性。切れ長の目に主張しすぎない鼻、そして大きく綺麗な口のついてる、客観的に見ても綺麗と思える顔。少しの間見つめてみる。すると今まで閉じていたはずのその目がうっすらと動き、開く。
「…ん。…あれ?起きてるの?」
「ああ、うん、今起きたとこ。起こしちゃった?」
「いや、大丈夫だよ。目覚めちゃったし、私お家に帰ろうかな」
そう言うと体を起き上がらせ、ベッドの隅に捨ててある赤い下着を着始めた彼女。それを後ろから見つめる。別に愛おしいだなんて思ってない。俺とこの女性は付き合ってるわけでもないから。ただのよくあるセフレと呼ばれる人の中の1人だ。でも、俺の体は気付いた時には起き上がり、後ろから彼女を抱きしめていた。
「どうしたの?」
「まだ帰んないでよ」
また心にもないことを言って彼女のその気にさせながら、彼女の返事など聞かず、彼女が今履いたばかりの赤い下着に手をかけ、また脱がす。そのままゆるりと彼女の正面に移動し、押し倒し、キスをする。
(俺なにやってんだろ…)
そんなことを思いながらも俺は6時間ぶりの彼女との快楽にまた溺れていった。
「おい、遅えよ!2限なにサボってんだよ、凛」
昼食をとる人とまだ席を取れてない人で溢れる食堂。友達が取っておいてくれてた席へ行くと、早速でかい声で話しかけてきた茶髪に少しパーマをかけ、大きい目に端正な顔つきの男。友人の宗太郎だ。
「あー、ごめん、ちょっと眠くて」
いつものように、嘘をつく。
「ふざけんなよ俺は今のところ授業皆勤賞だって言うのに」
「和樹は?」
「あいつは今メシ買いに行ってるところ」
そこでちょうど和樹が俺たちの席へ来る。
「おはよう凛。月曜日から遅刻はおもしろいな」
黒髪にシュッとした顔つきで、黒縁の細い眼鏡をかけた和樹は、いつもなにか俺を見透かしているかのような目と、口調で俺に話しかけてくる。
2人は俺がこの4月に大学に入ってからずっと一緒にいる友人だ。2人は俺のことをたぶん信頼してくれているんだろう。最近ではたまにいろいろな相談をしてくれるようになった。
「そろそろ俺らも彼女作らないとなー。」
テーブルに頭を乗せながら溜め息混じりに言う宗太郎。
「宗太郎は作ろうと思えば出来るでしょ。俺はまあ別にいらないけど」
カレーとライスを均等な量でスプーンに乗せながら答える和樹。
「なんで彼女いらないで満足できんのかわかんないわ。凛は彼女つくんないの?」
「俺もいいかな」
嘘はついてない。強がりでもない。自分のことをよく理解してるから言える本心からくる言葉だ。
(俺みたいなクズは彼女はつくっちゃいけないんだよ)
心の中で呟く。また大きな溜め息をつき宗太郎はスマホをいじりはじめる。和樹が俺をまたあの目で見てる。見透かされてはいない。きっと。でも何か考えてるんだ。
「俺次の授業にもう行くわ」
和樹の視線に絶えられなくなり逃げるように次の教室へ向かう。
いつから俺は自分が、自分でもわかるほどのクズでいてもいいと諦めてしまったんだろう。そう思い返して、すぐに思い当たる節を見つける。この繰り返し。いつものことだ。
授業までまだ時間に余裕があり、大学の中の人はみな食堂に集まっているので次の授業を受ける講堂のある棟は静かだった。講堂のドアを開け中に入る。中には誰もいないと思っていた。でも違った。階段状になっている講堂の、中央の席に白い服に長い髪の女の人が机に突っ伏して寝ている。俺はその人の近くまで行き、顔を覗き込んで見る。
「きれいだ…」
自分でも知らないうちに独り言として口から出ていたその言葉は、彼女の寝顔を表すには全然足りなかった。その寝顔は、光が差していてそこだけ別世界かのように輝いていた。名前も年齢もわからないが、天使を見た気分だった。自分には不釣り合いな、綺麗な感情をその人に抱きそうになり、慌てて講堂の1番後ろの席につく。気付いた時には1日が終わり、家にいた。
これが、俺が彼女を初めて認識した日だった。